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曹操が赤壁で敗北したのは必然だった?現代アメリカの理論で見た曹操軍の弱点とは


 

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赤壁の戦いで敗北する曹操

 

良く知られている通り、天下統一を目前にして、曹操(そうそう)は「赤壁(せきへき)の戦い」に敗北します。

 

呉の孫権は皇帝

 

またこの戦いで曹操を破った劉備(りゅうび)孫権(そんけん)は、それぞれの国を作り、「三国時代」が始まります。もしこの戦いに曹操が勝っていれば、ストレートで「曹操天下統一いちばんのり」で歴史は終わってしまい、三国時代そのものが到来しなかったかもしれないわけです!

 

曹操が、八十万強ともいわれる破格の大軍を擁しながら、肝心のこの戦いを落としてしまったのは、なぜなのでしょうか?

 

ゆるキャラ龐統

 

相手方の劉備軍と孫権軍に、諸葛亮(しょかつりょう)周瑜(しゅうゆ)といった優秀な人材がそろっており、そこに徐庶(じょしょ)ホウ統(ほうとう)といった人材も、外からあの手この手で力を貸したからこその、奇跡の逆転というのが通説です。

 

ですが、ここでひとつの仮定をおいてみましょう。

 

周瑜

 

もし劉備軍や孫権軍に、諸葛亮や周瑜がいなかったら、赤壁の戦いは曹操軍の楽勝に終わっていたのでしょうか。八十万強の大軍を準備してきた、という数だけを見ると、たしかにそのように見えてしまうのですが、はたして?

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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現代アメリカの軍事学者ルトワックがもし三国志を見たらどう言うか?

三国志を楽しく語るライターYASHIRO様

 

そこで今回は、ちょっと大胆な試みをしてみましょう。孫子でもクラウゼヴィッツでもなく、現代のアメリカの軍事専門家の書物を読み解き、その「現代理論」と照らし合わせた時に、曹操の戦略に弱点がなかったかを見てみるのです。

 

参考とする文献は、エドワード・ルトワック博士が書いた『戦略論』(毎日新聞社/武田康裕・塚本勝也訳)です。

 

 

この第一部「戦略の論理」に、三国志の戦いを考えるにあたって、とても気になる項目が載っているのです。それはつまり、「広大な大陸で陸上戦を展開するにあたっては、『急いで勝ちすぎてはいけない』」というものです。

 

どういうことでしょうか?

 

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広大な大陸では「勝てば勝つほど弱くなる?」

敗北し倒れている兵士達b(モブ)

 

ルトワック博士は、第二次世界大戦のドイツ軍を例に、この「ココロ」を説明しています。ソ連と戦ったドイツ軍は、緒戦で次々に戦果をあげ、スターリングラードやモスクワといった、ソ連の主要都市にあと一歩まで迫りました。

 

ところがここで、ドイツ軍は悩ましい問題に直面します。勝てば勝つほど、組織が巨大になり、占領している地域も広大になり、補給や管理、全体の把握が難しくなってしまい、諸事が滞るようになったのです。

 

その弱点を突いてソ連軍が反撃を開始すると、ドイツ軍はそれまでの連勝がウソのように、あっというまに崩壊してしまったのでした。

 

ルトワック博士は、こういう意味のことを言っています。

 

「大陸での戦いでは、勝てば勝つほど、自軍の占領地が肥大化する。それを管理するには従来のやり方では通じなくなってしまう。

 

よって、勝てば勝つほど、いったん軍の進行を停止させ、補給基地の再設置や、組織体制の整理や、広大な領土を手に入れたことに伴う新しい作戦や戦い方の訓練、さらには兵士の士気向上に集中しなければいけない」。

 

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赤壁の戦い

 

この失敗パターンを見事に踏んでしまっていた曹操軍

魏曹操と魏軍と呉軍

 

つまり、急激な勝利を収めて、急激に組織が大きくなり、急激に支配地も大きくなったら、それにあわせた制度を整えるため、活動を停止する判断をしたほうがよい、というところでしょうか。

 

この点では曹操軍は好例と言えるでしょう。

 

官渡の戦い 騎馬兵

 

西暦200年に官渡(かんと)の戦いで動員した曹操の軍勢は4万人といわれています。

 

呉と蜀を倒しに南下する曹操軍

 

ところがそのたった8年後の赤壁の戦いで曹操が動員したのは80万強(※諸説ありますが、少なく見積もっても20万万)!どれだけ急激に組織が巨大化してしまったかが、わかります。4万人の軍隊を指揮する方法と、80万人の軍隊を指揮する方法は、まったく違うはずですよね。

 

曹仁 曹操

 

曹操自身にとっても、彼の優秀な部下たちにとっても、これほどの軍勢を統制するのは初めての経験でした。オモテには見えてこなかったにせよ、内部では、食料の配給がうまくいかなかったり、命令がうまく疎通しなかったり、兵士の士気がどんどん落ちて行ってしまったり、ありとあらゆる問題が出ていたかもしれません。

 

周瑜

 

諸葛亮や周瑜の活躍があったことはもちろんですが、彼らがいなくても、曹操軍は結局、せっかく準備した大軍をうまく動かすことができず、勝手に崩壊していたかもしれないのです。

 

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まとめ:圧倒的兵力を擁すればいいというわけでない、とにかく戦略とは難しいのです

郭嘉

 

先に述べたルトワック博士は、その他にもさまざまな戦史の事例をあげて、「兵力が大きければ勝てるわけではなく、大きくなりすぎてしまったがゆえに自爆して、小規模の敵に敗れるケースは珍しくない」と説明してくれています。

 

思えば世界史上、「大軍を擁して勝利確実と思われた軍が大敗した」というケースは、なるほど多々発生しているもの。歴史の神様は、必ずしも「大軍」「連勝中」「大規模な領土」のほうに味方してくれるわけではないようです。

 

三国志ライターYASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

そのように考えると、諸葛亮や周瑜といった英雄たちの個人戦と思われがちな「赤壁の戦い」の見方も少し変わり、これもまた、なにかひとつの、歴史の法則を見出せる「事例」としてみることができるのではないでしょうか。そういえば、現代でも、急激に巨大化した大企業がとんでもないミスで崩壊することはたまにあり。世の中、なんとも難しいものですね。

 

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曹操孟徳

 

 

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YASHIRO

とにかく小説を読むのが好き。吉川英治の三国志と、司馬遼太郎の戦国・幕末明治ものと、シュテファン・ツヴァイクの作品を読み耽っているうちに、青春を終えておりました。史実とフィクションのバランスが取れた歴史小説が一番の好みです。 好きな歴史人物: タレーラン(ナポレオンの外務大臣) 何か一言: 中国史だけでなく、広く世界史一般が好きなので、大きな世界史の流れの中での三国時代の魅力をわかりやすく、伝えていきたいと思います

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