三国志にはもしあの時こうしていればと思うような出来事がいくつかあります。例えば、官渡の戦いの時、劉備軍や孫策軍が曹操の領土へ攻撃をしていれば、どうなっていたのか。
また曹髦が司馬昭を殺害していれば、三国時代はまだまだ続いていたのかなど、考えればいくつかあると思います。そして今回はこのもしあの時こうしていればを赤壁の戦いで考えてみたいと思います。もし赤壁の戦いに曹休が参加していれば、曹操軍は赤壁の戦いに勝利することができたのでしょうか。
赤壁の戦いとは?
もし曹休が赤壁の戦いに参加していれば、勝つことができたのかどうかを紹介する前に赤壁の戦いがどのようなものかざっくり簡単に紹介したいと思います。
赤壁の戦いは曹操軍が荊州を領有した後、劉備と孫権を討伐するために行われた戦です。曹操軍は荊州・江陵から軍勢を進め、劉備・孫権連合軍と対峙することになります。
孫呉は黄蓋がアドバイスした火攻めを周瑜が採用し、曹操軍へ火攻めを開始。
曹操軍は孫呉の火攻め作戦によって、大損害を受けて敗北してしまいます。赤壁の戦いをざっくりと上記で説明しましたが、この戦いに曹休が加われば、勝つことができたのでしょうか。
曹休が赤壁の戦いに加わったとしても・・・・。
もし赤壁の戦いに曹休が参加することが出来た場合、勝つことが出来たのでしょうか。多分レンは難しかったと思います。
理由は赤壁の戦いには荀攸や張遼、曹仁、李典など曹操軍の軍師や歴戦の将軍が参加していました。また曹操自身も戦略家として優れた能力を持っています。
曹操軍は優秀な軍師や歴戦の将軍が居たにもかかわらず、赤壁の戦いで火攻めを受けて大敗北。上記の理由から曹休がこの歴戦の将軍や軍師達と共に赤壁の戦いに参加することが出来たとしても、赤壁の戦いに勝つのはかなり難しかったのではないのかなと思っています。
また曹休が孫呉の火攻めの計画を看破することが、出来たとしても勝つのは難しかったと思います。それは赤壁の戦いで曹操軍が敗北した原因が火攻めだけではないからです。
曹操軍の敗北原因は火攻めだけじゃない!?
曹操軍は孫権軍が行った火攻めによって敗北したことは、「はじめての三国志」を読んでいる読者なら、知っている事だと思います。しかし曹操軍が赤壁の戦いに敗北した理由は、火攻めだけではありません。では曹操軍は火攻め以外のどのような理由で敗北したのでしょうか。それは疫病です。
江東は多くの疫病が発生している地域で、「傷寒論」を書いた張仲景も一家や親族を合わせて200人以上を疫病によって失ってしまいます。このように江東一帯は疫病が発生しやすい土地で、曹操軍も江東で発生した疫病のせいで、赤壁に曹操軍が到着して劉備・孫権連合軍と対峙した時、多くの兵士達や官吏たちが疫病で亡くなってします。
そのため曹操軍は何十万もの兵力を率いて江陵を出陣しましたが、赤壁に着いた時には戦える兵力も激減し、戦力も大きく低下していたと思われます。そのため曹休が孫権軍の火攻めを防ぐことが出来たとしても、疫病を防ぐことができず、結局退却することになっていた可能性が高かったのではないでしょうか。
三国志ライター黒田レンの独り言
江東には多くの疫病があり、そのため曹操軍も赤壁の戦いの時に孫権軍からの火攻めによる損害よりも江東に存在している疫病による損害の方が多かったかもしれません。
もし曹休が赤壁の戦いに参加しても、江東にある疫病を予防する対策を考えることができず、結局敗北したことになると思いますが、皆様はどのように思いますか。
■参考 正史三国志魏書・呉書など
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