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[血の三国志]華麗なる将軍たちの背後に隠された残酷物語

2024年10月12日


 

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袁術

 

 

千里が万里に、千金が万金に、千歳が万歳に…。時代が下るにつれてどんどん誇大になっていく表現。詩仙・李白(りはく)「秋浦歌」にも「白髪三千丈」という句が見えますが、白髪の長さが9km!?そんなわけないだろう!と真に受けてはいけませんよ。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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壮絶!血塗られた『三国志演義』

張飛

 

詩に限らず、誇張表現はあらゆる書物に見られます。そしてそれは『三国志演義』も例外ではありません。

 

韋背上又中一槍、乃大叫数、血流満地而死

(背に一本の槍が突き刺さり、典韋は数回絶叫したかと思うと、辺り一面を満たすほど血を流して死んだ。)

 

衆視之、乃前日動手殺于吉之小卒、被剣砍入脳袋、七竅流血而死

(皆がこれを見てみると、前日于吉を殺した兵だったのだが、

剣で頭をたたき切られ、目・耳・鼻・口の七つの穴から血を流して死んでいた。)

 

劊子手以刀搠其口、流血満地、大罵不絶而死

(耿紀は処刑人に刀でその口をえぐられ、

血を辺り一面に流しながらも、大声で罵ることをやめずに死んでいった。)

 

などなど、出血大サービス。何かあれば血煙が上がる『三国志演義』。今回は真っ赤な彼岸花を咲かせて壮絶に散った3人の将軍を紹介しましょう。

 

 

落ちぶれた自分に絶望…袁術

袁術

 

自ら皇帝を僭称するなどやりたい放題だった袁術(えんじゅつ)。豪奢な生活を維持するために民草のケツの穴の毛までむしり取る勢い。しかし、そんな袁術に愛想をつかした家臣はどんどん離反していき、袁術の次第に勢力は弱まっていきました。

 

方天画戟を持つ呂布

 

時が過ぎ、呂布(りょふ)曹操(そうそう)が対立。袁術はこれを好機とみて呂布と同盟を結びますが、呂布は曹操に討たれてしまいます。他に味方が無かった袁術にも不幸が立て続けに起こり、壊滅寸前。一縷の望みをかけて袁紹(えんしょう)を頼りますが、その道中に病を発症してしまいます。袁術は最期に蜂蜜を溶かした水を求めますが、「そんな贅沢なものはありません」と断られ、「このわたしがこのざまか!」と絶叫したかと思うと、寝床から転げ落ち、2Lあまりの血反吐を吐いて亡くなってしまいました。

 

諸葛亮を出し抜けない…周瑜

周瑜

 

呉の重臣・周瑜(しゅうゆ)。美男子である上に、智謀にも長けていたとされています。その上、美女として名高い小喬(しょうきょう)を妻として迎えたという何とも羨ましい人物。しかし、『三国志演義』では最期の最期まで諸葛亮(しょかつりょう)に翻弄され続けます。諸葛亮にどす黒い感情を抱く周瑜。10日のうちに10万本の矢を集めろと無理難題をふっかけて殺そうとするも、あえなく失敗。諸葛亮は空の舟を使って見事10万本の矢を手に入れてしまいます。

 

曹操を討つのに火計を用いることにした周瑜。しかし、問題は風。周瑜は悩みすぎて何度も血を吐くほど病んでしまいます。ところが、諸葛亮が東南の風を吹かせると言ったことにより、病状はみるみる回復。風が吹かなくても、諸葛亮を葬り去ることができると思ったのでしょう。実際には諸葛亮の言葉通り東南の風が吹き、赤壁の戦いで大勝をおさめた周瑜。その後、益州を攻め落として足掛かりとし、曹操を攻めようと企てた周瑜でしたが、遠征の準備の最中に倒れてしまいました。そんな折、諸葛亮から手紙が届きます。

 

「天然の要害に守られている益州を落とすのは困難かと思われます。

途中で曹操も攻めてくるでしょう。」

 

これを読んだ周瑜は天を仰ぎ、血を吐き散らしながら絶叫!「天はすでに周瑜を生みながら、なぜ諸葛亮をも生んだのか!」最期まで諸葛亮を出し抜けなかった周瑜でした。

 

 

ほぼ逆恨みで憑り殺される…呂蒙

呂蒙

 

本来呉の領土であるはずの領土を返さない蜀の態度に業を煮やしていた孫権(そんけん)。呉の孫権に仕えた忠臣・呂蒙(りょもう)は、湘関でふんぞり返る関羽(かんう)を討つために策を練ります。

 

樊城を落とすことに躍起になっていた関羽を更に油断させるために病気のふりをし、更に商人のふりをして関羽の見張りを突破。公安・南郡を占拠した上で、関羽の兵士の家族を保護するなど、民草の心をつかむ政治を行いました。そして、家族が保護されていることを知った関羽軍の士気は完全にそがれてしまいます。呂蒙は関羽を完全に孤立させて益州への退路を断ち、関羽を死に追いやることに成功

 

しかしその後、呂蒙に異変が起こります。呂蒙は宴の席で突然孫権につかみかかり、「生きてお前を殺すことはできないが、死んでいても呂蒙の魂くらいは道連れにしてやる!我こそは関羽雲長なり!」と絶叫。

 

体中の穴という穴から血を噴き出して死ぬという壮絶な最期を迎えたそうな。たしかに呂蒙の計略で死んでしまったけれど…ちょっと不憫な呂蒙。いかがでしたか?

 

他にも真っ赤な彼岸花を咲かせて逝った将軍はたくさんいますが、この3人は特にインパクトが大きいですね。しかし、このような大げさともとれる表現がたくさんあるからこそ、その情景がまざまざと浮かんでくるのも確か。血煙上がる描写の数々が『三国志演義』の面白さを引き立てているのかもしれません。

 

 

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