『三国志演義』における魏延といえば、晩年の諸葛亮孔明としばしば仲違いした上に、孔明の没後に謀反の疑いで馬岱に討ち取られた人物。蜀ファン、特に孔明ファンには、悪い印象を持たれていることでしょう。
ですが、より史実に近いとされる『正史三国志』を読むと、ずいぶん印象が変わります。
魏延は劉備に荊州時代から付き従い、入蜀作戦で何度も戦功を挙げ、先輩の張飛を飛び越えて漢中太守に大抜擢されるなど、よほど劉備に信頼された人物。
その魏延が北伐で孔明と対立したのも、純粋に作戦方針を巡る意見の違いだったようです。
確かにいろいろな面で、孔明とはウマが合わなかった様子の、魏延。ですが、この二人の不和が原因で北伐が不調だったとなると、あまりにもったいない!
そこで今回は、魏延と諸葛亮孔明の関係に「和解の瞬間」があったら、蜀の歴史はどう変わっていたか、というイフ展開を考えてみたいと思います!
この記事の目次
二人の対立は「長安攻略の方針」にあり!
まずは史実を整理しておきましょう。孔明と魏延の対立の発端は、第一次北伐の作戦立案にさかのぼります。たとえば『魏略』という書物によれば、魏延はこのような提案をしたとされています。
「私に一万の兵をいただきたい。長安を守る夏侯楙(かこうぼう)は経験の浅い臆病者ですから、私が突然現れれば必ず船で逃げ出すでしょう。長安を奇襲で奪取してみせます!」なんと、少数精鋭による長安電撃奪取という奇策!
しかし孔明は「その作戦は危険すぎる、ただでさえ総兵力で劣勢な蜀が、一万の兵士をリスクにさらすわけにはいかない」と、この案を却下。このことで魏延は「チャンスを失した」と不満を持ち、以降の仲違いが始まったとされています。
関連記事:親父夏侯惇の汚点隠し?夏侯楙が絵に描いたポンコツになった理由を考察
関連記事:魏延の有能さは他国にも知れ渡っていた?将来を期待されていた蜀の将軍
【北伐の真実に迫る】
もし孔明が一度だけ魏延の顔を立てていたら?
確かに、孔明の「冒険はできない!」という意見は長期的な視野に立てば合理的です。しかし、ここで考えてみたいのです。ここで二人が方針をめぐって対立したことを発端に、その後の蜀軍は徐々に弱体化していきました。
「そんなことになるなら、孔明は一度、魏延の顔を立てておくべきだったのではないか?」とは、考えられませんか?
そこで、こんなイフを考えてみましょう。孔明は魏延の長安奇襲案を完全に却下するのではなく、こう言ったとしたら?「魏延将軍、あなたの策には相応の道理がある。一万の兵を割こう。ただし条件がある。長安を一時占領したのち、敵主力が来援する気配を察したら、ためらわず撤退すること。深追いはしてはならぬ」条件付きで魏延の先鋒奇襲を許可する、という展開です。
関連記事:魏延(ぎえん)ってどんな人?裏切り者?それとも忠義の士?
魏延、長安を電撃占領!しかし司馬懿が動く
孔明の許可を得た魏延は、喜んで動き出すでしょう。そもそも魏延という武将は、少数精鋭での突破が得意な野戦司令官。確かに、魏延ならば、防御の手薄な長安に見事に奇襲をかけ、あっけなく長安を占領してしまうかもしれません!
ところが、そのあとが問題です。長安陥落の報は、当然すぐに曹叡(そうえい)のもとに届きます。曹叡は慌てて、魏が誇る人材、司馬懿に長安奪還軍を率いさせるでしょう。つまり、史実よりも早く、司馬懿が北伐に参戦!
それが、たった一万人で長安にいる魏延に迫ってくるのです。いかに魏延が勇将であろうとも、司馬懿率いる魏軍主力を相手に持ちこたえるのは、不可能に近い。魏延は絶体絶命のピンチに陥ります。
関連記事:魏延は羅貫中の被害者か否か?でも割と優遇措置とされている理由
関連記事:好感度が低い?魏延がイマイチ評価されないその理由は?
男気あふれる魏延、孔明に心酔
司馬懿の兵力が迫ってきていた、まさにそのとき。
長安からの撤退ルートに、なんと孔明本人が率いる支援部隊が、いつのまにか配陣を完了させ、「魏延将軍!撤退路は確保してある!ここから漢中方面に戻りなさい!」との孔明からの手紙が!そう、孔明は、魏延の長安占領を許可した瞬間から、こうなる展開に備えていたのです。
こうして、長安を脱出してきた魏延を、孔明の本隊が迎え入れ、撤退は無事に完了。まんまと魏延に逃げられた司馬懿はおおいに恥をかかされた格好になります。
無事に戻ってきた魏延に、孔明は静かに告げるでしょう。「魏延将軍、あなたの思うように長安で暴れさせてあげたかった。だが、あなたが撤退を強いられる状況も予想していた。だから、撤退路にあなたを支援する軍を伏せておいたのだ」
叩き上げの武人である魏延は、この瞬間、孔明という人物の本当の凄みを理解するでしょう。「丞相、私の顔を立てるために、ここまでの手を打っておられたのですか!私はあまりに浅はかでした。今後は、あなたの指示の下で戦います!」男気にあふれた魏延は、孔明にこうして心酔!以降の魏延は孔明の指揮系統に進んで従う、頼れる先鋒として再生するのです。
関連記事:魏延はどうして五丈原の戦いの後王平の軍に敗北し馬岱に斬られたのか?
まとめ:宣伝効果まで考えれば、魏延の策は意外に悪くない?
このようなイフ展開を今回は考えてみましたが、いかがだったでしょうか?
私自身の意見としては、なるほど魏延の長安奇襲は、戦術的には無謀な部類に入ると思います。ですが、このイフ展開のように、「一度、長安を占領して魏軍を仰天させたあとは、すみやかに撤退する」という運用ができれば、話は変わってきます。軍事よりも政治的な宣伝として、この奇襲成功は効果が期待できるのです。
関連記事:魏延はどんな性格だったの?実はあの有名人のファンで純粋な漢だった!
関連記事:魏延の「反骨の相」は権力争いに利用された?魏延を誅殺した真犯人とは?
三国志ライターYASHIROの独り言
そう、「もともとは漢王朝の都だった長安を、たとえ一時的にでも蜀軍が占領した」という事実は、「漢王朝の正統な後継者である蜀こそが、長安を奪還する資格と実力を持っている」という強烈なメッセージとなるはずです。これは中原の人々の心を揺さぶるに十分で、魏に不満を持つ豪族や、各地の異民族との連携にも追い風となるでしょう。
さらに孔明と魏延の二人がその後、深く信頼しあい、行動できるようになっていたら?
孔明は後事を託す人材リストに魏延の名を堂々と入れていたはずです。
そうなると見えるのは、姜維と魏延が二本柱として蜀を支える未来!「魏延の顔を立てるために孔明がバックアップしつつ、その案を一度だけ採用する」という今回のイフ展開、意外と蜀の未来にとって悪くない選択だったのではないかと思いましたが、いかがでしょうか?
関連記事:魏延の戦績はほぼ無敗?三国志での魏延の輝かしい戦績を紹介
関連記事:魏延がいれば陳倉の戦いは勝てた?それとも負けた?史実の北伐を解説































