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夏侯覇が蜀へ逃げた本当の理由![郭淮との確執って本当?]

2024年6月27日


 

夏侯覇

 

魏の夏侯淵(かこうえん)の息子・夏侯覇(かこうは)。そして夏侯淵の部下として蜀軍と定軍山で戦った郭淮(かくわい)。二人は一緒に戦ったこともあるにも関わらず、夏侯覇は魏から蜀へ亡命することに。

 

 

郭淮

 

 

 

なぜ夏侯覇は蜀へ亡命することになったのか。夏侯覇が蜀へ亡命することになったのは郭淮が原因だったかもしれません。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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夏侯覇って一体どんな人なの!?

夏侯覇

 

夏侯覇は蜀へ亡命して魏軍と戦うことになりますが、蜀に亡命する前の彼の経歴をここで簡単に紹介しましょう。夏侯覇は定軍山の戦いで蜀軍に父を討ち取られている事から、父の仇を討つ事をずっと考えていたそうです。そんな夏侯覇にチャンスが訪れます。

 

夏侯淵

 

 

夏侯覇は曹真(そうしん)の蜀討伐軍の先鋒を命じられることになるのです。夏侯覇は先鋒として勇んで蜀軍と戦うことになりますが、蜀軍に包囲されてしまい苦戦を強いられる事に。夏侯覇は魏軍の援軍が到着した事で何とか窮地を脱することになり、はじめての蜀軍との戦いは苦い経験となるのでした。この蜀討伐戦の時、夏侯覇は偏将軍でしたが後に右将軍に出世し、蜀軍から攻撃を受けやすい隴西(ろうせい)に駐屯することになります。夏侯覇は隴西の地で異民族から慕われ、部下や兵士達を可愛がっていた為、かなり評判のいい将軍でした。

 

夏侯覇

 

夏侯覇はこれらの功績が認められ、征蜀護軍に昇進することに。征蜀護軍となった夏侯覇は魏へ侵攻してくる蜀軍を退ける勲功を挙げて、軍事面の才能に優れていた将軍でした。その後夏侯覇は蜀へ亡命するのですが、その話を進める前に郭淮がどのような人物なのか紹介しましょう。

 

 

郭淮ってどんな人なの??

 

郭淮は曹操(そうそう)の漢中征伐戦に従軍した後、夏侯淵の部下として配属。しかし郭淮は定軍山の戦いが始まった時、病気で戦に参戦することができませんでした。彼が参戦できない間に夏侯淵は劉備軍に討ち取られてしまいます。魏軍は総大将を討ち取られた事で大混乱することになりますが、郭淮が張郃(ちょうこう)を夏侯淵の代わりの総大将として推挙した事で混乱が収まります。その後郭淮は曹丕(そうひ)の時代になると皇帝・曹丕に気に入られ、雍州刺史に任命されます。郭淮は雍州刺史に任命されると異民族と信用をもって付き合った事がきっかけとなり、異民族からの信頼を勝ち取ることに成功。

 

kawausoと馬謖

 

 

そして郭淮は街亭の戦いが勃発すると蜀の将軍を撃破して勲功を挙げますが、戦が上手かったわけではありません。郭淮は街亭の戦い後、孔明(こうめい)率いる蜀軍や魏延(ぎえん)らに敗北しています。しかし郭淮は戦で敗北した事で大きく成長し、姜維(きょうい)率いる蜀軍の攻撃を防ぎ、蜀軍と呼応して攻め込んできた異民族の軍勢を退かせることにも成功しています。

 

郭淮は長年の功績が評価され、対蜀軍の総司令官の地位に登る事に。上記で夏侯覇と郭淮の経歴をざっくりとご紹介しました。ここからは彼ら二人に接点があったのか紹介していきましょう。

 

 

 

二人に接点はあったの!?

姜維

 

夏侯覇と郭淮の二人に接点はあったのでしょうか。正史三国志を調べてみると二人に接点がありました。夏侯覇は郭淮の部下として蜀軍を撃退するため一緒に戦っています。正史三国志にはこの時二人は別段争うこともなく、協力して蜀軍撃退の為に戦っていました。この時の戦いの時に特段二人の仲が悪いと正史三国志に記載していませんでした。そのため予測するしかありません。

 

レンは夏侯覇と郭淮の二人の仲が悪かったのは、性格の不一致だと思います。例えば、夏侯覇が蜀軍撃退の時に郭淮から強く何か言われたのか。それとも夏侯覇が今で言うパワハラを郭淮からうけたのかもしれません。もしくは郭淮が自分よりも格下の夏侯覇に生意気な態度を取られ、ムカついていたのかもしれません。このように反りの合わない人っていると思いますが、二人の仲がそれに当てはまるのではないのでしょうか。

 

 

郭淮との関係が良くないから蜀へ逃亡

司馬懿から逃げる夏侯覇

 

夏侯覇は征西将軍・夏侯玄(かこうげん)の部下でしたが、曹爽(そうそう)が司馬懿に殺害された事がきっかけで夏侯玄が中央へ移動することになります。そして新しい征西将軍には仲の悪い郭淮が就任することに。夏侯覇は郭淮が征西将軍に就任した事で、自分が曹爽に近しい人で、郭淮にそのうち討伐されるのではないかと疑心暗鬼に駆られて蜀へ逃亡するのです。もし郭淮以外の誰かが征西将軍になっていたら、夏侯覇が蜀へ亡命することなく魏の将軍のままだったような気がするのはレンだけでしょうか。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

夏侯覇は雍州刺史郭淮が征西将軍になっただけで逃亡を決意して、蜀へ逃げてしまいます。どうしてそんな事を考えたのか。郭淮が就任した征西将軍の意味から考えてみたいと思います。この征西将軍ですが、普通に考えれば雍州よりも西にある蜀を打つための将軍の位と考えることができます。上記のように考えれば夏侯覇が逃亡する必要がないように思えます。でも夏侯覇はビビって逃亡してしまいます。

 

いくら夏侯覇と郭淮の仲が悪かったからって、郭淮が征西将軍に就任した程度で逃亡する事でしょうか。レンは逃亡した理由を推測で考えてみました。もしかしたら郭淮が征西将軍に就任した時、郭淮の駐屯地より西に夏侯覇が駐屯していたのかもしれません。このように考えれば西を征伐する将軍の位(蜀の他に夏侯覇も含んでいるかもしれない)征西将軍に就任した郭淮を恐れて、夏侯覇が逃亡した事も頷けると思いますが、皆さんはどのように思いますか。

 

参考 ちくま学芸文庫 正史三国志魏書 今鷹真・井波律子訳など

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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