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後漢末の貨幣経済を破綻させた、董卓の五銖銭(ごしゅせん)

2015年1月16日


 

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2012年12月に成立した第2次安倍内閣は、それまで15年にわたって続いてきたデフレからの脱却を目指す経済政策アベノミクスを掲げ、その名は連日新聞の紙面を賑わせています。

 

貨幣を量産してハイパーインフレを起こす董卓

 

三国時代の中国はハイパーインフレ状態にありました。

その元凶をつくったのは、あの董卓(とうたく)でした。

 

自称・皇帝
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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最古の王朝、殷(いん)の時代から貨幣は存在してた

殷の大様

 

中国における貨幣経済は、その実在が確認されている最古の王朝、(いん)の時代……

紀元前17世紀にはすでに成立していましたが、当時貨幣として使われていたのは貝殻でした(貝貨)。

 

部下の兵士に褒美(お金)を分け与える曹真

 

紀元前700年代以降、春秋戦国時代になると青銅による鋳造貨幣が作られるようになり、貨幣経済は大きく発展しました。

紀元前118年、前漢の武帝の時代に発行された五銖銭(ごしゅせん)は唐の時代に廃止されるまで700年以上の間流通した、中国史上最も長く使われた貨幣です。

 

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五銖銭(ごしゅせん)って何?

五銖銭(ごしゅせん)は中国の古代に流通した貨幣。五銖銭は、それまで鋤や包丁のような形など、大きさ、重さもまちまちだった貨幣ではなく、円形で中央に正方形の穴を開けた環銭(かんせん)と呼ばれる貨幣で、その寸法・重量・金属配合が厳密に決められていました。

 

董卓

 

189年、政権を掌握した董卓(とうたく)は、五銖銭の改鋳を命じ、従来の五銖銭を削って小型化したものを発行します。この五銖銭は『董卓五銖銭』と呼ばれ、薄くて軽く、水に浮いてしまう程の粗悪なシロモノだったと言われています。

 

なぜ、董卓がこのような貨幣の改悪を行ったの?

董卓紙幣

 

背景には、董卓が実権を握った当時の後漢王朝の財政状態がありました。

かねてから続いていた財政の悪化に加え、黄巾の乱以降も戦乱が重なり、国家財政はほとんど破綻してしまっていたのです。

 

董卓

 

根っからの軍人であり、政治経済に関する資質に欠けていた董卓は、安直な方法でこの状況を打開しようとしました。つまり、「金が無いなら作ればいい」と考えたのです。

 

既存の五銖銭を削って鋳造しなおしたのは、五銖銭の原材料である青銅の、当時最大の産地であった漢中との交通路を、益州の牧(長官)であった劉焉(りゅうえん)が遮断していたことも影響したかもしれません。

 

村人 ショッピング

 

結果として『董卓五銖銭』は貨幣としての信用を完全に失い、貨幣経済自体が破綻。物価は恐ろしい程の上昇を見せ、『董卓五銖銭』は穴に紐を通して棒状にまとめたもので取り引きされるようになったと言うことです。

 

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董卓の愚策・後の三国時代にも影響を及ぼす

董卓戦上手なの?

 

董卓の愚策によって起こった貨幣経済の破綻は、三国時代を通じて影響し続けます。・呉・蜀はそれぞれに貨幣経済の立てなおし策を打ち立てましたが、その再建には長い時間がかかりました。

 

祁山、街亭

 

その中でも、蜀は良質な銅山を国内に持ち、比較的安定した貨幣の鋳造が行えたようです、もし、董卓によって中央の貨幣経済が破綻させられていなければ、蜀の貨幣はもっと高い価値を得られたかもしれません。

 

そうなっていれば、歴史の流れに大きな影響を与えたことは確かです。

 

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まだ漢王朝で消耗してるの?

まだ漢王朝で消耗しているの

 

 

 

 

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