蒙恬(もうてん)の父は蒙武(もうぶ)祖父は蒙驁(もうごう)です。元々からの秦の人ではなく、祖父の代に斉から移住しました。キングダムでは同じく武官貴族でエリート意識が強い王賁(おうほん)と違い、飄々とした風貌で信とも気軽に口をきく蒙恬ですが、彼の人生とは、その後どうなるのでしょうか?
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最初は文官から出発した蒙恬
実は蒙恬は、猛将のイメージがある父の蒙武とは違い、線が細い人物で当初は文官として活躍して訴訟・裁判などを担当していました。成程、それでキングダムでは、いがみあう信と王賁の仲裁に入るのか、、というのは冗談ですが、漫画でもおよそ武将らしくない風貌は、史実に基づいているのかも知れません。
蒙恬、武将に転身して信と組んで楚を攻める
紀元前224年、秦王政は、楚を攻めるべく軍を起します。ここで、老将王翦(おうせん)は60万の軍を要求、一方の信は、
「20万でやってやるぜ」
と威勢のよい事を言ったので政は、信に20万の大軍を与えて、蒙恬を副官にします。ここまでには、信はかなり出世したのでしょう、貴族の蒙恬を副官にしているわけですからね。
信と蒙恬、楚で快進撃を続ける!!
信と蒙恬のコンビは楚に入ると軍を二手に分けて連戦連勝しました。蒙恬も寝(しん)で大勝利して気を良くし、城父(じょうほ)で信と合流します。
信「なんだよ、楚は勇猛だと聴いていたが大した事ねえな」
蒙恬「全くだ、いや、俺達が強いだけなんだろう、
ざまあみろ、楚の連中め!ファヤヤヤーン」
※ファヤヤヤーンに意味はありません。
連戦連勝に気を良くした両者は、もう楚を滅ぼしたようなつもりになって、完全に油断していました。しかし、これまでの勝利は、楚の大将軍となった項燕(こうえん)の計略だったのです。
楚の項燕軍に背後を突かれ秦軍は壊滅する
項燕の楚軍は、油断している秦軍の背後を三日三晩追い続けて、ついに城父に到着、これまでの恨みをブチまけて攻めこみます。油断していた秦軍は、殆ど抵抗できず、20万の兵士の大半が殺されます。
信と蒙恬は、その場から逃げるのが精一杯でした。この項燕将軍は楚漢の戦いで劉邦のライバルになる楚の項羽(こうう)の祖父です。二人して、大敗北を演じてしまった信と蒙恬ですが、秦王政に処分されるような事もなく、紀元前221年には蒙恬は家柄で将軍に任命されます。どうやら、この二人特別に厚く、政の信頼を得ていたようです。
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