【キングダム】六大将軍の部下はどこに行ったのかを調査

2020年1月18日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

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キングダムは戦国時代を扱う都合から、頻繁(ひんぱん)に登場キャラクターが戦死しています。この場合、死亡した将軍が率いている部下は一体、どこに移動するのでしょう?

 

鄧禹と兵士

 

また、リアルな歴史では、軍隊の引継ぎはどのように行われたのでしょうか?今回は、キングダムのレジェンド、六大将軍の部下について調査してみます。

 

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1:王騎軍は騰に引き継がれた

キングダム26巻

 

秦国六大将軍である王騎(おうき)は、紀元前244年、馬陽の戦いで龐煖(ほうけん)に討たれて戦死した設定になっています。王騎には息子はいなかったようなので、軍勢は副官の騰(とう)に受け継がれている事が漫画の描写でも明らかです。

 

引き継がれた武将は、録嗚未(ろくおみ)、隆国(りゅうこく)、干央(かんおう)、鱗坊(りんぼう)(故人)同金(どうきん)(故人)等、珍しく、全ての部下が王騎から騰へ引き継がれているのは、騰が副官として王騎の戦い方を熟知しているからではないかと思われます。また、王騎も騰も文武両面に優れるので、軍師相当の部下がいないのも特徴です。

 

2:白起軍は王齕に引き継がれた

白起(春秋戦国時代)

 

白起(はくき)は、六大将軍の中でも最も異質で、廉頗(れんぱ)によると戦いにくいやっかいな人物であったようです。史実でも漫画でも長平の戦いで趙の投降兵40万人を、少年兵240人を除き、全て穴埋めして殺した無慈悲な人物として描かれますが、趙兵を開放すれば秦への憎しみが強い趙兵が再び刃向かう事も予測できたと史記には記されていて、勝つという大前提を考えれば、穴埋めは戦略的に間違った判断とは言えません。

春秋戦国時代の白起、デビュー戦から大殺戮

 

そんな白起の部下ですが、どうなったのかキングダムには何の描写もありません。史実では、白起は戦いの進め方を巡って、秦の昭襄王と対立し大将軍から一兵卒に降格されているので、兵力は根こそぎ剥がれたと考えて間違いなさそうです。あくまで史実の流れを追うと、白起の軍勢は王陵(おうりょう)という将軍に引き継がれ、王陵が失態を重ねたので、次に六大将軍の一人である王齕(おうこつ)に引き継がれたとあります。これだと白起の部下は最終的に王齕に引き継がれたと推測できますが、白起の部下にどんな人物がいたのかは、史実でも漫画でも一切が不明です。

 

キングダムネタバレ考察

 

3:王齕の軍勢は一部が蒙驁に流れた?

兵士 朝まで三国志

 

六大将軍王齕は六将と呼ばれる割に、非常に印象が薄い存在です。長く伸ばした鬚髯(しゅぜん)と、顔を斜めに走る傷が特徴で、六将随一の怪力、得物は長柄大斧(ながえだいふ)というドスの効いた容貌(ようぼう)ですが、キングダムにおける戦歴は、こっそりと楚に侵攻し楚の大将軍、項燕(こうえん)の副将の汗明(かんめい)に敗れたという真偽不明の汗明の自慢話だけです。史実の王齕は、白起と共に長平で趙軍を撃破したり、邯鄲を包囲したりと派手なもので、白起の更迭自殺後は、その軍勢を王陵から引き継ぐなどしています。

 

函谷関

 

王齕は、紀元前247年、魏の信陵君が率いる五か国合従軍を蒙驁と共に阻止しようとしますが大敗し、秦は河外(かがい)の領地を失い洛陽付近まで退却、王齕はそこで軍を解散して、以後、歴史に登場しません。しかし、同僚の蒙驁はその後も登場し続け、晋陽の反乱を平定したり、韓を攻めたりしているので、王齕の部下の一部は蒙驁の支配下で統合された可能性があります。また、紀元前257年に張唐将軍の副官として、寧新中(ねいしんちゅう)を抜いたという記述もある事から、張唐とも部下を一部共有していた可能性もあります。ただ、張唐も王齕も部下の名前については分かりません。

 

4:摎の軍勢は王騎に合流か?

王異

 

摎(きょう)はキングダムの設定では、昭襄王の娘で王位継承争いで殺害される事を恐れて、実母が焼身自殺に見せかけて摎も死んだ事にして王宮から赤ん坊の摎を脱出させた事になっています。その後、ツテを頼って摎は王騎の家の召使いになりますが、どういう理由か、筋肉ムキムキくちびるお化けの王騎に惚れ、王騎の真似をして武術を習う間に、非常な剣の達人になったという設定でした。

 

ホウ煖(龐煖)

 

成長した摎は、城を百落としたら王騎の妻になるという約束を交わし、昭襄王の娘である事を隠す為にフルフェイスの兜で顔を覆い、敵が全滅するまで攻撃を止めない苛烈な将軍になりますが、奇しくも百個目の城となった馬陽で龐煖に襲撃されて死去しました。王騎との絡みは多いですが、具体的な戦い方は不明で部下についても分かりません。ただ、六大将軍であった摎の戦死は政治的に重大な影響を及ぼすと考えた王騎と昌文君が病死として処置したとあるので、摎軍は王騎の軍勢に編入されたのではないでしょうか?

 

三国志のモブ 反乱

 

史実の摎は楊摎と言い、紀元前256年、韓を攻撃して首を4万も挙げ、次に趙を攻撃しては二十の県を落とし、捕虜と斬首が九万人と派手な活躍をした上に、西周の文公を捕虜にして西周を滅ぼす活躍をしています。さらに、キングダムと違い、史実の楊摎(ようきゅう)は秦王政の中華統一後も生きており、五大夫楊摎として、紀元前219年までは生きていた事が分かります。

5:公孫胡傷の軍勢は同僚の白起に吸収?

 

王翦

 

公孫胡傷(こうそんこしょう)は、六大将軍でも異質で兜を被らずに冠を被り、軍師のような風貌(ふうぼう)をしています。どうも当人も武器をもって戦うのは不得意のようで、六大将軍の戦略は胡傷が立てていたと漫画では説明されています。また昌平君の師であると同時に、王翦を高く評価していたというので、この2名は部下と考えても間違いないだろうと思います。

 

荒れる黄河

 

史実の胡傷は、紀元前273年、趙と魏に攻められた韓の救援要請を受けた宰相魏冄(ぎぜん)の命令で昭襄王(しょうじょうおう)が派遣した白起と共に華陽に向かい、短期間で戦場に到達して準備が整わない趙と魏の軍勢を撃破し13万人の将兵を処刑し3名の将軍を捕虜にしました。

 

魏の将軍の芒卯(ぼうう)は敗走し、趙の将軍の賈偃(かえん)も秦軍に敗れ2万の趙兵が黄河に沈められています。しかし、紀元前269年に胡傷は閼与(あつよ)を攻めて、趙奢の奇策にはまり大敗、以後は歴史に出て来ません。この事から、閼与の敗戦で胡傷は死去したか、あるいは責任を取らされて六大将軍の地位を失ったのでしょう。その軍勢はどこに行ったか不明ですが、王翦が蒙驁の配下にいた事を考えると、胡傷から同僚の白起に軍勢が移動し、白起の兵卒格下げで次には軍勢が王齕に移動し、最後は蒙驁の配下として吸収されたと考える事も出来ます。

 

6:司馬錯の兵力は司馬靳から蒙驁へ

兵士を率いる事を妄想する婁圭

 

司馬錯も六大将軍ですが、白塗り眉なしカエルみたいな外見以外には詳細が不明です。史実では、秦の後方の食糧庫になった蜀の有益性を説いて開発を奨励して、経済面で秦の中華統一をアシストしています。主として、蜀で起きた反乱を鎮圧したり、楚を攻めたり、魏を攻めたりして手柄を立てていますが、一度、白起と共同で垣(えん)の城を落としています。

 

 

その縁があってか、孫の司馬靳(しばきん)が白起の副官になっているようですが、同時に白起が昭襄王と揉めた時にも巻き込まれ、同時に死を賜っています。だとすると司馬錯の軍勢は、孫の司馬靳から王齕に移動し、また王齕から蒙驁へと移動したのかも知れません。司馬靳の孫の司馬昌は始皇帝の時代に鉄を管理する役人だったという事から司馬靳の軍勢が、そのまま孫に移行したとは考えにくいです。

 

キングダム(春秋戦国時代)ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

以上、六大将軍の部下がどこに行ったかを調査してみましたが、リアルな歴史では、軍勢が縁故を通じて将軍から将軍に移動するような事はありませんでした。兵権を握っているのは、飽くまで秦王であり、兵力を与えるのも奪うのも王の権力の範囲内だからです。だからこそ、王翦は六十万もの大軍を率いた時には微塵も野心があると思われないように、褒美(ほうび)の催促をしてまで小者の振りをし秦王政の猜疑心(さいぎしん)を解く事に務めたのです。

 

参考文献:史記

参考文献:キングダム公式ガイドブック覇道列紀

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。「はじめての三国志」編集長。三国志・中国史を中心に、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を執筆・編集し、当サイトでは4,000本以上の記事を担当。三国志は正史から入ったため、演義を書くときのほうが神経を使うという天邪鬼。故郷・沖縄の歴史に関する勉強会の開催や、ラジオパーソナリティとしての活動も行う。

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