范蠡(はんれい)とはどんな人?越王勾践を助けた謎の天才軍略家

2016年2月25日


 

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王騎 キングダム

 

春秋戦国時代から秦の統一まで500年かかりました。この500年間には幾多の英雄や豪傑、軍師が歴史に名を残した時代です。今回紹介する范蠡(はんれい)も歴史に名を残した人物ですが、彼は何処で生まれたのか。いつ亡くなったのか全く分からない謎の人物です。

 

一体この人はどのような事をして、歴史に名を残したのか探っていきます。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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越に仕えた天才軍師

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范蠡は生まれも謎。亡くなった年も分かりません。しかし一つだけ分かっているのは、中国の南の国である越に仕え、「孫子の兵法書」で有名な孫武に匹敵する軍略で越王勾践を補佐した人物です。

 

勾践の父である允常は范蠡を重用。范蠡は允常に重用され、軍備増強に努めます。しかし允常は突如亡くなり、勾践が越王の位を継ぎます。勾践は父を供養する為、喪に服します。呉王闔閭は越王が喪に服していることを知り、隣国の越を滅ぼすべく、天才軍師孫武と伍子胥を引き連れ進軍を開始。この戦いで范蠡は奇抜な軍略を用いて、呉軍を破ります。

 

檇李の戦い(すいりのたたかい)

 

范蠡は死刑囚を先鋒に並べ呉軍迎撃の陣を敷きます。彼は呉軍が攻撃する前に、先鋒の死刑囚達へ合図を出します。すると死刑囚は一斉に自らの首を刎ねます。この異様な光景を目にした呉軍は戦意を挫かれます。范蠡は呉軍の指揮が低下した瞬間を見逃さず、呉軍へ総攻撃を開始。呉軍は越軍の攻撃に耐える事が出来ず敗退します。この時呉王闔閭は越軍の毒矢に当たり、呉国に帰るとすぐに亡くなります。こうして呉軍を破った越軍は追撃せず、撤退します。

 

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復讐に燃える呉軍に敗れる

 

呉王闔閭の跡を継いだ夫差は、父の敵である勾践を討つべく、孫武や伍子胥の補佐を受け復讐に燃える日々を過ごします。数年後、ついに越軍を打ち破り、父の敵である越に大勝します。越王勾践や范蠡は会稽山へ逃げ込みます。ここで范蠡は「王よ。恥を忍んで呉王に講和を持ち掛けなさい。その際呉王の側近に大量の賄賂を贈るべきです」と進言します。

 

勾践はこの進言に従い呉王夫差の側近に、大量の賄賂を贈ります。また勾践は美女西施(せいし)を夫差へ送り込むなどして、何とか講和へこぎつけます。しかしこの講和は勾践にとって非常に屈辱的で、彼は王の位から夫差の臣下として過ごす事になります。

 

呉へ復讐する為、色々な謀略を用いて弱体化させる

 

勾践は夫差の臣下として屈辱的な日々を呉で送った後、越へ帰国します。勾践は越へ帰ってくると早速范蠡に「国の政治を取り仕切ってくれ」と依頼。しかし范蠡は「私の才能は軍事に秀でており、国政には向きません。私より文種に政治を任せた方がいいでしょう」と文種を国政担当へ推薦します。勾践は范蠡の進言に従い国政を文種に任せ、軍事や謀略を范蠡に担当させます。范蠡は呉王夫差の側近に再び賄賂を大量に贈ります。さらに彼は呉の名将伍子胥を除くため、夫差との関係性を悪化させる様々な流言を放ちます。その結果、伍子胥は夫差の命により、自害。伍子胥が居なくなった事で呉の国力は低下の一途を辿っていき、范蠡の策は成功します。

 

一気呵成に呉へ攻め込む

 

越王勾践は呉軍の主力が北へ向かった事を聞き、范蠡に「そろそろ長年の屈辱を晴らす時だと思うのだがどう思う」と質問します。すると彼は「今こそチャンスです。攻めましょう」と賛成。勾践は范蠡の賛成の言葉を聞くと越軍を率いて呉へ侵攻を開始。越軍は呉の首都へ攻め込み、楽々と手に入れます。呉王夫差は、越軍が首都を陥落させた事を聞き、即座に軍勢を引き連れ引き返してきます。范蠡は呉軍が北から引き返してきたことを知り、勾践へ「呉を滅ぼすにはまだ力が足りません。ここはもう一度講和しましょう」と進言します勾践は范蠡の進言を採用し、呉との講和を再度結びます。

 

越王勾践ついに復讐を果たす

 

呉王夫差は、越との講和後も中原へ向けて兵を発します。越は呉軍が北へ向けて出陣している隙を突き、呉の領土を削り取っていきます。呉の講和から4年ついに越は呉へ決戦を挑み、ついに呉を滅ぼします。呉王夫差は勾践へ命乞いをします。勾践は夫差の哀れな姿を見て情を動かされ、命を助けようとします。范蠡は勾践の表情を見て夫差に情を動かされている事を感じ取り、

 

「彼の命をここで立たなければ、後に禍を残す事になります。」

 

と彼の命を助ける事に反対します。勾践は范蠡の意見を取り入れず、夫差を島流しにしようと決意しましたが、夫差は自害。こうして勾践は復讐を完了させます。

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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