今回は梁山泊初代首領、王倫についてのお話をしましょう。梁山泊初代首領というと凄い人物のように感じるかもしれませんが、水滸伝を一度読んだことがある人ならご存知、王倫は残念ながら「そういう」人物とは程遠い人物像をしています。
しかしその生涯を見ていきながら、王倫が水滸伝にどのような影響を与えていたか知って頂きましょう。実は水滸伝に必要不可欠な人物だった!?……かもしれない、王倫、見ていきたいと思います。
この記事の目次
王倫(おうりん)とはどんな人物か?
王倫は元々、書生をしていました。しかし科挙の試験を受けるもののこれに落第、これですっかり勉学に向ける熱意やらやる気やらを失ったのか、友人の杜遷と共に山賊に身をおとします。それが人が集まり、膨れに膨れて大きくなったのが梁山泊の成り立ちという訳ですね。
人生の挫折から梁山泊の始まりを作った人物とも言えるでしょう。ただ、二代目首領である晁蓋同じく、一百八星ではありません。
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あだ名「白衣の秀士(はくいのしゅうし)」の意味
そんな王倫のあだ名は「白衣秀士」これで「はくいしゅうし」と読みますが、これは読んで字のごとく白衣の秀士。昔、中国では官位を持っている人は基本的にその官位に定められた服を着たということから、官位がない人を「白衣」と呼んだのです。
なので白衣秀士とは「無位無官の人物」という意味になります。因みに史記に「白衣三公」という言葉が出てきますが、これは無位無官から三公にまで上り詰めた人物を表しています。……まあ、王倫はそもそも科挙に落第してしまっているのですから、それを揶揄してのことでしょう。
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王倫が梁山泊を立ち上げた経緯
王倫が梁山泊を立ち上げたのは前述したように科挙に落第してから。つまりは挫折から山賊稼業をやることになったのですね。
さて王倫、友人の杜遷と梁山泊で山賊をしていた所、そこに宋万、朱貴らを含む様々な事情を抱えた人物が集まってきて、人数はあれよあれよと増えていき、いつの間にか800をも超える手下たちが集まった大きな山賊舞台となってしまったのです。そこである人物の来訪で、物語が大きく動きます。
王倫の生涯と主なエピソード
王倫の生涯で最もその後に影響を及ぼすエピソードが、林冲との出会いでしょう。ある年の冬に、朱貴が連れてきたのが流罪となって逃亡していた林冲でした。王倫とも親しい柴進からの紹介でやってきた林冲ですが、王倫自身は「こんなすごい奴が入ってきたら手に負えない」と判断、どうにか追い出そうと考え、宴の後に贈り物をして厄介払いをしようとします。
しかし、これには朱貴、杜遷、宋万が異を唱え、王倫を諫めますが、王倫はやっぱりどうにか林冲を追い出そうと林冲自身の心中を疑いまでしますが、これには逆に林冲自身が心外とばかりに声を挙げます。
このエピソード、王倫が自分で自分を「別に腕が立つわけでもないし……」と自虐しているというか、己の無才を認識しながらも、腕っぷしのたつ林冲は入ってきてはその地位が脅かされるということを気にするという、何とも小物っぷりを読者に意識させるエピソード。果たして林冲との出会いはどうなってしまうのか、梁山泊の好漢たちはどうなるのか?次で解説しましょう。
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豹子頭・林冲(りんちゅう)との出会い
王倫はここで林冲に「誓約書を持ってくる」ことを仲間入りの条件に出しますが、これが曲者。この誓約書とは「誰かの首を持ってくる」というもの、つまり下山して通りがかった人物を殺してこい(期限は三日)、というとんでもないものでした。林冲、これを受けてさっそく行動するも、そもそも誰も通りがからず既に三日、これに王倫も安心したのか「明日達成できなければそのまま帰ってくださいね」と煽りだす始末。しかしここで停滞した運命が再び動き出します。三日目の午後に、林冲は獲物を見つけました。
杜遷たちを連れて王倫が向かってみると、相手の大男と凄まじい攻防戦を繰り広げる林冲の姿が!この大男こそ青面獣、楊志。
王倫はこの争いを止め、楊志と林冲をもてなし、林冲だけでなく楊志も仲間に引き入れて林冲と牽制し合わせようと考えますが、楊志には断られてしまいます。今更じゃあ林冲も仲間入りは無しで……なんてする訳にはいかず、林冲は王倫、杜遷、宋万に次ぐ第4の椅子に座らせられることとなったのでした。これで後々まで尾を引く王倫と林冲の出会いから仲間入りまでのエピソードは終わりとなります。
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晁蓋(ちょうがい)一味の来山
しかし王倫の悩みはここで終わりではありませんでした。
それから半年ほど経った後、北京大名府長官から宰相に贈られた生辰綱を強奪したことで追われる身となった晁蓋一味(七人)が梁山泊に身を寄せさせてくれとやってきたのです。そんな大事件を起こしたなんて知らずに宴を開いて歓待してしまった王倫、またもや林冲の時のように震えあがり焦燥にかられました。林冲同じく宴の後で贈り物して、やんわりとここから去ってくれるように促したのでした。
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~閑話休題~ハリボテな初代首領?近代化されていく王倫
さてここらでちょっと閑話休題。既にここまでで王倫を初めて知った方はあまり良いイメージを抱けないことでしょう。水滸伝の梁山泊、初代首領がまさかこんな小物めいた行動を繰り返すとは、しかもただ林冲一人の仲間入りだけで……と思うかもしれません。
それが理由かどうかは分かりませんが、近代化していく水滸伝、例とすればドラマ、北方謙三水滸伝では配役も相まって、圧倒的なカリスマ性の持ち主として描かれています。
あくまで見た目だけなのか?それともその溢れるカリスマは本物なのか?目が離せませんが……実際の王倫も物腰やわらかで人当たりは良く、そもそもこの首領に既に800ほどの配下が集まっていることも考えると、ただの見目好しなハリボテ首領よりももっと強い人を惹きつける才能、カリスマ性があった方が納得は行きますね。
では、再び水滸伝の舞台に戻っていきましょうか。
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王倫の最期!なぜ林冲に斬られたのか?
結論から申し上げますと、王倫の最期は林冲に斬られることとなります。しかしそこまでの経緯もみていきましょう。どうにか晁蓋一味を追い出そうとする王倫、その心中を察したのか贈り物は固辞して立ち去ろうとする晁蓋、なぜか此処に至って「いや~遠慮なんかしないで!ほんとは皆さんに仲間になってほしいんだけど!ここは食料も少なくて皆を休ませるための建物も経ってなくてネ!」とか言い出す王倫。
ただこのやり取りに、他でもない林冲が激怒してしまうのでした。
運命の宴席と呉用の策
そしてここで誰が一番恐ろしいかっていうと、晁蓋一味の呉用先生。なんと既に林冲が王倫に不満を抱いていると気づいていた彼は、何かあったら林冲の方に味方をしようと晁蓋たちと話を付けてあったのです。まさかそんなとこまで見破られているとは思わない王倫は林冲に「身分を弁えろ!」と怒鳴ってしまい、林冲はこらえきれなくなったのかそのまま王倫に駆け寄って王倫を刺し殺してしまうのでした。
杜遷たちは止めようとするも、晁蓋たちに邪魔をされたためにどうすることもできず。こうして王倫の梁山泊は、晁蓋たちの梁山泊になってしまったのでしたとさ。
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林冲の怒りと「火併(かへい)」
因みに説明しておきますと、「火併」とは仲間割れして争うこと。林冲と王倫の火併によって、言い方は悪いですが梁山泊は乗っ取られてしまうことになったのです。とは言え、林冲は既に入山の時から王倫のやり方に不満を持っていて、更にここで晁蓋たちにまで同じような振る舞いをした王倫への怒りが抑えきれなかったのでしょう。
実際に林冲は晁蓋たちのような豪傑が仲間入りすることを喜んでおり、それと同時に自分にしたように晁蓋たちを追い払うようなことをするならただでは済まさないと決めていました。それを呉用に見抜かれていたとあっては、王倫の命運此処に定まれり……と言った所でしょうか。
王倫は本当に「無能」だったのか?人物像を考察
さて、王倫は水滸伝の梁山泊、初代首領です。しかし作中ではどうにも優秀な人物には見えない描かれ方をしていますね。寧ろ林冲を始めとした豪傑たちへの厄介払いのやり方はひどく、印象がよろしくありません。
ただ、決して無能とまでも言い切れないのが王倫の面白い所です。何故なら梁山泊、つまり湖のほとり、山と湖で囲まれた天然の要塞に目を付け、そこに難攻不落の水塞を築いたのは欧倫の手柄であり、そこに目を付けるだけの才覚はあったと言えるでしょう。自らの地位に固執する所を見ると、そういう「守り」の才覚はあったのではないでしょうか。
リーダーとしての致命的な欠点
ですが王倫の致命的な欠点は、優秀な仲間、配下を迎え入れることに拒絶反応が凄い、という点にあります。少し考えれば凄い豪傑が向こうから集まってくると言うのは、ある意味では才能です。しかし王倫の場合、これを「自分の立場を奪われるのでは」と判断してしまいます。王倫が率いていた際には既に800もいようかという一軍となっていた梁山泊ですが、豪傑は受け入れないとなるとそれ以上の改革は、王倫では望めなかったのではないかと思いますね。
初代首領としての功績は王倫にあるのか?
さて梁山泊初代首領である王倫、その功績ですが、これは前述したように天然の要塞に目を付けてそこに梁山泊を造り上げたこと、これに尽きるのではないかと思います。この場所あってこその梁山泊であり、ここがあったからこその梁山泊なのですから。
また、既に多くの人が梁山泊に身を寄せていた、それは少なくともそれだけの人間を率いるだけの才覚はあったのではないか……は別にしても、その人数が集まっていたからこそ林冲を始めとした好漢たちが身を寄せるきっかけとなったのですから、梁山泊の成り立ちを作った、それこそが王倫最大の後世と言えるでしょうね。
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後の首領(晁蓋・宋江)との比較
梁山泊には二代目首領・晁蓋、三代目首領である宋江がいますが、彼らと王倫を比較するのも面白いポイントです。王倫自身は二人とは比べ物にならない小物だぜー!みたいな扱いをされることがありますが、例えば晁蓋などは間違いなく豪傑であり、気の良い好漢であることは間違いありません。
ただ晁蓋は己自身で軍を率いて戦いたがる、それによって己の命運を縮めてしまったという首領としては悪癖という欠点があります。
また面白いのが宋江で、王倫は「見た感じは人当たりの良い人物」と言われるのに対して、宋江は「風采の上がらない色黒の小男」とまで言われているのに対して、作中では豪傑たちに反感を買う王倫、別段何らかの才覚があるわけではないのに色々な人物に慕われる宋江、という対照的な描かれ方をしています。
これは少なくとも宋江も晁蓋同じく、首領という地位に固執しない所がポイントでしょうか。こう言った所は当時からすると理想の首魁、とされていたのかもしれませんね。
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王倫から学ぶ現代への教訓
まず王倫の最も反省するべき点は、その狭量さ……というよりも、どうにも自分の優位性を失いたくない割に、相手よりも優位に立っていると、林冲にしろ晁蓋一味相手にしろ、何かしら調子に乗ったように上から話を始める所がどうにも鼻に尽きます。この辺りで「いや……自分は腕が立つわけでもないし、貴方方のような豪傑を配下に迎えるのは心苦しいのです……」くらい言えたら、もっと違う道もあったのではないでしょうか。そういう意味では、どの場面でどんな言い方をすれば角が立たないか、同時に時に相手と目線を合わせる、時に下から上からと視線を変える、そういう臨機応変さも必要ということも分かります。
とは言え、王倫は物語的に言えば前座も前座、水滸伝の作者からすればもしかしたらより早くこれからのことを描きたかったのかも……?こう言う風に本人の要素だけでなく、時代背景、そして製作者の意図まで考察できる、それはある意味王倫の魅力であり、現代へのメッセージなのかもしれませんね。
水滸伝ライター センのひとりごと
#ドラマ水滸伝
⋱\ ⚔️今夜よる𝟏𝟎時、集結せよ💥 /⋰
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✐☡第𝟒話の必見ポイント
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✔王倫(#萩原聖人)率いる梁山湖の砦を奪取すべく、林冲(#亀梨和也)が潜入!
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✔国との戦いに向け、獄中にいる公孫勝(#白洲迅)を救出へ💨… pic.twitter.com/DUXb9qpgzT— 連続ドラマ「北方謙三 水滸伝」公式 (@suikoden_drama) March 8, 2026
いきなりですが、北方謙三水滸伝の王倫のキャストは荻原聖人氏ですね。キャラクター設定も相まってまずビジュアルから「ああこれは王倫の元に好漢集まっちゃうな……」と思ってしまったものです。ただ水滸伝とだけいうと王倫にはいまいち魅力を感じないかもしれませんが、現代において様々な解釈、描かれ方は無数に増えていきます。
そういう点を見られるのは、水滸伝成立当時だけにはない、現代における私たちの得点と言えるのでしょうね。
それでは皆さん湖の畔で。ちゃぽーん。
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