12月25日は、言わずと知れたクリスマスです。
一般には、キリスト教の開祖、イエス・キリストの誕生日で本来のクリスマスは、
自宅や教会で厳かに祝うものですが、日本では大衆化し、派手なイルミネーションと
クリスマスケーキとフライドチキンとシャンパンと恋人達の夜という新解釈が
浸透して、すっかりお祭り騒ぎになりました。
では、クリスマスなど無縁な三国志の時代の人々は、クリスマスをどのように
過ごしていたのでしょうか?
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この記事の目次
三国志の時代にクリスマスは伝来していたのか?
中国においては、仏教は後漢の時代には伝来していた証拠があります。
西暦67年に洛陽に建立された白馬(はくば)寺が最古の仏教寺院です。
では、キリスト教は、いつ伝来したのでしょうか?
これは仏教より後で7世紀の唐の時代に、キリスト教の一派である、
ネストリウス派の阿羅本(あらほん)という人が中国にやってきて伝わり、
150年程は不遇でしたが、8世紀には唐朝の保護もあり、
隆盛を極めた事が、781年に伊斯(いし)という人物が長安に建立した
「大秦景教流行中国碑」という石碑から分っています。
しかし、この時点で三国志時代から500年隔たっているので、
直接の関係はないと言えます。
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元々キリストと関係無かったクリスマス
クリスマスと言えば、イエス・キリストの誕生日という見方が一般ですが
実際には、聖書にはキリストの誕生日についての記述はありません。
そもそも、キリストの誕生日は定まっていないのです。
現在では、聖書の記述、天にはベツレヘムの星が輝いたという点から
それを超新星爆発、あるいは彗星のような天体ショーと捉え、
イギリスの天文学者は、キリストの誕生日を紀元前7年、9月15日
とするような説も出ています。
そうではない説でも、大体、キリストの誕生日は8月から、
10月くらいで、東方三博士が祝福に来た時のイエスは生まれたばかり
ではなく生誕から60日~120日経過していたと考えています。
いずれにせよ、12月25日がキリストの誕生日とする説はありません。
では、どうして、クリスマスなんて行事があるのか?
それは、キリスト教が誕生した当時、ローマでは、太陽神を崇める
宗教が勢力を持っていて、彼等が12月25日を太陽神を祀る
祭日としていたからだと言います。
初期のキリスト教徒は、その太陽神の崇拝者を取り込もうと、
12月25日をキリスト教の祭りとして組み込んでしまい、
それが続くうちに、12月25日がキリストの誕生日という事に
なってしまったのが真相である模様です。
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クリスマスツリーもクリスマスとは無関係だった!
また、クリスマスと言えば、クリスマスツリーですが、
この樅(もみ)の木も、クリスマスとは無関係です。
絶対神を信奉するキリスト教徒は、多神教のローマ帝国では迫害され
宣教師は、闘技場でライオンに食われるなど酷い目に遭いますが、
4世紀には、逆に国教化して多数派になりおおせます。
そこで、北欧に布教に出た宣教師ですが、そこには樫(かし)の木に
神が宿るという樹木信仰を頑なに守るひとびとがいました。
宣教師達は、なんとか改宗させようとしますが、根強い土着信仰は
無くならないので、彼等が信仰する樫の木を樅の木に代えて
二等辺三角形をしている、樅の木を、父と子と聖霊という
三位一体のキリスト教の教えとして布教したのです。
元々、樹木を信仰していた北欧の人々は、それを受け入れ、
次第に樅の木を祀るようになり、ツリーを飾りたてて、
精霊が木から出ないように工夫しました。
これがクリスマスツリーの原型であるそうです。
それから、樅の木の上に輝く星は、ベツレヘムの星です。
初期のキリスト教はツギハギのパッチワークのように、
様々な宗教を取り込んで発展したのです。
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クリスマスイブには、竈を掃除していた三国志の人々
では、クリスマスと無関係な三国志の人々は、
12月25日には、一体何をしていたのでしょうか?
四民月令という、三国志の時代の行事を書いた本によると、
12月25日頃には、お正月用の豚を殺して下処理すると書いてあります。
さらに、28日には羊を殺し、正月の二日前には、家を大掃除して
祭具を整え先祖を迎える準備をしていますネ・・
随分、ジングルベルから遠ざかり、生々しくなりましたが・・
当時の中国では、お正月メインなので仕方ありません。
また、クリスマスイブか、クリスマスイブイブには、
中国では、祭竈節(さいそうせつ)という竈(かまど)の神に関する儀式がありました。
これは道教の影響を受けた儀式で、春秋戦国時代の
孔子(こうし)と王孫賈(おうそんか)の問答にも出てくる古い物です。
12月23日、竈の神様は、天帝にその家の状態を報告する為に
天に帰っていくのですが、その際に悪い報告をされないように
竈を綺麗にして、供え物をし、夫婦は円満で家庭は上手く行っていると
天帝様に報告して下さいと竈の神を接待するのです。
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三国志ライターkawausoの独り言
こうして考えると、クリスマスは、元々、キリスト教とはまるで別、
様々な宗教をごっちゃにミックスした行事という感じがしますね。
しかし、考えてみると日本人も、神道の神社参拝や、仏教のお盆や、
クリスマスをちゃんぽんで取り入れているので、
元々、ちゃんぽんなクリスマスは、日本人と相性がいいのかも知れません。
今日も三国志の話題をご馳走様です・・
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