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群雄割拠の時代において、誰もがただ一つの家で一大勢力を築くことができた訳ではありません。時には地方の、其々の家が一つの派閥を作り、手を組んで敵に当たったのです。今回はその中から関中に注目してみましょう。
そうそうたるメンバーの中で、最も強き者を選ぶなら?のアンケート「関中軍閥最強は?」皆さんが選んだのは一体誰でしょうか?
あの馬超に大勝利!閻行
「戦闘力なら閻行でしょう」
引用元:はじめての三国志TV
閻行は伝こそ正史に立ってはいませんが、魏書に注釈として付けられた魏略にその記述が載せられています。韓遂の部下であり、若い頃から将来を見込まれていました。
またその見込みは間違いではなく、馬超を討死寸前まで追い詰めたという武闘派です。戦闘能力ならば閻行、というのはその通りですね。
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中央の長き争い相手・韓遂
「涼州放棄論は韓遂の力を示していると思うよ。あと、かの馬超も馬騰を見捨てて韓遂を父と仰いでるくらいだから。やはりこの韓遂が居ないと涼州は語れない」
「今回は演義にて左腕を切られてしまった韓遂にお悔みの一票を入れされて頂きました」
引用元:はじめての三国志TV
お言葉通り、三国志演義では曹操の策略(アドバイザー・賈ク先生)により、同盟者であった馬超との間に不和の種を撒かれ、馬超に左腕を切られるという人物。
馬超の父・馬騰とも同盟関係にあった人の良い協力者……のように見える人物ですが、実際の韓遂は度々馬騰と争ったり、中央に反抗したりとこれで中々の曲者。
後にその首は曹操の元に送られますが……そこにも色々な説があるという、面白い人物です。
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錦馬超の父親だけに非ず・馬騰
「戦闘力なら閻行やホウ徳もひけを取らないでしょうが、派閥という観点で見るなら馬騰ですかね?」
引用元:はじめての三国志TV
ご存知、錦馬超の父親、馬騰。
三国志演義では曹操の暗殺計画を練るも、よりにもよってな露呈をしてしまい(詳細は三国志演義で!)馬超を除く息子たちと共に殺されてしまう展開ですが、正史では逆の、馬超たちが先に反旗を翻す展開になったため殺されてしまいます。
このため馬超の父親、というイメージだけが残されてしまいますが、実際には中央から離れている、しかも異民族相手の涼州で、韓遂らと争いながらも長らく統治していたという政治的手腕では一級品の持ち主。何気にハーフでイケメンという設定もある馬騰、ある種、馬超よりもキャラクター立ちは強そうな人物ですね。
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その忠義に感服す・龐徳
「どうしても、心情的に南安の龐徳を応援したくなります」
引用元:はじめての三国志TV
涼州の名将であり、馬騰に仕えていたものの、その後は数奇な運命を辿った龐徳。
曹操に仕え、特に最期の関羽との一騎討ちは見る者を感嘆させる忠義を見せる人物です。
馬騰や馬超、張魯とそれまでの主君にも尽くしているので、大変義理堅い気性の人物だという印象を受けますね。
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その他
「羌兵の統率力だけなら馬超が群を抜いてる」
引用元:はじめての三国志TV
馬騰でも言及しましたが、異民族相手に統率力を発揮するというのは難しいものです。正史の記録を見ていくと結構問題行動の多い馬超ですが、羌族に心服されていると言われ、魏と蜀の国境付近を陣取る彼らは諸葛亮の北伐においても重要な役目を持っていたと思われます。
この時点では既に馬超は亡くなっていますが、死んだ後も影響があったと考えるとかなり慕われていた存在だったのではないでしょうか。
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三国志ライター センのつぶやき
今回は「関中軍閥最強は?」というアンケートでした。関中軍閥は、軍閥と言えどもややまとまっていたとは言い難く、その中でも割と派閥争いがあった軍閥だと思います。
異民族の件もあって、後々を見てもかなり統治が難しい土地であったのも頷けますね。筆者の個人的な意見を申し上げますと、その中でもかなり義理堅く、相手に忠義を尽くすタイプのホウ徳が一押しかな……と、
最後に呟かせて頂きました。どぼん。
引用元:はじめての三国志TV
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