「三国志って噓ばっかなんだが!?」と言われると、大雑把に言うとこの場合の「三国志」というのは一般的に「三国志演義」のことであり「正史三国志」と言われる陳寿の三国志と比較して、嘘ばっかりだ、と言っている方が多くいると思われます。
では三国志演義は噓ばっかか?
そう言われるとどうにも反論したくなるのが三国志大好きファンの性、いや業と言うべきもの。今回は「噓だらけの三国志(三国志演義)」に迫っちゃうぞ!
この記事の目次
三国志演義って噓ばっか!?
さて、まずは一言もの申しておきたいのですが。正史三国志は歴史書であり、三国志演義とはその正史三国志を基にして書かれた歴史小説、つまりはフィクションです。
なので三国志演義を読んで「歴史書と違うのだが?」と言われると「小説と現実をごっちゃにしちゃなんねーぜボーヤ(ミルクしゃっ)」となるのですね。(※演出は不必要です)なのでこの場合、噓ばっか、というよりは脚色が過多、というべきであると思います。
三国志に脚色が生まれていく理由は?
ではどうして脚色が生まれていくか、を考えてみましょう。まず一番に考えられるのは、面白いから。もっと言うと「読者受けが良いから」というのがあると思います。
例えば三国志演義は蜀びいきで曹操が悪役化されている!という指摘がありますが、これには三国志演義が流行った時代の民衆からは曹操が悪役でやり込められている箇所の方が人気があったから、とも言われています。人気が出るテーマがあればそちらに傾向が偏る、現代でも良くあることですね。
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正史三国志と陳寿(そして時々裴松之)
ここらで陳寿の記した正史三国志と呼ばれる、歴史書の三国志に移りましょう。こう言っては何ですが、正史三国志は三国志の歴史に、人物に興味がない人が手を取ることは、そして読み込むことはほぼないのではないでしょうか。というより三国志演義から正史三国志を見ようとして、驚く人も多いと思います。
読み物としての面白さは断然三国志演義です。とは言えそれも当然です、正史三国志とは歴史の記録書なのですから。
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正史三国志は噓ばっかではないのか?
ここで問題として挙げてみたいのですが、正史三国志は正しいことばかりなのか?ということです。
これは良く言われることですが、正史三国志に記録がない人物は陳寿にワイロを渡さなかったからだ、とか言われている件もあるように、正史三国志が全てが全て真実であるかと言われると、それに疑問点がない訳ではありません。
そもそもこの正史三国志が作られたのが、魏でも蜀でも呉でもなく、晋による三国統一がなされた後。そして陳寿は元々蜀の出身でした。このため、全てが全てにおいて事実が書かれているかと言うと……それを確認する手段は私たちにはない、というのが答えとなるのですね。とは言え間違いなく、歴史書としての三国志の価値は高いものであり、様々な記録をまとめてある、一級品の歴史書と言えるでしょう。
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不満点はどこから生まれるのかを考えると、納得もアリ
じゃあどうして三国志演義は噓ばっかと言われてしまうかと言うと……まあ、三国志演義の方の知名度が抜群に高く、その三国志演義をベースとしたドラマ、小説、ゲームが多いから、となるでしょうか。これらは三国志の世界への扉として大きく、入りやすいのが特徴です。
ただそれ故に三国志演義で……主に実際の活躍が削られる、あるキャラクターの引き立て役にされる、こういうシーンが多くなることによって、いわゆる「ヘイト」を買うことになってしまうのは仕方のないことだと思います。「実際はもっとすごいもん!」って言いたくなりますよね、とても よく わかる !
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三国志演義は、本当に蜀を贔屓して描かれているのか?
そこで良く言われる、三国志演義は蜀びいき。特に劉備、関羽、諸葛亮の贔屓が強すぎる!ええ、とても良く分かります。しかし全てが全て、そうでない場合もあるのではないでしょうか。
三国志演義を見ていて、逆に劉備のお人好しさにイライラさせられることはありませんか?関羽の言動がちぐはぐに感じる時はありませんか?諸葛亮を見てすごいと言うより「なにこいつ」と思ってしまうこと、ありませんか?
逆に例えば敗北させられたのに潔い謝罪シーンがあったり、苦悩に苦悩を重ねる姿に同情してしまったり、ある種、そのまま完璧超人として出すよりも人間味がある人物も多々あり、一概に蜀びいきだけ、とも言えないのが三国志演義の面白さだと思います。
歴史と歴史ドラマの相違点
歴史と歴史ドラマには相違点があります。それは当然のことであり、寧ろ適度な脚色は、時に必須とも言われる要素となり得るのです。しかしまず歴史ドラマや歴史小説に大事なのは「面白さ」だと思うのです。面白くなければ、興味を持ってもらえなければ、それは入り口にすらなりません。「三国志って面白くないなー」とか言われてしまうの、筆者は耐えられません!
違いは、演出は、脚色は。それは歴史を知っているからこそ分かることでもあります。嘘を嘘と見抜くのではなく、違いを違いと楽しんでみる。まずは楽しみを、見つけてはどうでしょうか。
三国志ライター センのひとりごと
例えば三国志でも三国志演義でも、見ていてすっげーなと思うのに筆者は合肥の張遼があるのですが。
三国志演義でも凄いのに、正史を見るとなんかもうおかしいこと書かれている……というのが合肥の張遼。さあここで一言「事実は小説より奇なり」。
これは調べてみなければ分からないことです。こういう「面白さの違い」を指摘するのではなく、見つけてどう楽しむか。そこが三国志沼の第一歩、ぜひ飛び込んでみて下さいね。どぼーん。
参考:三国志演義
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