三国志の物語の始まりは、「黄巾の乱(こうきんのらん)」。真面目な政治家さんが一生懸命政治をやっていたのに、おバカな皇帝と私利私欲の宦官(かんがん)のせいで天下が乱れて黄巾の乱が起こったというように、三国志演義には書かれていますよね。そんなのは、儒者の理論なんですよ。だまされちゃだめです。
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黄巾の乱とは
天下が魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の三国に分かれる前の、後漢(ごかん)の時代の末期、西暦184年に全国各地で一斉に始まった武装蜂起である、黄巾の乱。蜂起に加わる人たちが目印として黄色い頭巾を着用していたことが名前の由来です。
新興宗教「太平道(たいへいどう)」の教祖である張角(ちょうかく)がリーダーでした。張角が病死し、他の幹部も捕縛されるなどして統一的な指導者を失いましたが、残党は各地でバラバラに活動を続け、次第に群雄の勢力に吸収されるなどして活動は下火になっていきました。黄巾の乱のどさくさで私兵を動かしてわちゃわちゃやり始めた群雄が力を付けていき、後漢王朝が衰退して三国時代の到来となりました。
黄巾の乱は「乱」じゃない
1990年代に中国の中央電視台で放送されたテレビドラマの「三国演義」。その第一話でさっそく黄巾の乱が起こりますが、ナレーションが黄巾の乱の話をしている時の画面に大きな文字で「黄巾起义」と書いてあったのを覚えておられるでしょうか(無茶な質問)。「黄巾起義」、つまり「黄巾党の蜂起」という意味です。
現代の中国では、あれは農民による革命運動のはしりだと見なされているんです。悪いやつらがやけっぱちになってめちゃくちゃしでかした、というような見方ではないんですね。だから「乱」とは呼びません。
※私は三国志が大好きなだけの脳筋ライターです。イデオロギー的なものはなにも書きませんので安心して続きをお読み下さい。
黄巾の乱は、誰にとっての「乱」なのか
黄巾賊が天下を乱したんだから黄巾の乱でしょ、とお思いになるかもしれません。しかしそれは順番が逆でして、天下が乱れていたから黄巾党が蜂起したのです。考えてもみて下さい。黄巾の乱では、リーダーの張角(ちょうかく)の肉声が届く範囲にとどまらず、全国各地で一斉に武装蜂起がありました。これは、張角が唱える教義をろくに知らない人も続々と運動に参加したということです。
大勢の人が体制に不満を持っており、自らすすんで蜂起したわけです。これは彼らにとっては「乱」ではなくて、体制からの解放運動です。「乱」というのは、支配者層の目線から見た呼び方です。
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天下が乱れたのは、誰のせいか
天下は黄巾の乱が起こる以前からめちゃくちゃでした。じゃあ誰のせいでめちゃくちゃになったのかというと、よく聞く説明としては、霊帝(れいてい)のせいだと言われています。霊帝がポケットマネーを増やすために、公務員の役職に値段をつけてお金で役職を売って金儲けをしたもんで、役職を買った公務員が元手を回収するために役得を利用して下々から搾取をしたので下々が貧乏になって天下が乱れたよ、という説明です。
この説明はまあ分るのですが、私の疑問は、どうして霊帝は皇帝なのにお金に困っていたのかということです。
天下の富を横取りしていた人たち
後漢ではちょくちょく干ばつなどの天災があり、税金を払いきれずに土地を捨てて逃亡した農民が豪族の私的な小作人になっていきました。そういう農民は公の戸籍からは抜けてしまうので、おのずと国家の税収は減ってしまいます。豪族たちは肥え太っているのに、皇帝は貧乏。後漢末期の世の中はこんなふうになっていたんやね。霊帝の売官はまずかったけど、そうせざるを得ないところまで皇帝を追い詰めたのは、知らん顔で肥え太っていた豪族たちです。
三国志を記してきた階層の人たち
正史の三国志を書いたのも、それに注釈を付けたのも、後に物語化していったものを三国志演義にまとめたのも、みんな当然ながら読み書きができる人です。読み書きを勉強するゆとりのある階層の人たちは、後漢の豪族と似たような暮らしをしていたはずですから、天下が乱れたのを豪族のせいだと言うわけはありません。
豪族のしていたことにはノータッチで、皇帝がおバカだから黄巾の乱が起こったというふうに記すわけです。我々が知っている三国志演義は、特定の階層の視点から、彼らにとって不利な情報を排除して記された一方的なお話なのですよ。だから鵜呑みにしちゃだめです。
三国志ライター よかミカンの独り言
三国志演義が成立した頃の官僚の採用試験では儒教的教養が必須だったので、試験を意識しながら一生懸命読み書きを勉強していた人たちには儒教が常識でした。そういう儒者たちは、自分たちばっかり正しくて悪いのはぜんぶ暗君や宦官のせいにしたがるんですよ。三国志の物語を読んで歴史に思いを馳せるのは素敵な時間ですが、三国志演義には儒者の分厚~いフィルターがかかっているから気をつけて下さいね!
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