中国の歴史の中でも一際異彩を放つ王朝である漢。その礎を築いたのは、劉邦という人物でした。彼は一体どのようにして400年もの長い歴史を誇る漢王朝の礎を築き上げたのでしょうか?今回はその建国までの道のりを辿ってみたいと思います。
この記事の目次
なぜか周りに人が集まるヤクザ者・劉邦
劉邦は現在の江蘇省徐州市あたりにあった沛県で生まれ育ちました。劉邦は酒浸り女浸りのどうしようもないヤクザ者で、せっかくコネで官職についても真面目に働かないという残念な人でした。ところが、劉邦には不思議な魅力があったようで、彼が飲み屋にいるとたくさんの人が自然と集まり店はあっという間に満席になったそうです。
沛公となった劉邦
ある日、劉邦は亭長として人夫を連れて咸陽に向かいました。しかし、秦では過酷な労働と厳しい刑罰が待っているということを知っていた人夫たちは途中で続々と逃亡。この状況を見てやけくそになった劉邦も酒を飲んで人夫たちを逃がし、自らも逃亡して沼沢に隠れるという暴挙に出てしまったのでした。
そんな折、陳勝・呉広の乱が勃発。劉邦の故郷・沛県では反乱軍に与するべきか、あくまで朝廷側に立つか、人々の間で動揺が走りました。その際、蕭何や曹参を中心に「今の県令じゃあ話にならないし、とりあえず人望がある劉邦を頭にして反乱に参加しようぜ」という声が上がり、隠れていた劉邦の元に使者が送られます。
県令が劉邦を締め出すというトラブルがあったものの、人々の歓迎を受けて劉邦は沛県の県令となり、以後劉邦は沛公と呼ばれるようになったのでした。
項梁・項羽の勢力下に
沛公となった劉邦は2、3千人の配下を引き連れて周辺の県の平定に出かけることにします。序盤の劉邦の戦いはいずれも思わしくなかったものの、少しずつ兵を集めて勢力を拡大していきました。
そんな中で劉邦は運命の軍師・張良をゲットします。
時を同じくして南の方でも勢力を拡大していた者たちがありました。それは、項梁とその甥の項羽です。劉邦とは比べ物にならない強さを誇る彼らは秦郡を破竹の勢いで蹴散らし、順調にその勢力を伸ばしていました。項梁・項羽と出会った劉邦も打倒・秦という志を同じくするということで彼らの勢力下に入って共に戦うことになりました。
先に関中に入っちゃった劉邦
途中でリーダーである項梁が戦死してしまうものの、項羽と劉邦は力を合わせて秦軍を追い詰めていきました。これからいよいよ秦の都・咸陽に突撃というときに、なんと趙から救援要請が。そこで項羽一行はひとまず趙に向かい、劉邦一行は別動隊として西回りに咸陽へ向かうことになりました。
そのときは誰もが項羽が1番最初に咸陽に入ると思っており、項梁や項羽に担ぎ上げられていた懐王も「1番先に関中に入った者を王とする」とお約束。ところが、力業で敵をなぎ倒す項羽に対し、無血開城でひょいひょいと進んだ劉邦はあっという間に咸陽に到着。そして、項羽にその功を横取りされまいと劉邦は函谷関を固く閉ざしてしまったのでした。
絶体絶命!鴻門の会
劉邦に締め出されて黙っている項羽ではありません。「俺が秦の主力軍と戦っていたから早く関中に入れただけのオッサンが関中王を気取りやがって!」と大激怒。項羽軍は怒涛の勢いで函谷関に迫りました。圧倒的な力を誇る項羽軍に攻められては劉邦軍はひとたまりもありません。
劉邦陣営がかなり焦っていたところ、なんと項羽の叔父・項伯が救いの手を差し伸べに来てくれました。項伯は張良に恩返しをすべく、わざわざ劉邦のもとを訪ねてきてくれたのです。項伯がなんとかとりなしてくれたおかげで、鴻門で劉邦の弁解の場が設けられることに。これが世にも有名な鴻門の会です。この会のおかげで項羽の怒りは鎮まり、劉邦は何とかその命を落とさずに済んだのでした。
漢中王となった劉邦に新たな戦力
命は助かったものの、劉邦は辺境の地である漢中に飛ばされます。もはや流刑です。しかし、ここで劉邦は再び素晴らしい人材をゲットします。
その人こそが韓信です。蕭何は韓信の才能を見抜き、韓信を大将軍に抜擢。劉邦軍に希望が灯った瞬間でした。
楚漢戦争で辛くも勝利
しばらくは項羽による統治が行われていたのですが、項羽はわがままで乱暴な性格だったので、ついに各地で反乱が起こります。もちろん劉邦もこの反乱に乗じて挙兵。楚漢戦争に突入します。しかし、やはり項羽軍は強く劉邦軍は何度も大敗を喫します。それでも劉邦軍は様々な計略を用いて少しずつ項羽軍の力をそぎ落とし、ついに垓下で項羽を自刃させて勝利を手にしたのでした。
三国志ライターchopsticksの独り言
項羽という強敵を下した劉邦は、正直そこまで魅力的な人物に映りません。しかし、彼は素晴らしい人物を引き寄せる力を人一倍持っていました。彼のそのような力が彼に天下をもたらしたのでしょう。
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