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孫呉を支えたラストサムライ[張悌]の英雄譚に迫る

2024年10月22日


 

孫呉は孫権(そんけん)が兄・孫策(そんさく)から領土と家臣を引き継いで、天下の大半を領有していた魏と戦い続け、揚州を保持し続け三国志の一角を占めることになります。

 

 

 

孫権の時代には周瑜(しゅうゆ)魯粛(ろしゅく)甘寧(かんねい)など、優秀な指揮官や政治家武将などが多くいたため勢力を拡大していきます。しかし孫権死後国内のゴタゴタや宰相が権力を握ってやりたい放題やっていたことから、国内はボロボロになってしまいます。

 

孫晧(孫皓)

 

そして孫呉最後の皇帝孫皓(そんこう)が皇帝になった際、蜀を滅ぼして天下の9割を手中に収めていた晋の攻撃を受けて滅亡してしまいます。この時孫呉のために戦い抜いた武将達が多くおりました。今回は孫呉の滅亡に際して戦い抜いたラストサムライをご紹介したいとおもいます。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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孫呉の滅亡に際して戦い抜いたラストサムライ:孫呉最後の丞相・張悌(ちょうてい)

 

孫呉の滅亡に際して戦い抜いたラストサムライは、孫呉最後の丞相に就任した張悌(ちょうてい)です。張悌は丞相に就任する前に蜀が魏の攻撃を受けたことを知ります。この時、孫呉の家臣のある人が張悌へ「魏の攻撃を受けても蜀は滅びないんじゃないか」と述べます。

 

しかし張悌は魏と蜀の戦力差を説明した後「蜀は必ず魏に敗北することになり、魏が蜀を滅亡させることができれば、孫呉に危機が訪れることになるでしょう。」と予想を述べます。張悌からこのことを聞いた孫呉の家臣は驚きと共に張悌の予想に大笑いしたそうです。だが事実は皆さんが知っているとおり蜀は鄧艾(とうがい)の活躍によって、滅亡することになってしまうのでした。

 

このように張悌は物事に対して優れた予見力を持っている人物でした。予見力に優れた張悌ですが孫呉のラスト・エンペラー孫皓から、丞相に任命されることになります。さて丞相になった張悌ですが、一所懸命政務に励んで孫呉の国を立て直そうとします。だが孫皓の時代になって国土は荒れ果ててしまいどうにもなりませんでした。そんな時、晋の大軍が多方面から攻撃を仕掛けてくることになります。

 

諸葛靚(しょかつせい)

 

張悌は孫皓から命じられて晋軍を迎撃するために出陣。張悌の部下には諸葛誕(しょかつたん)の息子・諸葛靚(しょかつせい)と沈瑩(しんえい)が付けられておりました。諸葛靚は剛毅な性格でありながらしっかりと状況を的確に判断する能力を有しており、幾度も張悌に的確なアドバイスを出します。また沈瑩は特殊部隊・「青巾兵(せいきんへい)」と言われる精鋭部隊を率いており、今までいくつもの戦を経験すると共に何度も防御に秀でた陣営を切り崩してきたそうです。張悌は優秀な二人の武将を率いて晋軍を迎撃に出撃することになります。

 

 

晋軍を降伏させる

 

張悌率いる孫呉の軍勢は楊荷橋に駐屯していた晋軍を攻撃。楊荷橋に駐屯していた晋軍は孫呉の軍勢の攻撃に耐えることができず、張悌へ降伏の使者を出します。張悌は楊荷橋に駐屯していた晋軍の降伏を受け入れることにします。張悌の軍師役を勤めていた諸葛靚は「奴らを受け入れるのは良くないでしょう。

 

奴らは本心で孫呉に降伏したわけではなく裏切る可能性があります。裏切られて危機に陥るよりも奴らを全員殺害して、我が軍の士気を上げるのがいいのではないのでしょうか。」と進言。しかし張悌は諸葛靚のアドバイスを受け入れずに晋軍の降伏を受け入れてしまうのでした。これが後に大変な禍を招くことになります。こうして晋軍を加えた張悌の軍勢は晋軍と対峙していた味方の軍勢と合流して、晋軍へ攻撃を開始することになります。

 

 

四方八方から攻撃を受ける

 

張悌は沈瑩率いる青巾兵を先鋒に立てて攻撃を行います。青巾兵は今まで固く守りを固めた敵陣をいくつも撃破している事もあり、自信満々で出陣していきます。だが青巾兵の猛攻を受けても晋軍の陣地はビクともせず、反対に猛反撃を仕掛けてくる有様でした。青巾兵は晋軍の陣地を陥落させることができないことを知ると著しく士気が低下。そして青巾兵は一度撤退しようと後方へ進み始めると大混乱が起きてしまうのでした。孫呉の軍勢が大混乱に陥った事を知った晋軍は、孫呉の軍勢の後方に陣地を敷いておりましたが、いきなり反旗を翻して孫呉の陣営へ攻撃を開始。諸葛靚の予想が当たってしまうのです。

 

 

孫呉の軍勢大敗!!その時張悌は・・・・

 

張悌率いる孫呉軍は前方の晋軍と降伏して後方にいた晋軍からも攻撃を受けてしまい、挟み撃ちの状態になってしまいます。孫呉軍は晋軍の挟み撃ちの攻撃によって、兵士達は逃げる者や命令を聞かずにあたふたしてしまう者など大混乱。晋軍は孫呉の軍勢が混乱しているチャンスを見逃すことなく激しい攻撃を加えます。

 

張悌の軍師役であった諸葛靚は軍勢をまとめて退却するため、張悌へ使者を送りますがその使者が帰ってくることはありませんでした。そのため諸葛靚は自ら少ない軍勢を率いて張悌の陣営へ向かいます。諸葛靚は張悌が孫呉軍を指揮して晋軍と必死に闘っている姿を発見。

 

諸葛靚は張悌の側へ行き「丞相。孫呉の存亡はあなた一人でどうにかなる状態は、とうに過ぎているのに、どうして死に急ぐのですか。」と尋ねます。すると張悌は涙を流しながら諸葛靚へ「ありがとう諸葛靚殿。しかし私は今日死ぬべきなのだ。だって孫呉の国が滅亡しようとしているのに誰も一緒に死なないのでは、孫呉の国が可哀想じゃないか」と言って諸葛靚の手を払って敵陣へ突撃。諸葛靚は張悌の言葉を聞いてボロボロと涙を流してその場を去って退却していくのでした。その後張悌は晋軍の兵士達に串刺しにされて討ち死にしてしまうのでした。孫呉の滅亡時に戦い抜いたラストサムライと言える壮絶な最後を遂げた張悌をご紹介しました。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

今回は孫呉の最後を飾ったラストサムライをご紹介しました。張悌は孫呉の国に殉じて亡くなりました。なぜ張悌は亡くなったのでしょうか。レンの推測ですが、もしかしたら諸葛一族に関係があるかもしれません。張悌は子供の頃、諸葛孔明に褒められた事があったそうです。

 

諸葛一族

 

そのため諸葛孔明を尊敬しており諸葛一族も尊敬していたのではないのでしょうか。諸葛一族は各国に仕えておりましたが、蜀に仕えていた諸葛噡(しょかつせん)・諸葛尚(しょかつしょう)親子は、蜀の滅亡時に討ち死にしております。更に魏に仕えていた諸葛誕も司馬家に反乱を起こして討ち死に。

 

このように諸葛一族は見事な最後を迎えており、諸葛一族を尊敬する張悌も諸葛噡親子や諸葛誕を見習ったのかもしれませんね。ここで少し話は変わりますが張悌の他にも孫呉の滅亡に殉じたラストサムライ達は、いっぱいいます。陸抗の息子である陸機(りくき)・陸雲(りくうん)の兄弟のお兄ちゃんである陸妟(りくあん)、陸景(りくけい)、陸玄(りくげん)です。

 

陸妟、陸景、陸玄の三兄弟は陸抗が亡くなった後、陸抗が率いていた軍勢を分割して率いることになります。しかし晋の水軍を率いていた王濬(おうしゅん)の精鋭部隊の攻撃を受けてしまい、敗北してしまいます。更に陸妟・陸景・陸玄の三人は逃げることをしないで必死に抵抗して、最後は討ち死にしてしまうのでした。また討ち死にはしていませんが張悌の軍師役であった諸葛靚も意地を見せております。諸葛靚は孫呉滅亡後、晋から幾度も官職について晋のためにその能力を役立ててほしいと言われておきながら、生涯晋で官職につくことなく無官のままだったそうです。

 

諸葛靚の場合は父を司馬家に殺害せれていることもあり、その恨みを忘れないためにこのような行動をとったのかもしれませんが、孫呉を滅亡させた晋に対する恨みもあったのではないのでしょうか。

 

参考 ちくま学芸文庫 正史三国志・呉書 小南一郎訳など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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