曹操の軍師として活躍し、三国志好きなら誰でも知っている郭嘉。
そして諸葛孔明をアドバイザーとして向かい入れた後、蜀を建国し三国志の一角を作り上げた劉備。二人には接点が無いと思う方が多いと思います。しかしこの二人には意外に接点があったのです。
劉備が曹操の元へ逃げてくる
劉備は陶謙の跡を継いで徐州を治めることになりますが、袁術と戦っている間に呂布に徐州を奪われてしまいます。
劉備は徐州を呂布に奪われてしまったため、曹操の元へ逃亡。曹操は劉備がやってくると快く迎え入れ、劉備を歓迎するのでした。しかし家臣達は劉備を迎え入れることを快く思っていませんでした。
劉備を殺すべし!!
曹操の軍師になっていた程昱は劉備がやってくると曹操へ「劉備は人をひきつける能力を持っていると思います。ですから彼は殿の下に甘んじているような人ではないでしょう。だからこそいま彼を殺害して後の禍根を絶った方がいいと思います。」と進言。
曹操は「人気のある劉備を殺害して天下の人気を損なうような事をするのはよくないだろう」と言って取り上げませんでした。程昱の他にも「劉備殺害するべし」との声が多く上がっていましたが、曹操は彼らの進言を取り上げませんでした。
郭嘉は劉備殺害に反対
郭嘉は曹操から「みんなが劉備を殺したほうがいいと思うって言うんだけど君はどう思う」と相談されます。
郭嘉は「今劉備には英雄との評判が立っていますが、追い詰められて私達の所へ来て居ます。その劉備を英雄だからと言って殺害すれば、知将や有能な人材達は猜疑心を持って殿を見て、ここから居なくなってしまうでしょう。殿は有能な人が居なくなったら天下統一を果たすのにいったい誰とするのでしょうか。一人の英雄を除いたことで天下の信頼を失うことになるのでやめた方がいいでしょう」と進言します。
曹操は笑って「さすが郭嘉。良く分かっている」と褒めたそうです。この曹操と郭嘉のやり取りは「魏書」に記載されているお話です。しかし郭嘉には劉備の処遇についてもう一つエピソードが残っています。
劉備殺害するべし
曹操は劉備がやって来た時、大事なお客さんとして礼儀を尽くして接待し、豫州の牧の位まであげて歓迎します。
郭嘉は劉備に過剰接待する曹操へ「劉備は人並み外れた才能を持ち、人の心をよく掴んでいます。また彼の部下には関羽や張飛のような一騎当千の武将が付き従っています。私は劉備をよく観察してきましたが、彼は絶対に人の下に甘んじているような人物ではありません。故事に「敵を一日でも野放しにしていれば、数代の禍になると」というではありませんか。直ぐに劉備を殺害するべきだと思います。」と進言します。
しかし曹操は郭嘉の進言を取り上げなかったせいで、劉備が最大の敵として立ちふさがることになるのです。こちらの記述は「傅子」と呼ばれる書物に記載されています。「魏書」も「傅子」も劉備の処遇について郭嘉の言葉を紹介しています。どちらが郭嘉の言葉として的を得ているのでしょうか。
どちらも郭嘉らしい見解
レンは「魏書」と「傅子」どちらも郭嘉らしいと思います。「魏書」の郭嘉のアドバイスは劉備を殺害しない事で曹操の評判をあげようとしています。曹操は郭嘉のアドバイス前に徐州で大虐殺を行っており、曹操の評判はガタ落ちでした。そのため郭嘉は曹操の評判を少しでも回復させるためにこのようなアドバイスをしたのではないかなと思います。
しかし「傅子」の郭嘉のアドバイスも郭嘉らしい一面が覗いています。郭嘉は優れた観察眼を持っており将来を見通す目を持っていたそうです。そのため郭嘉は劉備を生かしていれば、後に禍になることを予見して、曹操へ劉備殺害を進言したと考えることができます。皆さんは劉備の処遇についてどちらの郭嘉の進言が正しいと思いますか。
三国志ライター黒田レンの独り言
正史三国志では郭嘉の進言を二つとも取り上げて記載しています。レンとしては郭嘉の魏書の方が正しいんじゃないかなと考えています。理由としては曹操は郭嘉を深く信頼しており、彼の進言が劉備殺害に動いているならば、他の人も劉備殺害に賛成しているので、多分劉備を殺害したのではないかなと思います。
しかし郭嘉が劉備殺害の反対意見を進言した事で、曹操も劉備殺害を見送ったと考えることが出来るのではないでしょうか。
参考:ちくま学芸文庫 正史三国志魏書等
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