ワンポイントリリーフとは、プロ野球などで守備チームが攻撃チームの、ある打者のみを打ち取る目的で救援投手を起用する戦法を意味します。ただのリリーフなら、さらに続投する事もありますが、ワンポイントリリーフは、特定の打者を打ち取るか打たれれば出番終了です。
呉の祖茂は元祖ワンポイントリリーフとして孫堅の窮地を救い、歴史のマウンドを降りた小粋な武将なのです。
この記事の目次
董卓の奇襲に落ち着き払う孫堅
祖茂は孫堅に親しく近侍する旗本として登場します。西暦191年、孫堅は南陽太守袁術の配下として行破虜・領豫州刺史となり、魯陽で兵を訓練させていました。
そこから、因縁深い董卓を討とうとしますが、その前に兵糧を集めようと公仇称に兵を率いて州に還す事に決め、その歓送迎会で、城の東門に幔幕を張り巡らし魯陽の官人は全員参加しました。
ところが、その時、董卓はすでに歩騎数万を魯陽に派遣し、その先鋒数十騎が魯陽に到着します。孫堅はこの時宴もたけなわでしたが、部曲に命じて兵士に騒がないように命じ、しばらく様子を見ました。
やがて、董卓の騎兵が次々に到着すると孫堅は宴会を打ち切り、官人に自分についてくるように命じてから引率して入城しました。それからおもむろに
「私が、即座に宴席を立たなかった理由は、兵が騒いで錯綜し諸君が入城できないのを恐れたためである」と告げたのです。
一方で董卓軍の騎兵は、孫堅が落ち着き払い整然と入城したので、これは容易に落とせないとして引き上げました。落ち着き払った孫堅の頼もしい様子が伝わります。
祖茂、孫堅の赤頭巾を被り注意を逸らす
その後、孫堅の軍勢は梁東に移動しますが、そこに董卓軍の名将徐栄が襲い掛かり、孫堅は数十騎と包囲を突破して脱出します。もちろん徐栄が逃がすわけはなく猛追撃が開始されます。孫堅はトレードマークとして赤い毛織の頭巾を被っていましたが、追跡を免れようと近侍の祖茂に赤い頭巾を被せました。
祖茂「お任せください」
ワンポイントリリーフの祖茂は、孫堅からはぐれて単騎で驀進します。もちろん、赤ずきんの主が孫堅から祖茂に代わったとは夢にも思わない徐栄軍の騎兵は、孫堅だと信じて祖茂を追い駆けます。隙を突いて間道に入った孫堅は何とか逃れます。祖茂ワンポイントリリーフ成功です。
祖茂は逃げ切れるか?
孫堅は助かったものの、身代わりの祖茂は次第に追い込まれていきました。しかし、たまたまそこに焼けた家屋があり、黒焦げの大黒柱が突っ立っています。閃いた祖茂は馬から降りると、赤頭巾を大黒柱に被せて草の中に伏せました。徐栄軍の騎兵は、遠目に赤い頭巾を見ると逃げられないように何重にも取り巻いて包囲し、じりじりと近づきますが、それが柱だと分ると立ち去ります。
この時に、窮地を逃れた孫堅は陽人の戦いで、董卓軍を打ち破り華雄を縛り首にする戦果を挙げ、これで孫堅を恐れた董卓は孫堅を懐柔しようとしますが失敗。やがて、洛陽を焼き払い長安に遷都していくのです。
で、祖茂はどうなった?
いやー、良かった良かった、無事に孫堅を救った祖茂ナイスワンポイントリリーフでした。というわけで、今回のはじめての三国志はおしまい・・・
え?その後、祖茂はどうなったのかって?
それがですね、正史三国志には以後、祖茂という人物は登場しないんです。文脈を見る限り、祖茂は殺されずに孫堅に合流したと思いますし、命の恩人である祖茂を孫堅が粗略に扱うとは思えないんですが・・・・。
そもそも、徐栄の騎兵を欺いたと書いてある以上、祖茂が生還したのは間違いないと思うのですが、いかんせん、その後は不明で、本当にワンポイントリリーフで歴史のマウンドから消えてしまったのです。そんで、その消えてしまった祖茂の存在は三国志演義にも影響を与えます。
【次のページに続きます】