広告

正史『三国志』と言うけれど、正史って、なに?

2015年2月6日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

大橋先生&小橋先生

三国志』は“正史”と呼ばれる歴史書です。

“正史”、という言葉を見て、皆さんはどう思われるでしょうか?

 

水滸伝って何? 書類や本

 

正しい歴史? ……実はちょっと違うんです。

三国志』を読むときに、心に留めておきたい、“正史”についての話です。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



国家事業として編さんされる“正史”とは。

現実主義曹操

 

 

前述の通り、“正史”とは“正しい歴史書”の意味ではありません。

“正史”とは、東アジア周辺諸国において、主に国家が事業として編さんを行った王朝の歴史を記した文献を意味します。

 

正史三国志・呉書を作り上げる韋昭(いしょう)

 

正史は歴史上価値のある資料であることには違いありませんが、そこに書かれている事柄は決して事実であるとは限りません。

これは正史が多くの場合、王朝の事業のひとつとして制作されてきたことが原因です。

 

西遊記巻物 書物

 

どんな王朝であっても、その歴史において隠しておきたいような事実は多々あるものです。

歴史書に書かれる事柄は、なるべくキレイ事だけにしておきたい、と思うのは当然のことと言えます。

 

読書が大好きなカン沢(闞沢)

 

まして、その歴史書を王朝自らが国家事業として編さんを進めるとあれば、当然、その内容は王朝によって思い通りになることは明らかです。

王朝にとってできるだけ都合の良い内容を前面に押し出し、都合の悪い事実は採用しない。

そうなるのはある意味、至極当然のことと言えるでしょう。

 

国家事業として正史が作られるようになったのはいつからなの?

孫皓に対して戒めの手紙を書く陸抗(りくこう)

 

国家事業として正史が作られるようになったのは唐の時代からです。

 

歴史書を国家事業として編さんすることが確立されたのは、唐の時代であったとされます。

なぜ、この時代に歴史書を国家が編さんするようになったのか。

それについては唐以前の歴史にヒントがあります。

 

悪知恵で師匠を出し抜き、書の第一人者になる梁鵠

 

唐の時代から、随をはさんで時代をさかのぼると、南北朝時代と呼ばれる時代に当たります。

この南北朝時代は統一王朝が存在しない時代ですが、その勢力分布は大きく華南と河北に分けられることから、南北朝時代と呼ばれています。

 

三国志を統一した司馬炎

 

華南にあった宋という王朝は東晋から禅譲を受けて成立しています。

この東晋は司馬懿の孫にあたる司馬炎が、曹氏の魏から禅譲を受けて成立した晋(東晋と区別するために西晋とも呼ばれます)の流れを組んでおり、王朝としての正統性を持っていると言えます。

 

「宋」の国旗をバックとした兵士

 

しかし唐を興した李淵は宋ではなく、南北朝時代に華北にあった北魏や北周の貴族の血を引く人物でした。

そのため唐王朝は、華南を王朝の正統と見る風潮に対して自らの正統性を示すために、国家事業として歴史書を編さんしたのだと考えられています。

 

関連記事:三国志の生みの親であり歴史家の矜持を悩ます歴史書編纂の裏事情

関連記事:三国志は2つある!正史と演義二つの三国志の違いとは?

 

清の時代に定められた『二十四史』

 

 

18世紀半ば、清王朝の第六代皇帝である乾隆帝によって、歴代の王朝で編さんされた二十四の歴史書が正史として定められました。

これを『二十四史』と呼びます。

 

『二十四史』の最も古いものは、前漢の時代に司馬遷によって書かれた『太史公書』(たいしこうしょ)です。

 

司馬遷(しばせん)

 

後世、『史記』と呼ばれるようになった有名な歴史書で、日本でも古くから読まれており、元号の出典として12回も採用されています。

晋の時代に陳寿が編さんした『三国志』は、二十四史中、四番目に古い正史です。

 

関連記事:リアルな正史三国志の特徴って?ってか正史三国志は需要あるの?

関連記事:「危うく抹殺されそうになりました、陳寿さんのおかげです」卑弥呼より

関連記事:初めてでも大丈夫!楽しい正史 三国志の読み方

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
はじめての三国志 プロフィール画像

はじめての三国志

「ゆるく、たのしく、わかりやすく」をコンセプトにした 歴史エンタメメディアです。
(®登録商標:第5800679号)

-三国志の雑学
-, , ,