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宴会場面から読み解く「孫権の人柄」!あなたは孫権との飲み会に参加したい?したくない?

2019年10月13日


 

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呉の孫権は皇帝

 

魏呉蜀の三国による攻防が熱い、歴史物語『三国志』。その三国の君主の中で、魏の曹操(そうそう)と蜀の劉備(りゅうび)は何かと主人公格として扱われるのに対して、もう一人の孫権(そんけん)はいつも一歩引いた「準主役」という扱いが多い印象です。

 

海上での戦いの孫権

 

ところがこの三人の中で一番若く、かつ長生きもしたのが、孫権なのです。生年は劉備より20年ほど若く、亡くなったのは70歳くらいの時でした。

 

張昭、孫権、孫策、周瑜

 

ということはこの孫権、三国志の物語序盤の頃も、表舞台に登場していないだけで少年として時代の空気を感じながら育っていたはずですよね。そして呉の君主となったあとは、曹操や劉備が退場したあとの物語終盤までずっと登場し続ける役回りとなっています。

 

孫権

 

いわば三国時代の英雄の中でも、「この時代とともに育ち、ともに年を取った世代」に特にドンピシャの人物が、孫権なのです!

 

関羽の呪いで殺される呂蒙

 

それにしても、反乱や暗殺、戦争や疫病、果ては過労や仙人による呪死まで(!)、さまざまな死の危機にさらされる三国時代の英雄たちの中でこの長寿を保ったのは、何かしらの秘訣があったのではないでしょうか?

 

自称・皇帝
当記事は、
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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そういえば「正史」における孫権は宴会シーンが多い!?

酒癖が悪い孫権

 

この孫権、三国時代の歴史を伝える陳寿(ちんじゅ)の『正史三国志』の記述を追ってみると、飲み会エピソードがやけに多い人物です。

 

甘寧と凌統と孫権

 

甘寧(かんねい)と出会った時も、飲み会を開いて「この盃の酒をパアっと飲み干す勢いで、黄祖(こうそ)をやっつけてきておくれよ」とちゃっかり大任を押しつけている

・部下が酔いつぶれるまでさんざん酒を飲ませていることを張昭にたしなめられ、シュンと気落ちするというエピソードが伝えられている

 

「酒は百薬の長」とも言いますし、もしかしたら孫権の長寿の秘密は「楽しい宴会をしばしば行っていたから」なのではないでしょうか?

そこで『正史三国志』のほうから、孫権が主催した飲み会の雰囲気とはどのようなものだったのかを探ってみました!

 

まずは虞翻と飲んだ場合のエピソード

呉お正月企画、お酒にまつわる逸話07 孫権

 

たとえば『正史三国志』の中の「虞翻伝」には、孫権の酒宴の様子が以下のように記載されています。

 

・すっかり上機嫌な孫権は自ら部下たちに無理に酒を注いで回っていた。アルコールハラスメントだ!

・酒を次々に注がれることで面倒くさくなってきた虞翻は、酔い潰れた演技をしてごまかした

・うまくごまかした虞翻、そのあとちゃっかり居住まいをただして座っていたら、そこに孫権が戻ってきて、バレた

・「俺の酒を飲めないとはナニゴトだ!」と激怒した孫権は、「虞翻を処刑せよ」と言い出した

・他の将軍たちがとりなしたおかげで、孫権も思いとどまった

・あとでこのことを思い出して恥じた孫権は「私が酒に酔った時に出した処刑命令は、今後も無効、ということでよいからね」と指示を出した。当たり前だ!

 

どうでしょうか?

 

孫権の飲み会とはこんな雰囲気だったようです。もっとも、いっぽうで「虞翻伝」をよく読むと、「虞翻はしばしば酒のうえで失敗があった」という気になる作者陳寿のコメントが挟み込まれているので、虞翻は虞翻で酒の席ではあんまりいい評判ではなかったのかもしれません。

 

そんな孫権と虞翻がいる「呉の飲み会」、あなたは参加してみたいですか?

 

他国の使節にも容赦のない孫権のアルコールハラスメント!

孫権

 

孫権主催の飲み会の話は、呉の武将たちの列伝だけに出てくるものではありません。蜀の功臣である費禕の伝記という、とんでもない箇所にも、「孫権の飲み会」の細かい描写が出てきます。「費禕伝」に記載されているところによると、その様子は以下のような感じでした。

 

・費禕が呉を訪れた時、孫権が歓迎の飲み会を催すことにした

・孫権は特別に上等の酒を用意して費禕の盃に注ぎまくった。やっぱりアルコールハラスメントだ!

・費禕が酔っ払ったのをみはからい、国事についての難しい質問をふっかけた

・費禕は「酔っていますので」と即答を避け、退出してから質問を吟味して順序だて、箇条書きにして返答した

・その返答内容、遺漏するところがなかったため、孫権はおおいに感心した

 

費禕

 

さすがは費禕

と言いたいところですが、その前に、他国の外交使節にもアルコールハラスメントを仕掛ける孫権の飲み会って、いったいなんなのでしょう!?

 

まとめ:さあ、あなたは孫権の飲み会に参加したいですか?

呉の孫権

 

その他も、だいたい孫権の飲み会の話というのは、「孫権がさんざん盃に酒を注いで意地悪をした」という話に始まり、それに対して「部下がキレた」か「うまくご機嫌をとって気に入られた」のどちらかがオチになります。

 

三国志ライター YASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

『正史』ではなくて『演義』のほうの話になりますが、酒の席で呂蒙が関羽の霊に乗り移られて暴れるというオカルト展開もありますが、その時もシチュエーションは宴会です。

 

呂蒙のお見舞いにかけつける陸遜

 

ひょっとして呂蒙や周瑜の早世も、この孫権のアルコールハラスメントが影響していたのでは?

いわれてみれば孫権の飲み会好きに批判的だった張昭は長生きしておりますし。

 

飲み会場面を通して見えてくる孫権の豪快な人柄。

さあ、あなたはこんな飲み会に、参加してみたいですか?

 

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呉の武将

 

 

 

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