華々しい合戦での活躍、鋭い神算鬼謀を駆使する三国志の英雄達も、
家に帰れば良き夫であり、良き父だった事に違いありません。
特に夫婦の間には、痴話喧嘩あり、美談ありと悲喜こもごもなのです。
本日は、世説新語に記された、知られざる三国志の夫婦の話をしてみましょう。
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呉の孫秀、晋に降り司馬炎の側室の妹、蒯氏を妻とする
呉の孫秀(そんしゅう)は字を彦才(げんさい)といい、
祖父の孫匡(そんきょ)は、孫策(そんさく)、孫権(そんけん)の兄弟という王族です。
孫秀は、とても優秀な人物で前将軍として魏との国境である夏口を守っていました。
武力ばかりではなく人望も厚く、広く人々に慕われていたようです。
ところが、264年、暴君、孫皓(そんこう)が即位すると
孫皓は人望が厚い孫秀を処刑しようと策をめぐらしたので、
危険を感じた孫秀は270年に一族を引き連れて晋へ亡命します。
晋の武帝、司馬炎(しばえん)は、この孫秀を個人的にも気に入り、
俸禄を与え驃騎(ひょうき)将軍に任命すると共に自分の側室の妹である
蒯氏(かいし)を嫁にやりました。
蒯氏と孫秀は仲睦まじい夫婦でしたが、ある時、蒯氏は嫉妬心から
孫秀と口げんかをしてしまい、孫秀を「ムジナ野郎」と罵ってしまいます。
孫秀は、それで激しく傷つき、また怒ってしまい、以来、
蒯氏の部屋に寄り付かなくなりました。
私達から見ればムジナ野郎程度でそんなに怒るか?と思いますが、
実はムジナとは、江南地方の人々への差別的な蔑称なのです。
孫秀は呉を捨てて晋に降った事を内心では恥じていたので、
その古傷を抉るような妻の言葉を許せませんでした。
後悔した蒯氏は司馬炎に仲裁を頼む
孫秀が部屋に来なくなった事で蒯氏は激しく後悔し始めます。
好きである余りに、つい悔しくて心無い言葉を投げてしまい
夫を傷つけてしまった事が分ったからです。
そこで、蒯氏は宮廷に出向いて、姉の夫にあたる司馬炎に、
夫婦喧嘩を仲裁してくれるように頼みに行きます。
司馬炎からすれば、自分が斡旋した縁談ですし、
側室の妹という身内の頼みですから放置もできません。
「朕に任せておけ」と快諾します。
かくして皇帝自ら、夫婦喧嘩の仲裁を引き受けるという、
不思議な事態が発生しました。
司馬炎、大赦を行い孫秀に話しかける
ちょうど、その頃、国で慶事があり、司馬炎は大赦を行います。
大赦というのは、捕まっている罪人の罪を減じて、軽い罪なら、
牢獄から出し、重い罪は罪一等を減じる行為です。
晋の郡臣は、皆、司馬炎に喜びの言葉を捧げて帰っていきますが、
司馬炎は、その中で孫秀だけを引き留めました。
司馬炎「彦才よ、今、世間では大赦がなって、多くの罪人が重荷をおろし、
晴々、のびのびとした心持ちでいる事であろう・・
どうか、お前を傷つけた罪の意識に思い悩んでいる蒯氏も、
大赦して、心穏やかにしてくれないだろうか?」
孫秀は、司馬炎自らが夫婦喧嘩の仲裁に乗り出した事に驚き、
同時に、自分達の事を考えてくれる帝の心に感じ入り、
蒯氏を許す事を約束しました。
こうして、孫秀と蒯氏は仲直りして、元のように
仲睦まじい夫婦になったという事です。
三国志ライターkawausoの独り言
日本では夫婦喧嘩は犬も食わないといい、他人が首を突っ込むものではないという
考えが一般的ですが、中国においては少し事情が違います。
中国においては、家庭生活の延長線の上に国家があると考えるので、
家庭生活が上手く行っていないという事は、そのまま国の乱れに繋がる
という考えが出てくるのです。
司馬炎の仲裁も、そういう伝統的な中国の国家観によるもので、
単純に司馬炎がお人好しだったからではないと思います。
ちなみに、蒯氏ですが、彼女の祖父は蒯良(かいりょう)といい
劉表(りゅひょう)に仕えていました。
その後蒯良は曹操(そうそう)に降伏して吏部尚書(りぶしょうしょ)まで
出世したそうです。
そして、その縁で孫娘が司馬炎の側室になり、自身も王室に連なるとは、
人生は不思議なものです。
本日も三国志の話題をご馳走様・・
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