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諸葛恪、父の期待を超えたか?諸葛瑾との複雑な[親子関係]

2024年4月30日


諸葛恪

 

孫権(そんけん)の死後孫呉の実権をにぎったのは諸葛瑾(しょかつきん) の息子・諸葛恪(しょかつかく)でした。彼は孫権に大いに期待されていましたが、父諸葛瑾 からはそんなに期待をかけられていませんでした。どうして諸葛恪は諸葛瑾 には期待をかけられなかったのでしょうか。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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頭のいい諸葛恪

頭のいい諸葛恪

 

 

諸葛恪は諸葛瑾 の長男として誕生します。若いころから頭がよく、きらびやかな言動や臨機応変(りんきおおうへん)に物事を受け答えできることから、孫呉の家臣の仲でも彼を褒め称える人がいっぱいしました。また彼の友達には張承(ちょうしょう)など多くの秀才と呼ばれる人々が集まってきます。さらに孫権からも諸葛恪は気に入られていました。孫権と諸葛恪にはこのようなエピソードが残っています。

 

 

父を馬鹿にした孫権へ物申す!!

諸葛瑾

 

諸葛瑾 はロバのように顔の長い人でした。孫権はそんな諸葛瑾 の顔を見て悪いことを思いつきます。孫権は一匹のロバを見て家臣たちが集まっている会議場へつれてこさせます。孫権はこのロバに木札をつけて「諸葛瑾 」と書かせてお笑いします。会議場に集まった孫権の家臣達も孫権が名前をつけたロバをみて大笑いしたそうです。

 

孫権

 

この会議場にいた諸葛恪は孫権へ「文字をこのロバにつけ加えたいのですがいいですか」と訪ねます。すると孫権は「オッケー好きにつけてみなよ」と諸葛恪の行動を許します。諸葛恪は孫権の許しを得るとロバにかかっている木札へ「のロバ」と付け加えます。孫権は諸葛恪の機転の利いた言葉に気をよくして諸葛恪へこのロバを与えるのでした。

 

そして孫権はこのことがあってから諸葛恪を可愛がり、息子の側近として彼を活用していくことになります。諸葛恪はこのように機転が利き、その場にあわせた言葉を用いることのできる人材でした。しかし父諸葛瑾 は彼に期待をかけていませんでした。

 

なぜ諸葛瑾 は息子に期待していなかったのか。

諸葛瑾

 

諸葛瑾 はどうして息子に期待をかけていなかったのでしょうか。それは彼の頭がよすぎて人を見下してしまう癖がったからです。諸葛瑾 はこの息子の性格に困っていたらしくある人へ「息子はわが家を大きくすることができると思う。しかし私の家をつぶしてなくしてしまうのも彼だろう」と意味深な予言をしていたそうです。

 

孔明

 

 

また諸葛瑾 の弟孔明(こうめい)陸遜(りくそん) へ「兄貴の息子はおおざっぱだから管理系の仕事を任せないほうがいい」と手紙で忠告しています。そして陸遜 は諸葛恪の性格が他人を見下してしまうので「諸葛恪君。君のその他人を見下してしまう性格はよくないからやめなさい」と強く注意したそうです。しかし諸葛恪は陸遜 の注意を聞かないでそのまま成長してしまいます。そして諸葛瑾の予想通りの結末を迎えてしまうのでした。

 

 

魏軍に大勝利を飾る

諸葛恪

 

諸葛恪は孫権の死後孫呉の実権を握ることになります。彼はまず首都の近くにある東興(とうよ)という土地へ堤防を建設。魏は東興に堤防が完成するとすぐにこの堤防を壊すべく大軍を繰り出してきます。諸葛恪は魏の大軍を追い払うため、孫呉の軍勢を率いて魏軍と戦い大勝利を収めるのでした。諸葛恪は魏軍を撃破したことで皇帝孫亮(そんりょう)からほめられることになり、ますます傲慢になってしまいます。そしてふたたび戦に出陣することに決めます。

 

 

魏軍に大敗北してしまう

三国志のモブ

 

諸葛恪は東興の戦いで大勝利した翌年、再び出陣。しかしこのときの戦いは大敗北して孫呉へ逃げ帰ってくるのでした。諸葛恪はこの大敗北によって民衆や孫呉の家臣からも信用を失ってしまいます。そして彼は孫呉に帰った後、孫亮にお目通りすることに。彼の弟も殺害されてしまうのでした。どうして諸葛恪は殺害されてしまったのか。

 

 

諸葛恪はどうして殺害されたの

諸葛恪はどうして殺害されたの

 

どうして諸葛恪が殺害されたのか。それは孫峻(そんしゅん)が諸葛恪を倒して政権を自らの物にしてしまおうと考えたからです。孫峻が諸葛恪を倒そうとした理由は諸葛恪が魏に無理やり遠征をして大敗北したため民衆や孫呉の武将、文官から人気を失った事と恨みを買ってしまった事が原因です。

 

孫峻は諸葛恪が孫亮にお目通りした際、宴会を催すことを知っていました。そこで孫峻は孫亮が宴会の場から去った所を見計らって諸葛恪へ「陛下からの命令で君を殺害する」と大義名分を掲げ諸葛恪は殺害されてしまうのでした。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レンの独り言

 

諸葛恪は人を見下してしまう性格で他人のアドバイスや人の話を受け入れる人ではありませんでした。父諸葛瑾は諸葛恪の性格をよく知っていたからこそ、諸葛家は諸葛恪の代で大きくなるが、彼のせいで潰してしまうであろうとの予言をすることができたのではないのでしょうか。

 

参考 ちくま学芸文庫 正史三国志呉書など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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