ふと正史の記述を見ていて。ふと三国志演義を読んでいて。「この武将のキャラクターちょっと違わない?」というのは最早お約束であり、その違いを探すのが面白いということは多々あるでしょう。
今回ちょっと筆者がご紹介したいのは李典、面白いキャラクター付けされている李典を見ていきたいと思います。
この記事の目次
叔父の頃からの付き合い
李典の叔父である李乾は豪族であり、まだまだ無名時代の曹操に従って黄巾賊の戦いに参加。この際に食客たち数千人を率いていたとあるので、かなり有力な豪族であったのでしょう。
その後も李乾は曹操に付き従いますが、呂布の配下に殺されます。後継者になったのはその子である李整でしたが、彼もまた早くに亡くなり、その後を継いだのが李典です。
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早くに亡くなる李典
李典自身も曹操に仕えた後は数々の戦いで功績を上げるも、その死は早く、36歳で没しました。ただ早くして亡くなったためか史料が少なく、没年も曖昧な部分が多いため生没年は不詳になっている場合が多いですね。
しかしその功績はしっかりと評価され、曹操の功臣の一人として名前も記されている、魏には欠かせない武将の一人であったでしょう。
実は若手の武将・李典
ただ、良く勘違いされていますが李典は年齢自体も魏の武将の中ではかなり若い方でした。曹操の生まれが155年として李典は曖昧ながら180年以降、曹操やその周囲よりも二回りほど若いのです。
これはおそらく、三国志演義では叔父の李乾がそもそも出てこない、演出の都合か長い期間出てきていることもあって、李典は老年の武将と思っている方もいるのではないでしょうか。
そんな李典、若手の武将ながら三国志演義では面白いキャラクター付けをされているのです。
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夏候惇の配下として活躍する李典
さてまずは正史の話、夏候惇の配下として劉備と戦っていた際に突然退却する劉備、これを追いかけようとする夏候惇。これは劉備の策であると諫めるのが李典です。夏候惇は李典の諫言を聞き入れず深追いして窮地に陥るのですが、李典の救援で命を取り留めました。
三国志演義ではこのエピソードが博望坡の戦いとして描かれていますが、これだけではありません。
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