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周處(しゅうしょ)とはどんな人?必ず負けると分かっていながらも、戦い抜いた闘将【晋の将軍列伝】

2016年3月24日


 

父は呉の謀臣として魏の曹休(そうきゅう)をおびき寄せ、「石亭の戦い」で大勝を治めた周魴(しゅうほう)です。

その息子である周處(しゅうしょ)は父の跡を継ぎ、呉の臣として活躍します。

呉が晋に降伏した後は晋の臣下として内政や異民族討伐で数々の活躍を見せます。

しかしある戦で彼は必ず負ける戦と分かりながらも上司からの命令に素直に従って

大軍である敵軍に対して、少数の軍勢を率いて戦い抜き、

敵兵を一万人程倒し戦死する事になる晋の将軍周處を紹介します。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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青年期から常人離れした強さを持つ

 

 

周處(しゅうしょ)は父・周魴(しゅうほう)が亡くなると周家の頭領として跡を継ぎます。

彼は二十歳を過ぎた頃から、常人を超えた強さをもっており、近隣の村で彼に勝てる

大人はいませんでした。

彼はその常人離れした強さから、野を駆け回って狩りを行い、自分に逆らう者は

片っ端からぶっ飛ばし、好き放題暴れまわっていました。

 

村の古老から悩みを打ち明けられる

 

 

彼はこうして毎日を過ごしていましたが、そんなある日村の古老と出会います。

周處は浮かない顔をして歩いていた古老を見て「最近は平和で、作物も豊作なのに

なぜ古老は浮かない顔をしているのだ」と問いかけます。

すると古老は「三つの害悪が取り除かれていないから、喜べないのだ」と答えます。

彼は「その三つの害悪とは一体何なのだ」と質問します。

すると古老は「南山に潜む猛獣と橋の下にいる蛟(みずち=蛇に似た獣)、

そしてあなたがいるせいで私を始め村の人々は困っているのだ。」と答えます。

すると周處は「分かった。我がその猛獣たちを退治してやる」と答えます。

 

猛獣との戦い

 

 

周處は南山に向かい猛獣を弓矢で倒します。

その後村の橋の下に向かい、水中へダイブ。

蛟を見つけると、この猛獣と格闘を開始。

周處は蛟と水中を浮いたり沈んだりしながら数十里流されますが、必死に戦い、

三日三晩蛟と格闘を繰り広げます。

村人達は周處が三日間、村に姿を表さない事を喜び、宴会を行います。

周處は何とか蛟を倒して、村に帰りますが、村人から嫌われて居る事に気付き、

ショックを受け、村を去ります。

 

学問に目覚めて、呉に仕える

 

 

周處は村を去った後、学問に励みます。

彼は一生懸命学問に打ち込み、孫晧の時代に呉へ仕え、

孫晧(そんこう)から軍を統率する無難督(ぶなんとく)に就任します。

しかしこの時の呉は滅亡へ向けて突き進んでおり、非常に危険な状態でした。

 

呉の滅亡

 

 

晋の将軍である王渾(おうこん)は呉の都建業を陥落させ、宮殿で勝利の宴を行います。

周處もこの宴会に参加しておりました。

王渾は全員に酒を配り終えると、降伏した呉の臣に

「国は亡くなり今後の憂いが無くなりましたな」と話しかけます。

この呉の臣は侮蔑の言葉を向けられるもなんとか腹に怒りを収めて、

耐え抜きます。

 

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王渾に怒りを向ける

 

 

周處は王渾の言葉を聞くと大いに怒り、彼の前へ進み出て

「漢の末期に国が三つに分かれて三国が出来上がった。

あなたも以前は魏の臣下であったはず。

私達のみが亡国の生き残りではなく、

あなたも亡国の生き残りでしょう。」と見事に切り返します。

この言葉に王渾は言い返せず、黙ってしまいます。

 

異民族と上手に付き合う

 

 

 

周處は晋に降伏した後、新平太守(しんぺいたいしゅ)に任命されます。

新平は異民族の領土に近い土地で、治めるのは難しいと言われておりました。

しかし彼は周辺の異民族と上手に付き合い、長年反乱を起こしていた羌族(きょうぞく)

を帰順させます。

異民族の略奪に困っていた新平の人々は彼を褒め称えます。

周處はこうして新平を上手に治め、内政と郡を治める能力がある事を内外に

知らしめます。

 

貴族であろうと厳しく罰する

 

 

周處はその後御史大夫(ぎょしだいふ)となり、

高位の位にいる貴人や皇帝のお気に入りの臣などが罪を犯した場合、

容赦なく罰します。

この時貴族であった司馬肜(しばゆう=司馬懿の息子)が罪を犯します。

融通の効く臣下であれば、皇室に連なる人が罪を犯した場合、手心を加えるのですが、

周處は彼を法に則って厳しく罰し、秩序を重んじます。

司馬肜は周處に厳しく罰せられた事を恨みます。

 

氐族の反乱を討伐せよ

 

 

周處が御史大夫として辣腕をふるっていた頃、氐族の斉萬年(せいばんねん)が

大規模な反乱を起こします。

晋の朝臣らは周處を疎ましく思っており、

彼に斉萬年討伐をするよう皇帝に推薦。

皇帝は朝臣らの意見を聞き、夏候駿(かこうこうしゅん)の部下に彼を配属し、

斉萬年討伐を命じます。

夏候駿は周處に斉萬年討伐の先鋒を命じます。

 

司馬肜の悪意

 

 

斉萬年討伐の総大将は司馬肜です。

彼は周處から受けた辱めを忘れず、いつか恨みを晴らそうと考えておりました。

そして司馬肜にとって最大のチャンスが巡ってきます。

彼は自分の部下に周處が配属されたと知り、長年抱いてきた

恨みを晴らそうと考えます。

 

 

周處を心配する周りの声

 

 

 

孫秀(そんしゅう)は周處を心配し

「司馬肜が総大将になった今あなたは非常に危険な状況に

置かれている。あなたには老母が居るのだから、それを理由にこの戦いから

身を引いた方がよい。」とアドバイスします。

しかし周處は「国に対する忠と母に対する孝。この二つを全うする事は

私にはできない。」と答えます。

また中書令の陳準(ちんじゅん)も周處を心配し、

皇帝に対して「将軍である孟観(もうかん)に兵を与えて、周處の先鋒にすれば

賊軍を蹴散らすことができるでしょう」と提案します。

しかし晋の皇帝は彼の進言を受け入れず、

周處を従来通り先鋒で戦わせる方針を変えませんでした。

 

絶望的な戦い

 

 

そして斉萬年討伐戦が開始されます。

斉萬年は梁山(りょうざん)に七万の兵と共に立てこもります。

夏候駿は梁山の麓に着くと、周處に「お前に五千の兵を授ける。この兵を率いて

敵の先鋒に当たれ」と命じます。

彼は夏候駿の命令に対して「先鋒として戦うのはいいのですが、

私の後に続く兵がいなければこの戦いは必ず敗北します。」と進言。

夏候駿はこの言葉を聞いて、総大将である司馬肜の所へ向かいます。

司馬肜は夏候駿から周處の言葉を聞くと怒り、すぐに伝令を呼び

「周處へすぐに先鋒として賊にあたれ、これは総大将の命令だ」と伝えます。

伝令は周處の陣へ行き、総大将の言葉を伝えます。

周處は総大将の命令に反論せず、素直に命令を受託。

こうして周處は絶望的な戦いを斉萬年に挑みます。

 

天下に己の武勇を示す

 

 

周處は七万の敵軍に対して五千の兵で突撃していきます。

後続には彼に続くものは一人もおらず絶望的な戦いでした。

周處は早朝から敵軍に突撃をかけ、夕方まで戦い続けます。

その結果斉萬年率いる賊軍に全員が討たれ、亡くなってしまいます。

しかし斉萬年率いる賊軍に与えた損害は大きく、

周處率いる五千の兵を全滅させるのに一万人以上の兵が討たれておりました。

この比類なき強さを見た斉萬年は敵である周處を褒め称えます。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

晋中期の闘将と言っても過言ではない周處を紹介しました。

彼は父周魴のような謀略型の武将ではなく、猛将の類に入る武将でした。

そんな猛将タイプの彼ですが、内政面は勉学を一生懸命行ったおかげで、

初めて太守になった時、異民族を手なずけ、猛将ではない

文官としての能力もしっかりと見せます。

それにしても文武両道を備えた将を使いこなせない司馬家は、

滅びても仕方が無いように思えます。

もし司馬家が彼のような逸材を使いこなしていれば

八王の乱で晋が異民族に領土を取られ、江南に逃げる様な

失態を犯さずに済んだかもしれません。

「今回の三国志のお話はこれでおしまいにゃ。

次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう

それじゃまたにゃ~。」

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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