2012年12月に成立した第2次安倍内閣は、それまで15年にわたって続いてきたデフレからの脱却を目指す経済政策アベノミクスを掲げ、その名は連日新聞の紙面を賑わせています。
三国時代の中国はハイパーインフレ状態にありました。
その元凶をつくったのは、あの董卓(とうたく)でした。
最古の王朝、殷(いん)の時代から貨幣は存在してた
中国における貨幣経済は、その実在が確認されている最古の王朝、殷(いん)の時代……
紀元前17世紀にはすでに成立していましたが、当時貨幣として使われていたのは貝殻でした(貝貨)。
紀元前700年代以降、春秋戦国時代になると青銅による鋳造貨幣が作られるようになり、貨幣経済は大きく発展しました。
紀元前118年、前漢の武帝の時代に発行された五銖銭(ごしゅせん)は唐の時代に廃止されるまで700年以上の間流通した、中国史上最も長く使われた貨幣です。
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五銖銭(ごしゅせん)って何?
五銖銭(ごしゅせん)は中国の古代に流通した貨幣。五銖銭は、それまで鋤や包丁のような形など、大きさ、重さもまちまちだった貨幣ではなく、円形で中央に正方形の穴を開けた環銭(かんせん)と呼ばれる貨幣で、その寸法・重量・金属配合が厳密に決められていました。
189年、政権を掌握した董卓(とうたく)は、五銖銭の改鋳を命じ、従来の五銖銭を削って小型化したものを発行します。この五銖銭は『董卓五銖銭』と呼ばれ、薄くて軽く、水に浮いてしまう程の粗悪なシロモノだったと言われています。
なぜ、董卓がこのような貨幣の改悪を行ったの?
背景には、董卓が実権を握った当時の後漢王朝の財政状態がありました。
かねてから続いていた財政の悪化に加え、黄巾の乱以降も戦乱が重なり、国家財政はほとんど破綻してしまっていたのです。
根っからの軍人であり、政治経済に関する資質に欠けていた董卓は、安直な方法でこの状況を打開しようとしました。つまり、「金が無いなら作ればいい」と考えたのです。
既存の五銖銭を削って鋳造しなおしたのは、五銖銭の原材料である青銅の、当時最大の産地であった漢中との交通路を、益州の牧(長官)であった劉焉(りゅうえん)が遮断していたことも影響したかもしれません。
結果として『董卓五銖銭』は貨幣としての信用を完全に失い、貨幣経済自体が破綻。物価は恐ろしい程の上昇を見せ、『董卓五銖銭』は穴に紐を通して棒状にまとめたもので取り引きされるようになったと言うことです。
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董卓の愚策・後の三国時代にも影響を及ぼす
董卓の愚策によって起こった貨幣経済の破綻は、三国時代を通じて影響し続けます。魏・呉・蜀はそれぞれに貨幣経済の立てなおし策を打ち立てましたが、その再建には長い時間がかかりました。
その中でも、蜀は良質な銅山を国内に持ち、比較的安定した貨幣の鋳造が行えたようです、もし、董卓によって中央の貨幣経済が破綻させられていなければ、蜀の貨幣はもっと高い価値を得られたかもしれません。
そうなっていれば、歴史の流れに大きな影響を与えたことは確かです。
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