1901年に、ギリシャのアンティキティラ島の沖合で発見され、その精巧緻密な構造から、紀元前のコンピュータと言われ、長い間、オーパーツ(時代に合わない場違いな遺物の意味)として放置されたままだったアンティキティラ島の機械。
近年の研究により、これはオーパーツではなく古代に造られた天体観測器そして計算機である事が分ってきました。
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この記事の目次
アンティキティラ島の機械の大きさは?
アンティキティラ島の機械は、紀元前150年~100年頃に島の沖合に沈没した船から発見されました。
海底から引き揚げられた時、すでに海水でボロボロに錆びていて、多くの部品も欠落した状態だったようです。
そういう経緯から現物から大きさを想定できないのですが、その後、復元を試みた学者の複製品によると、高さ13センチ、幅15センチという大きさであるという推定が出ました。
これは、大人の手のひらの大きさでiPhoneサイズであり、持ち運びが出来るので個人の持ち物であった可能性が高いようです。
アンティキティラ島の機械の前面はどうなっていた?
機械には、主な表示板、今風に言えばディスプレイが3つあり、一つは前面に、残りの二つは裏面についています。前面の表示板には、少なくとも3つの針があり、一つの針は日付を表し残りの二つは太陽と月を表していました。
この表示板には、少なくとも二つの同心円状のメモリが刻まれていて、外側のリングには、エジプト、ソティス周期に基づく365日のカレンダーが刻まれ、内側のリングには黄道十二星座が、区切りを設けて表示されます。月の針を動かすと、時間における月の位置が分るように設計されています。
部品はありませんが、恐らく太陽の針を動かす事で太陽の時間ごとの位置が分かったであろうと推定されます。
(イラストは三国志ライターkawauso作)
それ以外にも天体模型を使い、月の満ち欠けを示す機能があった事や、当時、確認されていた五つの惑星の軌道を示す機能があり、それとギリシャの生活暦の目盛を合わせる事で儀式の時に惑星がどこに位置しているかも分るようになっていました。
アンティキティラ島の機械の裏面はどうなっていた?
機械の裏面には、二つのディスプレイがありました。まず、上部の表示板の目盛は螺旋状に配置されており235朔望月を19太陽年とするメトン周期を表現するために1周47目盛りとなっています。
※メトン周期は暦を修正するために重要な周期らしいです・・
下部の表示板の目盛も螺旋になっていて225の目盛でサロス周期を表しさらに付随した表示板で54年、3サロス周期を表示します。このサロス周期は、1サロスが18年と10日と8時間であり、日食や月食を予測するのに欠かせない計算なのだそうです。
オリンピックを含む、四大競技祭典を示す目盛もあった!
(アンティキティラ島の機械の復元写真)
また、英国、ギリシャ、米国からの専門家から構成される
「アンティキティラの機械研究プロジェクト」は2008年7月に、
76年カリポス周期を表すと考えられている青銅の表示盤上に「OLIMPIA」の文字を発見しました。
これは古代ギリシャのオリンピックの開催日を示すと考えられますが、さらに区切りの推測からオリンピックだけではなく、イストミア、ネメア、ピューティアという当時の競技大会プラス、名前が不明な競技大会の日付も分かったようです。
当時の人々もスポーツが好きで機械をいじりながら、「もう何年後にはオリンピック」とか考えていたのかも知れません。
アンティキティラ島の機械の動力はクランク
(アンティキティラ島の機械の復元写真)
機械の動作は、背面に付けられたクランク穴によって行われたようです。
このクランクは発見されていないので推測ですが、複雑な歯車の動きをクランクで制御したという事のようです。アナログ腕時計の時間調整を小さなつまみで行っていたようなイメージに近いと言えるかも知れません。
アンティキティラ島の機械の内部は精巧な歯車の集合
アンティキティラ島の機械の内部は、最低でも30個、或いは、72個という沢山の歯車の組み合わせで動いている精巧な機械です。
学者によっては、18世紀の時計と比較しても遜色ないという程なのでこれがオーパーツだと疑われた理由も分かります。
この機械には、差動歯車という16世紀にならないと発明されないものや遊星歯車機構という18世紀にジェームズ・ワットが発明するまで地上には存在しない歯車まで組み込まれています。
こうして、1800年先の技術まで惜しげもなく使った結果、アンティキティラ島の機械は完成したという事になります。
古代ギリシャの知識人の科学力が部分では18世紀の西洋科学に匹敵するというと、人類は時間と共に進歩するという考えが決して常識ではないという皮肉を感じます。
こんな凄い機械を一体誰が造ったのか?
では、18世紀に発見される技術まで駆使されたアンティキティラ島の機械は、誰によって造られたのでしょうか?
これも複数あるのですが、古代ストア哲学者のポセイドニウスによりロードス島に建てられた数学と天文学のアカデミーで造られたという説や、月の運行の計算に同時代の天文学者ヒッパルコスの計算式が使用されている事でヒッパルコスが制作に関与していたとも言われます。
この事からポセイドニウスとヒッパルコスが関与したと考えられ、機械の取り扱い説明書が、全て古代ギリシャ語の一つ、コイネー語で記されている事も、その説を補強しています。
同じような機械は一つでは無かった可能性・・
アンティキティラ島の機械は、その構造が洗練されている事から、特別に造られた一点物ではなく、複数が量産された物と考えられます。
現在こそ、出てきていませんが、今後、同タイプの機械が遺跡より発掘される可能性もゼロではなく、そうなれば双方を調べる事で、より完璧な復元品を造り上げられるかも知れません。
その時には、再び、科学史を塗り替える大発見があるかも知れません。
儒教とキリスト教が世界を席巻する前、科学は盛んだった。
実は、紀元前後は、西洋でも東洋でも科学の進捗は目覚ましいものがありました。
中国でも紀元前から、脱進器を利用して歯車の回転数を一定にして正確に距離を刻む記里鼓(きりこ)車という機械や、三国志の時代に登場する魏の馬鈞(ばきん)が
どこに向けても必ず人形が南を指す事で方位が分る指南車という当時のハイテクを駆使した道具を再現という形で制作しています。
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ピンとこないかも知れませんが、この脱進器にテンプとヒゲゼンマイを付けたのが現在もあるアナログ時計の基本構造なのです。
テンプとヒゲゼンマイと脱進器を使った時計が欧州で発明されるのは14世紀に入ってからなので記里鼓車は、かなり進んだ機能を持つと言えます。
それ以外にも中国では方法は不明ですが歴史上では20世紀にしか発明されないクロムメッキの技術が施された秦の時代の剣も出土しています。
中国独自の技術も西洋からの移入もあるでしょうが、紀元前後の世界では科学の発展がタブーではなかったのです。
しかし、中国では尚古主義の儒教が台頭して精神世界を追求する風潮は強まっても、技術革新を進める気風が薄れて、科学は理論として展開せず、
どこまでも工作技術のレベルで留まりました。欧州ではキリスト教が同じく信仰を最優先して科学の発展を阻害します。
これにより折角進んだ科学も、欧州では14世紀のルネサンスまで進まず、中国では20世紀に至るまで科学の発展は促進されませんでした。
三国志ライターkawausoの独り言
アンティキティラ島の機械の凄さがお分かり頂けたでしょうか?
もし、キリスト教が欧州で根を張らず、ローマ帝国や、それに準じる帝国が地中海を支配していたら、もしかして、今頃、世界は余裕で惑星開拓が可能な
レベルの科学技術を保有していたかも知れません。
でも、逆に考えると、早々と核技術を開発した世界は核戦争を開始して、現代文明は、とっくの昔に滅んでいたかも知れませんね。
(写真は全てwikipedia)
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