三浦按針とはどんな人?イングランドの航海士が家康に仕えるまでの生涯

2020年11月23日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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同年小録(書物・書類)

 

三浦按針(みうら あんじん)という名前をご存知でしょうか?

 

徳川家康

 

本名は、ウィリアム・アダムスといいます。イギリス人ですが、徳川家康(とくがわ いえやす
)
に重用され、武士になり日本名ももらいました。そんな彼を「青い目のサムライ」と呼ぶ人もいます。

 

通訳をやりながら、日本初の洋式帆船を造るという事業を成し遂げ、日本に大きな足跡を残した西欧人の1人です。今回は、そんな彼の『数奇な人生』をみなさんと一緒に振り返ってみたいと思います。

 

ウィリアム・アダムス誕生

 

後に三浦按針となる、ウィリアム・アダムズは、1564年にイギリスのジリンガムで産まれました。ジリンガムは、イングランド南東部にあり、現在ではメッドウェイ市となっています。川が海に面する良好な港町。

 

漁師や船乗りといった少々荒っぽい男たちが多かったそうです。アダムスは、そんな賑やかな町でやんちゃに育ち、船乗りの父親も大好きでした。父親が帰ってくると母親も大張りきりで、いつもとは違う贅沢なご飯が毎日続きます。

 

だから、子供たちも大喜びです。しばらくの休みの間に、父親はこっそり知り合いの船に小さいアダムスと乗り込みました。父親が操船し、沖へ出て海の面白さを語っていたそのとき、突風が!

 

運悪くアダムスの腕に帆のロープが巻きつき、アダムスは空中へと投げ飛ばされてしまいます!

 

『Dad!(お父さん!)』

 

とっさにロープをたぐり寄せますが手ごたえはありません。父親はできることがなくなって空を見上げます。すると、今度は一転して優しい風が吹き、アダムスはふんわりと風に運ばれて船の上に戻りました。抱きかかえ、一息つきながら父親はアダムスに言います。

 

「お前は海の神様に愛されている、さすがはオレの子だ」

 

小さいアダムスには、何がなにやら分からない1瞬の出来事でした。しかし、その父親も航海で若くして亡くなってしまうのです。

 

12歳で造船所で働きはじめるアダムス

 

父親が亡くなり、家計を助けるためアダムスは12歳で造船所で働き始めます。家族と離れ、1人ロンドンに住み込みです。船大工の棟梁は、ニコラス・ディギンズという厳しいことで有名な人でした。ニコラスは仕事では厳しいですが、それ以外ではアダムスを親身に可愛がってくれるとても優しい人でした。

 

ニコラスの下で造船の仕事をしつつ、家族に仕送りをする毎日。数年がたって、アダムスが1人前になって仕事をこなしているある日、ニコラスは1つの書類をアダムスに手渡します。それは、イギリス海軍の入隊試験の書類でした。

 

アダムス、航海士となる

 

ニコラスは、海軍という『お金を稼ぎながら船に乗る』という仕事があるということを教えてくれたのです。突然のことで、アダムスはとまどいます。書類を受け取ったものの、これまで良くしてくれたニコラス夫妻に悪い気がして、中身をろくに見もしませんでした。

 

試験の期日が迫る中、ある日ニコラスがアダムスに言います。

 

「とにかく1度試験を受けてこい。駄目だったらまたウチで働けばいいだけだろう」

 

本心では造船所で働き続けて欲しいニコラス。それが分かるアダムスも、ニコラスの優しさを無駄にしてはいけないと思い始めます。

 

海へ!

 

想像するだけで、興奮する自分がいることに今さらながら気づきます。働き始めて、ずっとそんな気持ちに蓋をして、家族のために生きてきました。大好きだった父親と同じ船乗りに!

 

夢をみつけたアダムスは、猛勉強を始めます。ハードな仕事が終わった後に深夜まで勉強。若いアダムスも、少々寝不足気味です。ですが、少しくらいミスしても、厳しかった先輩たちもさりげなく助けてくれます。それが分かるから、またアダムスは勉強します。

 

みんなが応援してくれるから絶対に受からないと。

 

そして、短期間での勉強ながら、アダムスは見事海軍の試験に合格します!

アダムス、24歳でした。

 

海軍と結婚

 

ニコラスら造船所の人々との涙の別れを経て、海軍に入隊したアダムス。そこでは、これまでとは全く違う厳しさが待ち受けていました。そう、実際の海の上ではちょっとしたことが死に繋がるのです。

 

「判断を素早く的確に」

 

アダムスは、これまでそんな経験がないので、また1から出直しです。自分よりも若くして海軍に入ってきた同期らと切磋琢磨する毎日。その中で、時おり勝手に体が動くことがあります。教官らも舌を巻く的確さで危機を回避したりします。

 

演習を終えて、アダムスはなぜとっさに正しい判断ができたのかと考えます。そんなときに思い出したのは父親でした。

 

「もっと早くしろ!]

「丁寧にやれ!」

 

一緒にいるときには、日常生活でも細かいことでよく注意されました。そのときは、なぜやらなければいけないのか分かりませんでした。ですが、今なら分かります。海の上で大切な、判断力の向上のためだったのです。

 

アダムスは、やがて素早く的確な判断力から、軍の補給船の船長を任されるようにまでなります。アルマダの海戦にも参加しました。翌年、上司の勧めで結婚。長女と長男を授かります。

軍隊をやめ、商船に乗る

 

しばらくして、アダムスはもう少し自由に海に出たいと思うようになります。軍隊では、どこまで行ってもやはり戦争のための船です。父親のように、商売人たちと自由に世界を周りたい。

 

そんな中、バーバリー商会という貿易会社が航海士を募集している張り紙を見ます。そして、その足で軍隊に辞表を出しました。イングランドから北へ南へと海を渡り、父親と同じように、たまに家に帰るという船乗りらしい生活をしていました。また、弟のトマスを海の世界へ誘い、一緒に船の仕事に携わるようになっていきました。

 

極東へ向かうウィリアム・アダムス

海上での戦い(地図と本)

 

船長として過ごしている中、オランダ人たちから、今度ロッテルダムから『極東』を目指す計画があると聞かされます。

「Far east(極東)」

 

口に出してみるとなんと魅力的な響きなのでしょう。アダムスは、熱に浮かされたようにそんな冒険のことで頭がいっぱいになってしまいました。家族の反対を押し切り、弟トマスを誘ってロッテルダムへ。

 

スキッパーキ(航海する船)

 

アダムスは、経験を買われ、5隻の船団の旗艦である「ホープ号」の航海士として採用されます。1598年、船団はロッテルダムを出発。アダムス34歳のときでした。

 

ボロボロになって日本へ

 

当初5隻で出発した船は、1隻はポルトガルに、1隻はスペインに拿捕され、1隻ははぐれてしまい帰還。旗艦のホープ号は沈没。残ったリーフデ号だけで極東を目指しました。その後も、補給のために寄港した際に現地の人々から襲撃されたりという苦難が続きます。

 

それで、トマスも殺されてしまいます。仲間も病気で次々に倒れていきます。アダムスは、冒険に出たことを後悔します。しかし、自分は生きている。やはり海の神に愛されているのか。ボロボロの状態で、ついに1600年、日本に漂着します。ロッテルダムを出て2年が経とうとしていました。

 

徳川家康に気に入られるウィリアム・アダムス

徳川家家紋

 

当初、海賊船と見られており、アダムスらは拘束され取調べを受けます。五大老の徳川家康が指示し、重体だった船長の代わりとしてアダムスらは大坂へ送られます。

 

セミナリオ(教会)

 

カトリックのイエズス会は、ポルトガルと手を組んでおり、オランダやイギリスといったプロテスタントの国とは対立関係にありました。イエズス会からすぐに処刑するべきという注進がありましたが家康は無視し、注意深く話を聞きます。

 

そこで、ヨーロッパの情勢や、ポルトガル人・イエズス会らの違った側面を聞かされ気に入ります。また、貿易として違うルートもあるかもしれないと思い、アダムスらを釈放し江戸に迎えます。

 

三浦按針(みうら あんじん)になる

 

アダムスは、家康に帰国させて欲しいと何度も訴えましたが、許してもらえませんでした。代わりに給料をやるからと、通訳の仕事をなどをさせられたりしました。徐々に日本人たちと仲良くなり、自分の話を面白がってくれる人々に親しみを覚えるようになります。ある日、乗ってきたリーフデ号が江戸沖で沈んだと聞かされます。

 

そして、家康から「昔造船の仕事をしていたなら、あんな船は造れないか」と頼まれます。確かにアダムスは、若い頃に造船所で働いていました。ですが、工程の1部を任されていただけで、船を設計して造るほどの技術はありませんでした。

 

「なんとかやってくれ。金も人も好きに使っていい」

 

家康に言われ、恩義を感じていたアダムスは、昔の記憶を頼りに、日本の船大工らと帆船造りに乗り出しました。失敗の連続で、全くうまくいきません。ニコラスがやっていたことの記憶を思い起こします。

 

寝ても覚めても船造りのことばかり考えています。ついに完成したと思ったら夢だった、なんてこと何度もありました。試行錯誤を繰り返すこと約3年。1604年、ついに日本発の西洋式の帆船が完成します!

 

気をよくした家康は、その後さらに大型のものを造るように命じます。そして、また3年後に、120tという大型の船を完成させることに成功します。家康は、この功績を称えて、アダムスを250石取りの旗本にし、帯刀を許し領地も与えました。

 

「青い目のサムライ」の誕生です。また、三浦按針という名前も与えられ、イギリス人でありながら日本の武士になりました。

帰国できず失意の中、日本で没する

幕末 臨終のシーン 亡くなる(死)モブ

 

その後、1度イギリス船が来た際に、帰国の話も出ましたが、その船長とソリが合わずやめてしまいます。按針は、これからはイギリスの時代で、続々と船が来ると思っていたのです。そうこうしている中、家康が死去。

 

跡を継いだ徳川秀忠を中心とする江戸幕府は、鎖国へと突き進みます。そして、按針は天文官という閑職に追いやられてしまいます。1620年5月16日、按針は結局帰国できないまま、海の町平戸で亡くなります。晩年、よく海の方を眺めてぼんやりとしている按針の姿が目撃されたそうです。享年55歳でした。

 

戦国ライターしばがきの独り言

sibagaki(ライターしばがき)

 

三浦按針という名前を知っていても、人生までは知らない人も多いのではないでしょうか。今回、史料をいろいろあたってみて、こんなに変わった人生を送った人も珍しいと改めて感じました。海の神に愛された男。青い目のサムライなんだか映画が1本できそうな気がしますよね。誰か作ってくれないかなあ。

 

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ながら日本史

 

 

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ライター自己紹介: 歴史はやっぱり戦争・動乱期に惹かれてしまいます。平和主義者なのに。。。 好きな歴史人物: カエサル(シーザー) 何か一言: 戦国最強は武田信玄。

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