今回紹介する『岳飛伝』は北方謙三の小説ではなく、田中芳樹が編訳(翻訳して編集)した小説です。
田中芳樹は『銀河英雄伝説』や『アルスラーン戦記』などの作品で有名な小説家ですが、1990年代からは中国史小説の執筆・翻訳に専念していました。
『岳飛伝』は彼が手掛けた翻訳作品の1つです。モチーフの小説は清代(1644年~1911年)に出版された『説岳全伝』という小説です。
『説岳全伝』は南宋(1127年~1279年)の名将岳飛とその仲間の物語です。
2001年に中央公論新社から全5巻で出版されました。2年後の2003年に講談社に権利が移り、講談社ノベルスから全5巻、2007年に講談社文庫から全5巻が出版されました。
実は筆者はこの本を人に推薦しません。史実ではないから?
違います。そんなつまらない理由ではありません。
ちゃんとした理由があったからです。
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岳飛伝の主な登場人物
登場人物は以下の通りです。
・岳飛・・・・・・主人公。中国史上最大の英雄。4巻で獄死。
・牛皐・・・・・・岳飛の義兄弟。岳飛死後の主人公。『水滸伝』の李逵(りき)のポジション。
・湯懐・・・・・・岳飛の義兄弟。
・王貴・・・・・・岳飛の義兄弟。
・張顕・・・・・・岳飛の義兄弟。
・高宗・・・・・・南宋初代皇帝
・秦檜・・・・・・南宋の宰相
・張俊・・・・・・南宋の将軍。秦檜と協力して岳飛を殺す。
・兀朮・・・・・・金(1115年~1234年)の元帥。岳飛のライバル。
岳飛伝の概要と特徴 勧善懲悪 悪は許さず
概要はざっくりと以下の通りです。
1~3巻は岳飛の誕生と昇進する姿を描いた華々しい話。
4巻は秦檜との対立から獄死までの悲しい話。
5巻は岳飛の死後、残された仲間の最後の戦いの話。
この作品の特徴は勧善懲悪です。
最後は正義が勝ち、悪は敗れる。まさにハリウッド映画の方式です。
紹興31年(1161年)の金との最後の戦は牛皐が金の皇帝を討つ結末にしています。また、岳飛を殺した秦檜は岳飛の亡霊に悩まされて死んでいき、岳飛謀殺に関わった張俊は死刑になります。
無論、これらは史実を無視したものです。金の皇帝は内部の反乱で殺されていますし、秦檜も張俊も病死です。
しかし読み手にとっては、「こうでありたい」という思いがあるのでしょう。
だから、例え歴史を無視した嘘でもよいと思います。ただし、この作品には批判点もある(というより、それが多い)のです。
筆者がこの本を人に推薦しないのはそれらが原因です。
以下、紹介します。
■中国を代表する物語「水滸伝」を分かりやすく解説■
岳飛伝の批判点1:魅力無き義兄弟
実は牛皐を除く義兄弟が魅力ありません。
理由は以下の通りです。
(1)湯懐
幼い時は腕白小僧なのですが、大人になったら冷静沈着になります。槍と白い鎧という特徴から『三国志演義』の趙雲(ちょううん)がモチーフだと思います。
ところが目立った活躍の場は無く、やる事は牛皐が失敗した時に、岳飛を説得するポジションです。
最期は金の軍勢に囲まれ自害します。
(2)王貴
正史では岳飛から処罰を受けたことを恨み、張俊と共謀して、岳飛を罪に落とした人物です。
しかし物語ではそのような記述は無く、活躍も1巻のみ。最期は5巻で病死します。
(3)張顕
最も影の薄い義兄弟です。セリフもほとんど無く、いつの間にかフェードアウトしています。最期は5巻で王貴と一緒に病死します。
要するに、ほとんどの義兄弟が役に立たないのです。
物語の登場キャラクターとして意味がありません。
岳飛伝の批判点2:突然ファンタジーになる
岳飛の死後、物語は息子の岳雷の世代に移ります。ところが、この世代の戦は兵法ではなく、魔法を駆使して戦うことになります。
簡単に言うなら、『封神演義』のような世界観です。史実無視までならともかく、世界観が変わるのは物語としてNGです。筆者は読むのをやめようかと思いましたが、せっかく4巻まで読んだので、最終巻まで読みました。
読了には苦労しました。
宋代史ライター 晃の独り言
以上が、田中芳樹氏『岳飛伝』の感想です。筆者が他人に推薦しない理由は分かりましたか。
筆者は割とマンガや小説・アニメも見るので、作品に対する視点が厳しいのです。
だからといって筆者は翻訳した田中氏を批判するつもりはありません。むしろ、田中氏は飽きずに最後まで翻訳したのがすごいと思いました。
でも、この記事を読んで少しでも興味がわいた人は読んでみてください。
※参考
・岳飛伝 全5巻セット
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