【華麗なる一族】孫まで優秀な荀彧の一族

2021年2月21日


 

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袁術

 

三国志の物語には様々な名家が登場します。

 

袁術

 

「四世三公」と他の追随を許さぬ功績をもった汝南郡汝陽(じょなんぐんじょうよう)袁氏(えんし)や代々尚書などの高官を輩出した楚漢戦争期(そかんせんそうき)の十八王の一人である殷王司 卬(いんおうしばこうを源流とし後に晋を築く司馬氏、

 

腐れ儒者気質な孔融

 

儒教の始祖と呼ばれる孔子(こうし)の子孫であり自身も後に「建安の七子(けんあんしちし)」の一人にも挙げられている孔融(こうゆう)の一族などがありますが、荀彧(じゅんいく)に代表される荀氏も非常に有能な一族とされています。

 

荀彧

 

今回はそんな優秀な一読である荀氏のなかでも荀彧の孫にフォーカスしてみたいと思います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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名門一族である荀氏

梁冀(りょうき)

 

荀氏は人材の宝庫である豫洲潁陰県(よしゅうえいいんけん)中でも頭一つ抜きに出た存在であり三国志の時代には非常に有能な一族であると周囲に知れ渡っていました。

 

荀氏の名が一躍世に知れ渡ったのは後漢王朝にて当時朝廷内を牛耳っていた悪評高き梁冀(りょうき)一族を批判したことで地方に左遷されたことにより民心の支持を得た荀淑(じゅんしゅく)に始まり、その荀淑の8人の子供は「八龍」と称されるほどでいずれも優秀でした。

 

曹操と荀彧

 

そのなかの一人であり済南の相(最上位の行政官)になった荀緄(じゅんこん)の子供が荀彧であり荀彧も推挙され朝廷にて守宮令という役職につきますが董卓(とうたく)の悪政が酷くなり戦火に包まれる前に朝廷を脱出し曹操(そうそう)に仕えます。

 

荀彧と曹操

 

曹操は荀彧が袁紹(えんしょう)を見限り自身のもとに来た際に大喜びし「わが子房(しぼう)である」と周囲に紹介しています。

 

張良と劉邦

 

子房とは前漢の初代皇帝である劉邦(りゅうほう)の軍師である張良(ちょうりょう)の字であり張良がいなければ劉邦は天下を取れなかったといわれるほどの人物です。それほどの人物と準えるほどに曹操は喜びました。

 

鬱になる荀彧

 

曹操のもとで数々の功績を挙げ曹操の天下取りに多大な助力をしますが曹操が公位に就くことに難色を示し二人の関係は悪化、そのまま改善することなく荀彧は亡くなってしまいます。

 

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厚遇された荀彧の孫

 

荀の死後荀彧の長男である荀惲(じゅんうん)(が父の侯位を継いで魏の政権に参加します。

 

曹植は軟弱ではなかった曹植

 

この荀惲曹丕(そうひ)の弟である曹植(そうしょく)と仲が良く互いに詩を嗜む仲でした。曹操との後継者争いにて曹丕と曹植の関係が険悪となっていった際にも曹植と親密な関係を保っていたことから曹丕は荀惲のことを快く思っていなかったようです。

 

荀惲が死去するとその息子であり荀彧の孫にあたる荀甝(じゅんかん)(荀甝荀甝荀甝)が侯位を継いで散騎常侍(さんきじょうじ)に任命されます。この荀甝は曹丕の外甥に当たるため弟の荀霬(じゅんよく)(荀霬と共に文帝(ぶんてい)となった曹丕から厚遇されます。

 

その後、荀霬は広陽郷侯になりますが30歳の若さで早世してしまいます。

 

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荀彧特集

 

司馬懿にも重用され次世代の晋でも活躍する筍氏

司馬懿

 

先ほど紹介した荀霬の妻は司馬懿(しばい)の娘であり司馬師(しばし)司馬昭(しばしょう)の妹でもあります。そのため司馬懿がクーデターを起こし魏の実権を握ると縁戚関係から中領軍にまで引き立てられその子供である荀愷(じゅんがい)も厚遇されます。

 

あの司馬懿がなんの考えもなく娘を嫁がせるということは考えにくいため司馬懿としても豫洲潁陰県の名門である荀氏との関係を強く持っておきたいという考えがあったのではないでしょうか。

 

また荀彧の第6子にあたる荀顗(じゅんぎ)は司馬懿とその息子である司馬師と親密な関係となり(そうぎ)からの簒奪に協力し晋の建国及びその基礎固めに貢献し祖父や父を支えた忠臣として司馬炎(しばえん)から臨淮(りんわい)公に格上げされ、侍中・太尉に任じられるほど評価されました。

 

司馬懿からも「荀彧の息子だけのことはある」と評価されており司馬一族から寵愛を受けています。このように筍氏は曹魏だけでなくその後の権力者である司馬一族からも寵愛を受け続けます。

 

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まとめ

荀攸と荀彧

 

荀氏は三国志の名門一族の中でも非常に有能な一族であることが知られており代々に渡り数々の功績を挙げます。特に荀彧は当時の天下人であった曹操をその王佐の才でサポートしその実績は後世に知られています。

 

またその子供たちや孫、その先に至るまで当時の朝廷を支えるとともに当時の権力者から厚遇を受けます。これは曹操が荀彧を重用し自身の娘である安陽公主(あんようこうしゅ)を荀彧の息子である荀惲に嫁がせたことから、荀彧の孫にあたる子供たちは曹一族と血縁関係となることも影響していると考えられます。

 

三国志ライター ボス吉の独り言

ボス吉(ライター)

 

この流れは後の司馬一族にも受け継がれており当時の権力者と縁戚関係となることで厚遇されます。荀彧は最後に曹操と反目し不仲となってしまいましたが、その後の荀氏一族は当時の権力者とうまく関係を保ち乱世を生き抜いていったという印象を受けます。

 

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