蜀(221年~263年)の建興12年(234年)に蜀の丞相である諸葛亮は魏(220年~265年)との戦いの最中に亡くなります。諸葛亮の死後に将軍の魏延と諸葛亮の側近の楊儀は壮絶な権力闘争を起こすことになりました。
しかし最終的に魏延は諸葛亮が残したある秘策により討たれることになったのです。それは何でしょうか?今回は小説『三国志演義』をもとに魏延の最期について解説します。
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「魏延 最期」
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角の夢
魏延はある日、変な夢を見ました。それは自分の頭に角が生えるという奇妙奇天烈なものです。夢なので気にするものではないのですが、昔の人は迷信深いのでちょっとしたことでも気にするものでした。その時、趙直という人物が通りかかります。彼は夢占いを得意としていたので魏延は聞いてみることにしました。
話を聞いた趙直は「最高ですね」と太鼓判を押します。趙直によると麒麟は角を持っているが、それを使用することはない。魏延はこれから戦わずして敵を倒すことが出来ると解釈します。
趙直の解釈を聞いて魏延は一安心。暗い気持ちも吹き飛んでしまいました。退出した趙直は費禕に会います。何を話していたのか費禕に尋ねられたので趙直は先ほどの件を全て正直に言いました。
「それは本当に良い夢なのか?」と費禕が尋ねますが、趙直は首を横に振ります。
「凶です。『角』という字は『刀』と『用』の字を使います。刀を用いるということは、斬り殺されるという意味です」
驚いた費禕は趙直に夢の話については他言しないように伝えました。
諸葛亮の死と魏延の反乱
建興12年(234年)に諸葛亮はこの世を去りました。訃報を聞いた魏延は軍事権は誰が扱うか費禕に尋ねます。緊急事態なので楊儀になったことを費禕は言いました。これに対して魏延は激昂!
「自分こそ蜀軍を率いるにふさわしいんだ!楊儀なんて認めないぞ」
魏延の様子がただ事でないと分かった費禕は、すぐに退出すると楊儀のもとへ向かいます。話を聞いた楊儀はとりあえず今は無事に諸葛亮の遺体を蜀まで運ぶことが先決であることをみんなと協議。魏延は放置することにしました。
こうして楊儀・費禕、姜維はすぐに撤退開始。一方、魏延は自分が放置されたことにしばらくしてから気付きます。「あいつら絶対に、殺す!」と怒った魏延は成都の劉禅に向けて手紙を書きます。
迷う劉禅
魏延からの手紙を受け取った劉禅はビックリ!楊儀が謀反をしたと記されていたのです。
「どうしよう!」とうろたえる劉禅でしたが、蔣琬が少し落ち着くように説得。考え直してみれば、おかしいと劉禅も思います。
間もなく楊儀からも手紙が届いて魏延が謀反を起こしたと言ってきました。どっちを信じればよいのだ、と劉禅はため息をつきます。
蔣琬は「楊儀と魏延は不仲で有名です。今までの不満が爆発したのでしょう。誰かに行って仲裁してもらいましょう」と提案。それしかない、と感じた劉禅は董允に行ってもらうことにしました。
魏延の最期
その頃、魏延は形勢不利でした。頼みにしていた兵士は反乱に加担したくない、と相次いで逃亡。頼みとするのは馬岱と少数の兵だけです。
「もうダメだ・・・・・・魏に降伏しよう」と魏延はトホホな気分。ところが馬岱がストップをかけてくれたので思い直します。
「蜀を一緒に奪いませんか?」と馬岱が提案します。魏延の脳裏に「皇帝」の2文字が浮かび上がりました。
「皇帝か・・・・・・ロマンがあっていいね」と魏延は夢の皇帝ライフを考えます。そこで一気に漢中を攻撃することにしました。
さて、楊儀は魏延と馬岱が攻めてきたので「ヤバイ」と冷や汗・・・・・・少数とはいえ、豪傑2名です。どのくらいの損害が出るか分かりません。その時、楊儀は諸葛亮が死ぬ間際に自分に渡していた巾着を思い出しました。巾着の中身を開いた楊儀は「そういうことか!」と言いました。
魏延は城外でわめいていましたが突然、楊儀が出てきます。楊儀は「ちょっと提案がある。『自分を殺せる者はいるか?』と叫んでみろ。3回叫べたら城は渡すし、私の首も差し出そう」
それを聞いた魏延は喜んで「自分を殺せる者がいるか?」と叫びました。その瞬間、「ここにいる!」と声が後ろから聞こえました。魏延が振り向くと馬岱が刀を振り下ろしていました。
魏延はバッサリと馬上から斬って落とされます。タネを明かすと馬岱は諸葛亮が放っていた密偵でした。馬岱は魏延が魏に走らないように見張っており、もし謀反の意思を自分からはっきり示した時は斬り捨ててよいと諸葛亮から託されていたのです。
こうして魏延の謀反は鎮圧されました。和解の使者である董允が到着したのは、それから間もなくでした。
三国志ライター 晃の独り言 祝1年達成
筆者がはじめての三国志に来て1年が経過しました。最初は出来るか不安でしたけど、どうにか継続が出来ました。
筆者はここに来た当初、記事は自分さえ満足出来ればよいと思っていました。だけど、その考えが誤りでした。この考え方を見抜かれたらしく、おとぼけディレクターやKAWAUSO編集長からご指摘をいただきます。
最初の頃は言われても自分は分かりませんでした。ただし、他のライターの記事を読んでいくと、彼らは自分のために書いているのではなく、読者のために書いていると分かりましたので、筆者は心を入れ替えて書き直すことに決めました。
読者の皆様からのコメントは本当にありがたいです。称賛・批判・同意・雑言など内容は様々・・・・・・しかしながら筆者はどんな内容でも受け止めます。むしろ自分の大したことない記事を見てくれていること自体をありがたく思います。それではこれからも応援よろしくお願いします。
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