三国志(さんごくし)をもっと詳しく知りたい!と思ったら正史を読むことは避けて通れません。
でも史書なんて、なんか敷居が高そう・・・・・・と思う方のために、今回は楽しい正史の読み方を伝授します。
この記事の目次
そもそも正史って読まなければいけないの?
一般的に三国志演義は「史実7割創作3割」と言われています。
その7割の史実の大半のネタ元になっているのが、正史三国志や、後漢書、晋書などという史書です。
別に読まなくても問題はないんですが、三国志演義で活躍している武将たちが1800年前に実在していたんだなと実感できるのでお薦めです。
あの人のこんな意外な一面も?!というのも、史書を読まなければ分からないことです。
三国志演義なんだから正史三国志だけ読んでれば良いんじゃないの?と思う方もいるかもしれませんが、そうはいかないのが歴史の面白いところです。
例えば孫権伝は正史三国志にしか記載はありませんし、曹操の祖父である曹騰伝などは後漢書にしかありません。
三国志と後漢書の両方に伝が立っている人物も多くいて、また両方の記述が微妙に違っていたりして切っても切り離せない関係にあります。
「正史」の編纂のおやくそく。紀伝体ってなに?
「両方に伝が立っている」と書きましたがまだ歴史書の三国志を読んだことがない人は「そもそも伝ってなんだ?」と思う方もいるかもしれません。
正史には決まりが幾つかあります。
新しい国がその直前の歴史を纏める
一つ目は、新しい国がその直前の国の歴史を纏めるということです。
史書編纂は現在の国家の正当性を知らしめるとともに、過去の偉人たちに学ぶという意味でとても大切な国家の仕事でした。
ですから漢書は後漢の時代に、三国志は晋代に編纂されています。
後漢書に関しては少し事情があり、三国志の編纂後に作られています。
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形式も決まっている
そして二つ目の決まりは形式。
これは国が編纂を命じて作る「正史」以外の歴史書にもいえることです。
歴史書は年と出来事をずらずらずらーっと記載していく「編年体」で書かれるのが普通でした。
春秋などは編年体で記されています。
しかしかの名著・司馬遷の「史記」から人物ごとに歴史上の出来事を記載する「紀伝体」が主流になりました。
紀伝体の「紀」とは本紀のことで、皇帝のことは本紀に書かれています。
例えば三国志で曹操のことを書いている箇所は「武帝紀」となります。
皇帝は尊い存在なので名前ではなく諡号で呼ばれます。
本紀に対して、当時活躍した人物のことを書いたものが「列伝」です。
列伝は何人かの伝を一纏めにするのが主流です。
三国志演義で登場する蜀の五虎将軍というのは三国志蜀書で関張馬黄趙伝と一纏めにされていたために誕生したものです。
(諸葛亮のように編纂当時から偉大な活躍をしたと認識されていた人は一人だけで伝が立てられることもあります)
その他にも紀伝体の史書は「表(年表)」や「志」を付すという決まりごともありますが、現存する三国志にこの二つはありません。
ちなみに、日本の歴史書である日本書紀も元は「日本書」の「本紀」らしいです。
これさえ覚えておけば日本書紀と古事記の「き」という漢字をテストの時に書き間違える、なんてことはありませんね!
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木を見て森を見るな!
さて、これで史書というものがいったいどういったものなのかが分かりました。
ではこの史書をどのように読めば楽しくなるのかというと、ズバリせっかく紀伝体で書かれているのだから「好きな武将の列伝を舐めるように読む!」。
これしかありません。
誰かひとりでいいので、列伝をひとつ読んでみましょう。
(曹操が好きだからといって武帝紀から読むのはあまりお奨めできません。長いので・・・・・・)
一人の列伝を読んでいる内に、その内そこに記載のある別の人物のことが気になってきます。
そうしたら、今度はその人物の列伝を読む。
全体像は三国志演義で知っているのだから、ポイントだけを読んでしまえば良いのです。
これぞまさしく木を見て森を見ない戦法。
史書の特徴
そうこうしている内にたまに「アレ?」と思うところが出てきます。
史書は国家が作るものなので、当然検閲が入ります。
編纂された当時の国家や皇帝の不利益になることは覆い隠されてしまうのです。
が、古代の歴史家たちは己の仕事に誇りを持って取り組んでいたのでわずかに真実に繋がるような書き方をしていたりします。
そのわずかなヒントを見つけ出し、編纂者の立場や当時の時代背景を考えてみる。
すると今まで悪い部分しか見えなかった人物の意外に良い面や、そのまた逆も見えてくるから面白いです。
裴松之さんの評はおもしろい
三国志を編纂したのは陳寿(ちんじゅう)ですが、その陳寿が私見を排除し信憑性のない話も除いた結果、元の三国志の文章は酷く簡潔で味気ないものになっています。
恐らくこの陳寿の三国志だけでは三国時代はこんなにも長い間、国を越えてまで人々の心を魅了しなかったのではないかと思います。
そこで登場するのが、真偽の分からないものもなんでも良いから付け加えちゃえ!と註釈を加えた裴松之さんです。
その玉石混合した雑多な情報が面白く三国志は他の史書とはまた違った楽しみ方もできるのです。
また、裴松之は列伝などの最後に自分の感想も添えています。
陳寿とは異なり私情込め放題のそのコメントも一見の価値ありです。
例えば賈クに対するコメントは酷いもので「賈クなんかが荀彧や荀攸と同じ伝っておかしいだろう?素行に問題があった程昱や郭嘉と一緒にしとけよ!」
と陳寿の編纂に文句を言っています。
賈クが気の毒なのは勿論ですが、
そんなことで名前を出された程昱と郭嘉がとばっちり過ぎて笑えます。
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