三国志を代表する英雄といえば、やはり関羽でしょう。武勇に優れていたのみならず、智謀も働き人徳も厚く、なんともすべてが揃ったような理想的豪傑。
その関羽が荊州にて呉軍に敗れ命を落とした後、その義兄弟の張飛が死に、蜀は関羽弔い合戦の筈の夷陵の戦いに敗北して地政学上でも劣勢に回り、ついには主人公格の劉備が病に倒れと、三国志の「蜀」勢の物語は、悲劇の様相を呈します。
その悲劇的な展開も、もちろん物語としては恰好いいのですが、ここで振り返ってみましょう。なぜ関羽は死んだのか?死なずに済む展開は、なかったのか?
この記事の目次
荊州がいかに重要であったか?史実の地理関係をおさらいする
三国志の魏呉蜀のうちのひとつ、蜀は、もともとは荊州という土地で地盤を固め、そこから益州に攻め込み、一大勢力を築き上げました。魏との細かい陣地の取り合いを無視するならば、主に「荊州と益州」という二つの領地を併合していたことが蜀の強みだったわけです。
とはいえ、勢力が広くなると、統治の人事も難しくなるもの。君主である劉備と参謀長にあたる諸葛亮は益州を本拠地としたため、荊州をまるごと誰かに任せる必要がありました。
もう一度、整理しますと、「荊州と益州」という二つの大領地があり、そのうちの益州を総大将の劉備が本拠地としています。とうぜん荊州は、その劉備と並んでもおかしくないビッグネームが治めるべきでしょう。それも名前だけでなく、魏や呉の攻撃に対して適切に対処できる経験豊かな指揮官でなければいけません。
となると、やはり関羽一択でした。しかし残念ながら、関羽の力を持ってしても、魏と呉が入れ替わり立ち代わり襲い掛かってくるこの土地を守り切ることはできず。
特に呉軍の呂蒙・陸遜という希代の知略家に綿密な策略を仕掛けられ、関羽は荊州の防衛には失敗し命まで落としました。
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あえて荊州の太守を関羽でなく趙雲に委ねる大胆人事はあり得たか?
ですが、ここでイフ展開を考えてみましょう。誰がどう考えても、荊州の太守は関羽一択となる筈を、あえて別の人材に任せる奇策はなかったのかと。
関羽の他に、創業の時から劉備に従っていた勇将といえば、張飛がいます。ですが張飛は武勇に優れていても政治家タイプではない為、荊州の太守を任せる人材としては、少し違うようです。
他には?
となると、もう一人、劉備の信任の厚い古参将軍がいます。趙雲です!
しかもこの趙雲、かつて荊州で起こった有名な「長坂の戦い」では、戦場に置き去りになりかけた劉備の夫人と赤子の救出に成功するという大手柄を立て、荊州では武勇が知れ渡っています。荊州との相性の良さを考えれば、あえて関羽ではなく、趙雲を太守にするという手もあったのでは?
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安定の時間稼ぎ戦略で荊州の守りは長引いたかもしれない?
趙雲といえばどんなイメージでしょうか?
実直で裏がない、職人タイプ。長坂の戦いでの救出戦もさることながら、赤壁の戦いでの諸葛亮脱出の手引きなど、とにかく安定感があり、仕事ぶりに「ミスがない」。正直、関羽や張飛のような、強烈な個性というものは、あまり感じません。
ですが、こういうタイプの人物が荊州の太守に入れば、本国からの言いつけをよく守り、無理せず、冒険せず、敵の挑発にも乗らず、それでいて何か味方のミスを見つければ自分で白馬を駆ってフォローしてしまう、そんな抜群の安定感を見せたかもしれません。
関羽のように自分の判断で縦横無尽に出陣するような積極性は出さなかったでしょう。しかし存外、「荊州を守り抜く」という目標を見据えれば、教科書通りの軍人である趙雲が長期耐えられたかもしれないのです。
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まとめ:この布陣の最大の効用は、関羽を自在に使えること?
もし趙雲が荊州の太守となり、抜群の安定感でこの土地を何年も守り続けていたら?それでも、いずれは呉から呂蒙や陸遜が出てきます。呂蒙・陸遜と趙雲を戦わせたら?
残念ながら、やはり心もとないです。荊州はけっきょくは取られ、関羽の代わりに趙雲が死ぬことになったかもしれません。しかし、ここでいささか、このイフ展開のおそろしい「効用」も考えついてしまいます。
史実の展開では、荊州を奪われて、関羽も失った。このイフ展開でも、いずれは荊州を奪われて、趙雲を失うことになる。どちらも悲劇的かと思いますが、実は、後者には巨大なメリットがあります。関羽が死なないのです!
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三国志ライターYASHIROの独り言
関羽が死ななければ、その弔いの準備をしている際の、張飛の悲劇もありません。張飛も長生きします。また、関羽が死ななければ、無理な劉備の出征がもたらした夷陵の大敗もなく、劉備もまた、もっと長生きしたかもしれません!
さらに関羽が長生きすれば、後の北伐に関羽を連れて行けるのです!
そういえば史実では、北伐に趙雲がベテラン将軍として参加していたはずですが、いまいち活躍をしていませんでした。この趙雲の代わりに関羽を北伐に投入していたら?北部戦線で荊州の劣勢をじゅうぶんに取り返す、関羽の快進撃があったのではないか?
関羽ではなく趙雲を荊州に張らせれば、所詮いつかは荊州は落ちるにしても、これだけのメリットが蜀に残るのです!
むろん、こんなことをたとえば諸葛亮が思いついたとしても、劉備本人に聞いてみれば、「関羽も趙雲も同じように大事じゃ!」と怒られるに決まっています。
ですが、『三国志演義』で強調される趙雲の実直なキャラクターを考えると、諸葛亮がこんな壮大な恐ろしい深謀遠慮を思いつき、「趙雲殿、あなたには関羽殿を長生きさせるための盾になってほしいのです」と涙ながらに諭せば、「喜んでその役目やります!」と元気にうなずいてくれるような気もします。
そしてこの犠牲を経て奮起した老将関羽が、諸葛亮と組んで北伐で大暴れする、などというイフ展開は、趙雲には残酷でもちょっと見てみたい気もしてきましたが、いかがでしょうか?
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