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呂布はどんな最期を迎えたの?飛将軍の最後を紹介

2019年11月1日


 

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赤兎馬と呂布

 

 

三国志で随一の武勇を誇った「天下無双」の男、呂布(りょふ)

 

 

呂布に暗殺される董卓

 

 

2度までも義父を殺し、裏切りを重ね、放浪の日々をよぎなくされていた呂布は、劉備(りゅうび)が統治していた徐州を奪い、ここでようやく一国の領主となったのでした。

 

 

呂布のラストウォー 処刑される呂布

 

 

しかし、この大きな一歩こそが、自らを追い詰める一歩に他なりませんでした。愛馬の赤兎馬(せきとば)とともに戦場を所狭しと駆け回った呂布が、どのような最期をむかえたのかを紹介します。

 

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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徐州占拠

呂布と劉備

 

 

兗州(えんしゅう)での曹操との戦いに敗れた呂布は、徐州の太守だった劉備の保護を受けました。しかし、『三国志演技』ではそこに曹操の意を含んだ朝廷からの勅命が劉備のもとに届き、袁術(えんじゅつ)を討伐するように言い渡されます。

 

 

張飛にお酒はだめだよ

 

 

劉備は義弟の張飛(ちょうひ)に、「酒を飲まない、腹を立てない、兵士に暴力をふるわない」という言いつけを与えて留守を任せて、袁術討伐へと向かいます。ところが張飛は3つの約束をすべて破ってしまいます。

 

 

曹豹

 

 

酔った張飛は、酒を断った曹豹(そうひょう)に激怒し、殴りつけるという大失態をしでかします。曹豹は、従兄の呂布のもとへ身を寄せると、徐州を襲うなら今だと進言。

 

 

陳宮

 

 

陳宮(ちんきゅう)の勧めもあり、呂布は下邳(かひ)を攻撃すると、劉備の妻子を捕虜にして、あっさりと手中に収めたのでした。

 

 

 

劉備、曹操を頼る呂布

土いじりをする劉備

 

 

妻子を人質に取られた劉備は、おとなしく呂布に降伏します。下邳の支城である小沛(しょうはい)に劉備を入れ、呂布は徐州刺史を名乗ります。呂布は袁術から攻められた劉備を助けたりもしますが、曹操と袁術との関係を改善させると小沛を攻撃し、そこも自領とします。

 

 

劉備と曹操

 

 

追い落とされた劉備が助力を求めたのは、曹操でした。このときすでに袁紹(えんしょう)を倒していた曹操は、精強な30万の青洲兵を自軍に入れ、中原に大勢力を築いていました。

 

 

謀反を起こされる側に

裏切った呂布

 

 

裏切りを重ねてきた呂布が、今度は自分が部下の謀反にあう番となります。『正史三国志』では、劉備から下邳を奪った同じ年に、ある軍勢にその役所が襲われます。

 

 

郝萌(かくぼう)

 

 

攻撃をしたのは、なんと反乱を起こした部下の郝萌(かくぼう)

 

 

反乱を起こす郝萌(かくぼう)と曹性

 

 

城門が堅かったため、城は落ちず、呂布は厠の天井から妻とともに脱出し、高順(こうじゅん)の陣に逃げ込みました。

 

 

郝萌(かくぼう)と曹性をボコボコにする高順

 

 

郝萌は部下の曹性に裏切られて片腕を失い、さらに高順の攻勢にあって討ち死。曹性に事情を聞くと、郝萌は袁術にそそのかされて下邳を攻撃したと説明した上、さらに共謀者がいると言います。

 

 

曹性

 

 

それは誰かと問いただす呂布に、曹性はこう答えます。

「共謀者は陳宮です」

 

その場に居合わせた一同の目が、一斉に陳宮に向けられます。当事者の陳宮はというと、赤面していました。どうやら事実だったようです。結局、この件について陳宮は責任を問われていません。呂布としては、有能な陳宮を失うわけにはいかなかったからなのかもしれませんね。

 

 

曹操、下邳を包囲する

曹操から水攻めを受ける呂布

 

 

郝萌の反乱はなんとか鎮圧し、劉備を小沛からも追い出した呂布でしたが、198年にとうとう曹操の軍勢に下邳を囲まれてしまいます。籠城戦に持ち込まれて、得意の騎馬攻撃も使えず、ただただ消耗していく呂布軍。

 

 

漢 魏続(ぎぞく)

 

 

打開策を見いだせない呂布と軍師陳宮に対する諸将の不満が募っていきます。冬のある日に、侯成(こうせい)魏続(ぎぞく)宋憲(そうけん)は陳宮を縛り上げて、曹操軍に投降してしまいます。

 

 

呂布を裏切る魏続(ぎぞく)と宋憲(そうけん)

 

 

それでも呂布は残った配下とともに、場内の白門楼で奮戦しますが、もう力が及ばないことを悟ります。武勇の人物らしく、敵軍に突っ込むかと思いきや、彼は楼から下りるとおとなしく捕縛されたのでした。

 

 

劉備が助命に異を唱え、処刑された呂布

呂布のあっけない最後

 

 

正史では捕縛された呂布は次のように描かれています。曹操の前に引き出された呂布は、「縄目がきつすぎる。少し緩めてはくれまいか」と頼みますが、「虎を縛るのだからそうせざるをえないだろう」と曹操は答えます。

 

 

赤兎馬にまたがる呂布

 

 

さらに呂布は「あなた様が歩兵を率い、呂布めに騎兵をお任せくだされば、天下の平定は容易になしとげられるでしょう」と自分を部下にするよう説得します。有能な武将には目がない曹操。一瞬、本気で呂布の案を考えます。

 

 

曹操に命乞いをする呂布と反対する劉備

 

 

 

しかし、そこに割って入ったのが劉備でした。

「曹操様、この呂布めが丁原殿や董卓殿を裏切ったことをお忘れですか?」

「お前こそが信用ならない奴ではないか!」

 

 

呂布のラストウォー 呂布

 

 

これは、劉備が公孫瓚や袁紹、陶謙、呂布、曹操と次から次へと庇護してくれる人を変えてきたことを指摘したのでした。五十歩百歩な感じはしますが。それでも劉備の言葉で我に返った曹操は、呂布を殺すことを決意。

 

 

高順が呂布に疎んじられた理由07 高順

 

 

かつて曹操の軍師だった陳宮とともに、呂布は下邳で処刑されました。

 

 

三国志ライターたまっこの独り言

たまっこ f

 

 

呂布の人物としての評価が低い理由には、度重なる裏切りに加えて、見苦しい死に方であったことも理由の1つなのかもしれません。

 

呂布の英雄石像

 

実に人間臭い武将だったのでしょうが、三国志の中で最強の武将なだけに、ちょっとがっかりな死に際だと、私も思ってしまうのです。

 

参考

『三国志人物外伝 亡国は男の意地の見せ所』 坂口和澄 平凡社新書

 

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呂布

 

 

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たまっこ

KOEIのゲームから歴史に興味を持ち始め、 吉川英治の「黒田如水」を読んで以来、歴史にどっぷり。 最近はローマ史がお気に入り。 外国からの観光客に日本の歴史を伝えるお仕事も そのうちできたらなぁ、と思ってます。 好きな歴史人物: ユリウス・カエサル、竹中半兵衛、葛飾北斎、エイブラハム・リンカーンなど 何か一言: 歴史には、 自分には到底できない生き方をした人がゴロゴロいて、 飽くことがありません。

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