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何で姜維の北伐は反発されてたのに孔明の北伐は反対されなかったの?

2017年2月28日


 

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姜維(きょうい)は軍事権を握ると蜀軍を率いて何度も北伐を敢行。

そのため蜀の政治家や軍人達から姜維を非難する声が上がることになります。

しかし孔明が幾度も北伐を行っても誰も北伐に対して一切文句を言うものはおりませんでした。

なぜ孔明の北伐戦は誰も文句を言わなかったのでしょうか。

その原因について探ってみたいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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孔明の北伐戦に誰も文句を言わなかったのはこれだ!!

 

孔明の北伐は国を上げて行った総力戦でありながら誰ひとりとして、

文句を述べるものはおりませんでした。

さてその原因は一体何なのでしょうか。

色々原因はあると考えられますが、

孔明が行った蜀における経済政策の成功に起因しているのではないのでしょうか。

さて孔明が行った経済政策とは一体何なのでしょうか。

 

南蛮征伐成功により国力増大

 

孔明は劉備死後、反乱を起こした南蛮征伐に自ら軍勢を率いて出陣。

南蛮軍の総大将であった孟獲(もうかく)を幾度も捕虜にして解放すること七たび。

ついに孟獲軍は降伏することになります。

その後孔明は南蛮から撤退していくことになりますが南蛮を制圧したことで、

蜀の国家は大きく飛躍することになります。

経済的な面で見た場合、金・銀・漆・馬などが南蛮から輸入させた点や

南蛮開発によって塩を生産する塩池(えんち)などの開発に成功しております。

こうした点から見ても南蛮制圧は蜀にとって国力の増大に必要不可欠な戦いでありました。

また南蛮に住んでいた民族達を多く蜀へ移住して住ませることで、

蜀の人口を増大させることにも成功しております。

 

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水利管理・塩鉄管理、商業充実

 

孔明は蜀の産業を振興させるために色々な政策を実施していきます。

まず蜀の農業の要となっていた都江偃(とこうえん)に管理者をおいて、

しっかりと水利を管理させます。

さらに益州の名士であった王連(おうれん)に塩鉄(えんてつ)から上がる利益を管理させて、

国家を潤わせることに成功。

また蜀の特産品である蜀錦の生産を奨励して国家の資金源を稼ぎ、

鉄が生産されていた山を国有化して開発することで、武器の生産能力を飛躍的に向上させます。

 

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公平な政治を行う

 

孔明は上記の経済政策を行うとともに政治面でも成功しております。

彼は益州名士と荊州名士達を公平に扱い、一切不公平な事をしませんでした。

馬謖(ばしょく)、向朗(しょうろう)ら荊州名士であろうと法律に触れれば罰せられ、

益州の名士達も法律に違反すればしっかりと罰せられ、

どちらかが不利な状態にならないよう公平を期した法律の適用がされておりました。

そのため益州名士や荊州名士達からは孔明の政治に一切批判を行うことがなく、

軍律違反によって平民に落とされてしまった李厳(りげん)は、

孔明がなくなったことを知って再び役職に返り咲くことができなくなったと

嘆きながら亡くなったそうです。

李厳の言葉は孔明が公平を期した法の適用を行っていた証左となるのではないのでしょうか。

 

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三国志ライター黒田レンの独り言

 

上記で説明した経済面での成功。

政治面での公平な法律の適用など。

これらの政策に成功したからこそ孔明が蜀の国力を削ってまで幾度も北伐を敢行しても、

民衆や文官、軍人達から一切非難の言葉が出ず、継続することができたのです。

姜維は孔明がこのような努力を払っていたことを知っていたにも関わらず、

一切内政面に気を使うことをしないかったことが原因で、

色々なところから非難を受けることになってしまったのではないのでしょうか。

 

参考文献 SB新書 三国志「その後」の真実 渡邉義浩・仙石知子著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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