陳宮が離反した原因とも言われる呂伯奢一家殺害事件とは?と、まるでミステリーのような言い方になってしまいましたが、今回はこの呂伯奢の件について色々と考察してみたいと思います。
しかしミステリーでないにしろ、この呂伯奢の件はかなり謎が多いですよね。また筆者はこの呂伯奢一家の件で陳宮が離反したというのはまた違うと思っているのです。しかしその考察を述べる前にまずはこの呂伯奢とは?についてもう一度おさらいして頂きましょう。
曹操の帰郷時に起こった悲劇
董卓は上洛し、献帝を擁立し朝廷の権力を欲しいままにしました。この時に曹操は董卓に招かれます。しかし曹操は暴虐の限りを尽くす董卓に付いていくことは避けようと考えました。
という訳で劉備にも負けない速度で帰郷!そしてこの際に起こったと言われる逸話が呂伯奢一家の殺害事件です。
呂伯奢一家殺害事件
まずこの呂伯奢一家殺害事件について、少しお話しておきたいことがあります。この話はあくまで逸話であるということ。そして真偽が不明であること、これはご理解下さい。実際に、正史三国志にはこの呂伯奢一家の件は載っていません。それを踏まえつつ、この件についてお話します。
展開が複数ある謎
さて呂伯奢という人物は曹操の知り合いです。また曹操が立ち寄った際には留守であったのは共通であることははっきりとしています。しかしその後の展開が違うのが謎なのが呂伯奢一家殺害事件です。
魏書では呂伯奢の息子たちが曹操を脅して馬と荷物を奪おうとしたので、曹操は殺害してしまいます。世語では呂伯奢の息子たちは礼儀正しく曹操に相対するも、疑心暗鬼になった曹操は息子たちの寝込みを襲って殺害しています。
異音雑語では曹操は夜に食器のぶつかる金属音を武器の音と勘違いしての殺害になっています。正当防衛、疑心暗鬼、勘違い……どれも曹操は呂伯奢の子供たちを殺害して、最終的には呂伯奢までも殺害してしまうことになる事件です。
曹操の悪役化の一端
さてこの呂伯奢一家の件は正史三国志には記述がないものの、有名な逸話となっています。また異同雑語ではこの時に曹操が「俺が他人に背こうとも、他人が俺に背くのはならぬ」と言ったとされています。三国志演義でも有名なあのシーン、曹操が勘違いから呂伯奢一家を殺害するも「俺が天下の人間に背こうとも、天下の人間が俺に背く事は許さない」と言うシーンですね。
この場面は曹操の悪役のイメージを決定付けた逸話とも言える場面でしょう。
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