広告

曹操はなんで三公を廃止して丞相になったの?


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

魏の曹操孟徳

 

西暦208年、曹操(そうそう)はそれまでの三公制を辞めて丞相府(じょうしょうふ)をその上に置いて、自ら丞相になりました。以来、曹操は長らく曹丞相(そうじょうしょう)と呼ばれるようになりますが、曹操の死後には、丞相職に就くものはいないという特別な職になります。

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

では、どうして曹操は三公を辞めて丞相府を置いたのでしょうか?

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



決定に時間がかかる三公

洛陽城

 

三公とは、その名の通り、司徒、司空、大尉の3つの地位の事を意味しています。今風に言えば、司空は国土交通大臣、司徒は内務大臣、大尉は防衛大臣にあたり後漢の政治は、この3名のトップが合議制で進めていました。

朝まで三国志201 観客2 モブでブーイング

 

確かに、1人より3人の方が権力を分散する事が出来て、独裁的な手法に陥るのを防ぐメリットがありましたが、裏を返せば、ささいな議題でも3名の見解が分かれると、なかなか決まらないという事に繋がります。

三国志のモブ 反乱

三国時代は乱世であり、迅速な決定が必要でした。そこで曹操は三公の上に丞相府を置いて、自身が就任する事で迅速な決定が行えるようにしたようです。

孔明

 

ちなみに三国時代で著名な丞相はもう一人います。それが三国志演義後半の主人公、蜀の諸葛孔明(しょかつこうめい)であり、彼のワンマンぶりも曹操に勝るとも劣らないものでした。

 

三公から軍事力を取り上げる為

進軍する兵士c(モブ用)

 

後漢には董卓(とうたく)李傕(りかく)郭汜(かくし)の暴政で衰えたとはいえ、軍事力が存在していました。例えば三公の指揮下にある九卿府(きゅうけいふ)衛尉(えいふ)光録勲(こうろくくん)、それに執金吾(しつきんご)は、それぞれ南軍、北軍、殿内侍従宿衛(でんないじじゅうしゅくえい)という三軍を擁して宮殿を守備していました。

 

曹操を暗殺しようとする董承

 

もし、三公に曹操暗殺を企む人間がいて、献帝から勅命を受けて南軍や北軍を動かして曹操を殺害しようとした場合、宮殿内にいる曹操では手も足もでなくなる恐れがあります。それが杞憂ではない証拠に、西暦200年には、車騎将軍の董承(とうしょう)が献帝の密命を受けて、曹操暗殺未遂事件を起こしています。

撃剣を使う曹丕

 

そこで、曹操は三公の上に丞相府を置き、副丞相クラスである御史大夫を補佐として、三公を支配下に置き、さらに丞相府には軍事の中心になる武衛府を設置しました。こちらの武衛府は禁軍の宿衛兵を統率する地位で、曹操は武衛府を置くと息子の曹丕(そうひ)を武衛将軍に任命し、自身のボディーガードである許褚(きょちょ)を武衛中郎将に任命しています。

董承、曹操

 

分かりやすい人事から察せるように、丞相府の設置は曹操暗殺の可能性を排除する手段でもあったのです。

 

徐庶特集

 

【次のページに続きます】

 

次のページへ >

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-三国志の雑学
-