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江戸期は『三国志』の二次創作が大ブームを巻き起こしていた!?

2018年6月4日


 

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江戸の張飛

 

私たちの心を鷲掴みにして離さない『三国志』。『三国志』好きが高じてゲームや漫画のキャラクターを元に同人誌や動画を作ってしまった、なんていう人も多いのではないでしょうか。魅力的な武将たちが次から次へと現われる…。めくるめく群像劇に魅了されたのは江戸の人たちも同じでした。そして、更に驚くべきことには、江戸時代には『三国志』の二次創作が大流行していたのだとか!

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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パクス・トクガワ?

江戸城

 

古代ローマでは五賢帝(ごけんてい)による安定した統治が行われ、パクス・ロマーナと呼ばれる平和な時代が訪れました。人々は「パンと見世物!」と声高に叫び、無償で配られる食料を貪りながら、剣闘士と猛獣の死闘を観戦…。

 

天下を収めた徳川家康

 

日本でも、そんな古代ローマに匹敵するほどの平和な時代が訪れます。それは、徳川家康(とくがわいえやす)が天下を取って以来300年続いた江戸時代です。庶民たちは洒落本を読みふけり、銭湯に通いがてら歌舞伎を鑑賞。しかし江戸の人々はひたすら受け身で文化を享受していた古代ローマの人々とは対照的に、自ら積極的に文化を生み出していったのでした。

 

 

その頃、活版印刷術が日本でも普及し、人々が書物に触れる機会が爆発的に増えていきました。江戸の庶民も歌舞伎役者のブロマイドや、ちょっとエッチな春画や読本、自作の洒落本などを大量に刷って商売に励んでいたのです。

 

 

江戸の庶民たちの間で中国の小説が大流行

劉備

 

舶来物は何でもありがたがる日本人。その中でも、明代に描かれた小説が大流行。四大小説として名高い『水滸伝』や『西遊記』がもてはやされる中、特に人気を博したのが『三国志演義』でした。厚徳の主人公・劉備(りゅうび)が、乱世の奸雄・曹操(そうそう)相手に戦いを挑む…。このわかりやすい構図は勧善懲悪物が大好物の日本人に大うけ。

 

バットマン曹操

 

しかし、劉備の悲願は遂げられることはない…。その劉備の悲劇性も判官贔屓な日本人にはたまらないもので、人々の心はますます『三国志』に奪われていったのでした。

 

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【中国を代表する物語「水滸伝」を分かりやすく解説】

水滸伝入門ガイド

 

 

『三国志』の二次創作が続々登場

劉備玄徳

 

『三国志』に夢中になった江戸の人々は、もし劉備がこうしていたら…もし関羽がこうだったら…と妄想を膨らませていきます。しかし、妄想だけに押しとどめて置けなかったのでしょう。人々は妄想を紙に書きつけて、『三国志演義』に基づいた独自の世界観を持つ物語を刊行。では、そんな『三国志』の二次創作、どんな作品があったのでしょうか?

 

 

『通人三国志』

桃園三兄弟

 

まずは1781年に刊行されたという『通人三国志』(『通人三国師』)夢中楽介(むちゅうらくすけ)という人物の著作です。勝川春旭という絵師によって挿絵も描かれているようですね。劉備・関羽(かんう)張飛(ちょうひ)の3人は諸葛亮(しょかつりょう)の勧めで日本に渡り、吉原の近くで料亭を営んで生活をしはじめます。ところが、諸葛亮まで来日。実は諸葛亮は借金大魔王だったのです…!

 

司馬懿

 

しかし、ついに司馬懿(しばい)が借金を取り立てに遠路はるばる日本までやってきました。そこで諸葛亮は一計を講じます。司馬懿はその計略に見事引っかかり、退散していったのでした。わざわざ日本に逃げてまで借金を踏み倒す前に、中国で借金を返すための計略を考えればよかったのに…

 

 

『讃極史』

酒を飲んでいる曹操と劉備と孫権

 

そして、1789年に刊行されたのが、洒落本『讃極史』。著者は千代岡草案主人(ちよおかそうあんしゅじん)挿絵は何とあの葛飾北斎(かつしかほくさい)…!早稲田大学の図書館のホームページでその絵を拝むことができますよ。劉備は『三国志演義』では志半ばで亡くなってしまいますが、『讃極史』では諸葛亮に蜀の全てを託して隠遁します。名前を改め、かつて諸葛亮がひそんでいた臥龍岡へ。諸葛亮が当時そうしていたように、晴耕雨読の日々を送っていたましたが、ある日、その草廬の戸を叩く音が。

 

呉の孫権は皇帝

 

なんと、訪ねてきたのはかつて死闘を繰り広げてきたライバル、魏の曹操と呉の孫権(そんけん)。3人で昔のことを語らい、懐かしみながらぶらぶらとお散歩します。なんとも和やかな3人に心もほっこりします。実際、こんなふうに3人があの世で語らっていたら面白いでしょうね。

 

孫権

 

 

『通俗子』

通俗子

 

昌平庵渡橋(しょうへいあんときょう)が描いた『通俗子』。1800年に刊行された洒落本です。主人公は劉備がモデルの宴徳(えんとく)。この男は美しい芸者に心を奪われていました。しかし、恋敵となる関羽をモデルとした不侫が現れます。ひとりの女性を巡ってついに宴徳と不侫は果し合いをすることに…!得物を構えて睨み合う2人。この恋、どうなる…!?

 

「そこの二人、ちょいとお待ち!」割って入ったのは一人の芸者・町妃。なんとこの町妃、モデルは張飛(笑)豪放磊落な性格の町妃のおかげで2人は仲直り。さらに3人は意気投合して義兄弟の契りを結んだのでした。えぇ!女でも義兄弟の契りを結べるの…!?何とも面白い『三国志』の二次創作作品の数々。江戸の人々の自由な発想力に驚嘆せずにはいられませんね

 

※この記事は、はじめての三国志に投稿された記事を再構成したものです。

元記事:三国志の二次小説が江戸時代に書かれていた

 

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