張悌(ちょうてい)とはどんな人?呉の滅亡に殉じ、壮烈な死を果たす最後の宰相

2016年1月11日


 

 

呉の歴代丞相には初代丞相は孫卲(そんしょう)から始まり、

顧雍(こよう)・陸遜(りくそん)・歩隲(ほしつ)などが任命されます。

今回紹介する張悌(ちょうてい)は呉の最後の丞相として名を連ねます。

ミスが少ない丞相でしたが晋軍の攻撃から呉の国を守れなかった事を後悔し、

呉の国に殉じた悲劇の丞相なのです。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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呉の三代目皇帝孫休に仕える

 

張悌は呉の三代目皇帝の孫休(そんきゅう)の時代に呉に仕えます。

青年期から文才があり、筋道を通した生き方をしていたそうです。

彼は襄陽出身であったため、幼少期に孔明と会い褒められた事がありました。

呉に仕えた後も孔明に褒められた事を糧にして、

コツコツと一生懸命職務に励みます。

彼は屯騎校尉(皇帝の周りを守備する親衛隊)に任命されます。

 

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蜀の滅亡を予言

 

263年魏軍が大軍を率いて蜀の討伐を開始。

張悌は魏の軍勢が蜀に侵攻した事を知ると、友人と集まり、議論します。

ある友人は「司馬家の基盤が確立されていないから、蜀軍に敗北するはずだ。」

と予想を言います。

しかし張悌はこの発言に賛同せず「司馬家は歴代の曹氏が行った圧政から民衆を

解放しようとしている。そのため曹氏から皇帝の位を簒奪したとしても、

民衆は司馬家の行いに反対しないであろう。また司馬家は兵士の訓練をしっかりと行い、力を養ってきた。

しかし蜀は宦官らが政治を行い、毎年行われる北伐により、

兵士も民衆も皆疲れ果てているだろう。

そのため魏の討伐軍に蜀軍は敗れる可能性は高く、我が国も魏軍に備えなくてはならない。」と友人に話します。

この言葉を聞いた友人は「お前。心配しすぎだぞ。」と笑いながら楽観視していました。

結果は張悌の予想通りになり、蜀は魏に降り滅亡してしまいます。

 

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孫晧が皇帝の位を継ぐ

劉邦 農民

 

三代皇帝孫休が亡くなると、皇帝の位を孫晧が継ぎます。

陸凱は孫休の時代から丞相を務めており、孫晧も彼がいる間は凶暴性に歯止めをかけていました。

しかし陸凱が亡くなると、孫晧は自らの好き放題やりたいため、丞相を数年間、任命しませんでした。

そのため民衆は疲弊。

群臣は国を引っ張る丞相の必要性を感じていましたが、

孫晧の凶暴性に恐怖し、誰も意見を述べませんでした。

 

孫晧の一声で丞相へ

 

孫晧は突然張悌を呼び「お前明日から、丞相やれ」と命じられます。

張悌はいきなりの事でビックリしましたが、呉の国を良くするため承諾。

次の日から張悌は税を安くし、軍の力を強くするため

訓練を強化するなど、色々な政策を実施。

しかし呉の国はその程度の政策じゃ立ち直れないほど、弱っていました。

 

滅亡へのカウントダウン

 

張悌が丞相になって一年後、呉の国にとって緊急事態が起きます。

晋の軍勢が六方面から同時侵攻を開始したと知らせが入ります。

張悌はすぐさま孫晧の元に行き、報告します。

孫晧は報告を受けると「お前に三万の軍勢と三人の将軍を預ける。晋軍を迎撃せよ」と命令を受けます。

張悌は孫晧の命令を受け、自ら三万の軍勢と三人の将軍を率いて迎撃に出ます。

 

決死の覚悟で長江を渡る

 

 

張悌は軍を率いて首都・建業の地から近い牛渚(ぎゅうしょ)に駐屯します。

この地で駐屯すると同行している将軍から「丞相。益州から来る軍をこの地で待って、

迎撃するのが良いでしょう。

もし長江を渡って敵軍を迎撃して敗北すれば、呉の国は終わりです。」と悲壮感を漂わせながら進言。

張悌はこの進言を聞き、ゆっくりと口を開きます。

「呉の国は生きるか、死ぬかの瀬戸際に立っている事は、

誰もが知っている事だ。もしこの地で晋の軍勢を待ち受けたら、

民が恐怖で怯え、収集できない状態になるだろう。

そのため私は長江を渡って迎撃の陣を敷くつもりだ。」

と反対意見を述べます。

いざ決戦へ

 

張悌は軍勢を率いて長江を渡り、迎撃の陣を敷きます。

張悌は晋の軍勢が近づいてくると、突撃を開始。ここに決戦の火ぶたが切られます。

大軍である晋軍を前に一歩も引かず善戦。激闘は数時間に及びますが、

晋軍の大軍の前に呉の軍勢は敗れます。

諸葛誕(しょかつたん)の息子諸葛靚(しょかつせい)は、

五百人程度の軍勢をまとめ、張悌の元に向かいます。

彼は張悌を見つけると「丞相。すぐに退却しましょう。」と促します。

しかし張悌は頷きませんでした。

 

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責任を感じ、国に殉じた丞相

 

諸葛靚は再度「早く退却の準備をしてください。敵はそこまで迫っています。」

と強い言葉で促します。

だが張悌は頷かず彼に「仲思(諸葛靚の)よ。今日ここで死ぬ。

私が幼い頃、君の家の丞相である孔明殿に褒められた事があった。

褒められてから今日まで、一生懸命頑張ってきたが、国を支える事が出来なかった。

国を支える事が出来なかった罪は私にある。そのため自らの命をもって国に殉じよう。

この決意は変わらないから君は早く退却しろ。」と諸葛靚に自らの覚悟を伝えます。

諸葛靚は涙を流しながら、その場を離れます。

張悌は諸葛靚が居なくなると、剣をふるって突撃。

その後彼は乱戦の中、討ち取られます。

 

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三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

呉はその後皆さんが知っている通り晋に降伏。

三国時代は呉の降伏によって幕を閉じる事になるのです。

亡国と運命を共にした張悌の死にざまは、呉の滅びに華を添えたと思います。

蜀の滅亡時は国と運命を共にした臣は少なからずいましたが、清々しい死に方をした臣はいません。

それに比べれば張悌が国に殉じた事で、

晋にすんなりと降伏した訳じゃないぞと後世にアピールする事になったのではないでしょうか。

今回のお話はこれでおしまいにゃ。次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。

それじゃまたにゃ~

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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