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太史慈が早世せず孫権軍の勇将として長生きしたら三国志はどうなる?

2024年5月3日


 

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関羽と一騎打ちをする夏侯惇

 

 

物語としての三国志では、たびたび華々しい一騎打ちが行われます。ですがこういうものはあくまでフィクション、現実には大将同士の一騎打ちなど、そうそう発生するものではなかったでしょう。ところが!

 

呉志(呉書)_書類

 

 

比較的史実を伝えている『正史三国志』の中で、稀に、本当に一騎打ちが発生した記録があります。そのひとつが、孫策(そんさく)太史慈(たいしじ)の一騎打ちです。そんな印象もあり、太史慈といえば、孫策と互角の力量をもった猛将で、かつ、一度は争った孫策の部下になった後は、忠義に厚い名将として活躍したイメージですね。

 

 

太史慈

 

 

そんな華々しい登場をした太史慈ですが、孫策の後継者である孫権の時代になると、ほとんど登場しません。実は孫権の時代になって間もなく、太史慈は早世してしまったのです。ここで想像してみましょう。太史慈が、もし孫権軍でベテラン武将として長生きしたら、その後の三国志にどのような展開をもたらしたでしょうか?今回は、そんなイフ歴史を考えてみたいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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まずはおさらい!『正史三国志』で伝えられる太史慈とはこんな人

正史三国志_書類

 

まずは実際の太史慈とはどんな武将だったか、『正史三国志』の記述をベースに整理してみましょう。太史慈は西暦でいう166年生まれの人物。曹操(そうそう)劉備(りゅうび)とほぼ同世代、後に登場する孫権よりはずっと年上です。

 

 

黄巾の乱(こうきんのらん)が発生した際には、反乱軍討伐の一武将として活躍しました。年齢のみならず、「黄巾賊(こうきんぞく)との戦いで実戦経験を積み、その過程で各地の群雄たちとの人脈も広げた」という点でも、曹操や劉備とよく似たキャリアの持ち主だったのです。黄巾賊滅亡後、太史慈は劉繇(りゅうよう)という人物の部下に加わります。

 

一騎打ちをする太史慈と孫策

 

その劉繇が孫策(そんさく)と対立した際、太史慈は劉繇軍の中心的な武将として孫策と戦いました。引き分けに終わったとはいえ、一騎打ちを孫策と行ったのもこの時期です。

 

小粒群雄太史慈が孫策に出会うまでの太史慈と孫策

 

結局、劉繇は孫策に敗れますが、この際、孫策は太史慈を自分の部下に迎え入れます。孫策の厚い歓迎に感動した太史慈は、孫策に忠義を尽くすことを誓い、以降は孫策の勢力圏拡大に貢献することになりました。

 

 

赤壁の戦い

 

 

ただし太史慈は西暦でいう206年、赤壁(せきへき)の戦いが始まる少し前に、残念ながら急逝したのです。

 

 

皇帝になることを目論んでいた太史慈

 

 

死の際には、「男として生まれたからには、やがては天下を目指すくらいのことをやってのけたかったが、それができずにこの世を去るのは残念だ」と、意外にも、チャンスさえあれば天下取りに名乗りを上げてみたかったとも取れる遺言を残しています。

 

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一騎打ち

 

 

 

太史慈が長生きしていれば当然その後の緒戦に続々登場していた!

はてなマークな劉備と袁術

 

ではここから、イフ展開を考えてみましょう。太史慈が早世せず、むしろ長生きをしたら、どんな生き方をしたか?

 

藤甲軍(南蛮兵士)

 

まず当然ながら、西暦206年時点で早世しなかった場合、太史慈はさっそく、赤壁の戦いに登場したことでしょう。孫策と互角だった武勇の持ち主であり、この時代きっての弓の名手であったともいわれる太史慈、赤壁でも様々な活躍場面が描かれたでしょう。

 

三国時代の弓兵(兵士)

 

 

赤壁の後にも、孫権軍はたびたび曹操の大軍に攻められピンチを迎えますが、こうした戦いにも太史慈は毎回投入され、曹操軍の有名武将達と張り合う常連の顔となったでしょう。もしかしたら、かの荊州争奪戦や、夷陵の戦いで、劉備軍の前にも手ごわい敵将として現れたかもしれません。

 

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ポイント解説をするYASHIRO様

 

しかし、いかがでしょう?ここまでのイフ展開では、「え?もとの歴史とそんなに変わっていないのでは?」と思った方も多いのでは?

 

太史慈

 

確かに。考えてみたのですが、太史慈が孫権軍で長生きした場合、孫権軍の人材が厚くなって、君主の孫権がマネジメント面で助かるでしょうが、歴史が大きく変わるほどのインパクトがあるかとなると微妙です。

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)書類

 

しかし『正史三国志』における太史慈の記述、気になる点が二つあります。

 

・太史慈についての記述は孫権の部下たちの列伝とは別の章で、あたかも別の勢力下の人物であるかのように登場する

・前述の通り、「本当は天下取りの野心があった」とも取れる遺言を洩らしている

 

太史慈

 

もしかすると太史慈は孫策や孫権の直轄軍下ではなく、孫権の領土内のどこかの独立した太守を任命され、自前の領土と軍を持っていたのではないでしょうか?そうだとすると、そんな立場の太史慈が大活躍できる時期があります。晩年の孫権がかつての部下たちでも容赦なく粛清する暴君と化した時です!

 

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まとめ:太史慈が大活躍するための鍵は・・・年齢!

宴が生き甲斐 孫権

 

史実では、年老いた孫権が暴君となった時、それに対抗できるようなオオモノがいなかったため、呉は乱れてしまいました。もしこの時に、自前の領土と軍を持った太史慈が生き残っていたら?

 

行軍する兵士達b(モブ)

 

かつて自分が忠誠を誓った孫策の弟が呉を自滅に追いやるのを看過できず、孫権に反旗を翻すかもしれません!その場合、孫権に弾圧されそうになっていた武将達が太史慈の基に集まり大勢力になった筈。反乱軍として、かなり勝機があったのでは?

 

三国志を楽しく語るライターYASHIRO様

 

忠義に厚い太史慈のこと、もし孫権を倒したとしても、孫家の血筋は断絶せず、孫権の親族から別の後継者を立て、自分はナンバーツーの座に留まることでしょう。ですが、「天下取りを目指してみたかった」と述懐している太史慈のこと、このような流れで呉のナンバーツーに出世すれば、孫家が弱体化した際に自分が事実上のトップとして政権を握り、駆け込みで三国の一角の長になるかもしれません。すると曹家を傀儡にした司馬一族と孫家を傀儡にした太史慈の対決があったかも!

 

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三国志ライターYASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

ただしこのシナリオの問題となるのは、太史慈の年齢です。前述した通り、孫権よりずっと年上の太史慈。孫権が暴君化する時期に太史慈が活躍するには、なんと彼には七十代後半まで長生きてもらわないといけない!

 

蜀の老将コンビ黄忠と厳顔

 

もしそれをやったら彼はかの厳顔や黄忠をも上回る「老いて盛んな将」の代名詞となったでしょう!とはいえあの時代に七十代後半というのはかなり稀。果たして大老将太史慈が活躍するシナリオ、ありでしょうか、なしでしょうか?

 

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YASHIRO

とにかく小説を読むのが好き。吉川英治の三国志と、司馬遼太郎の戦国・幕末明治ものと、シュテファン・ツヴァイクの作品を読み耽っているうちに、青春を終えておりました。史実とフィクションのバランスが取れた歴史小説が一番の好みです。 好きな歴史人物: タレーラン(ナポレオンの外務大臣) 何か一言: 中国史だけでなく、広く世界史一般が好きなので、大きな世界史の流れの中での三国時代の魅力をわかりやすく、伝えていきたいと思います

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