『苦肉の策(くにくのさく)』という言葉は、日本では一般的には「苦しまぎれ(の方策)」という意味で用いられることが多いですが、これは間違って広まったものです。本来の意味は、中国の兵法書『兵法三十六計(へいほうさんじゅうろっけい)』に見ることができます。
『兵法三十六計(へいほうさんじゅうろっけい)』はいつ出来たの?
『兵法三十六計』は17世紀=清代の初めに成立したものと言われています。
『孫子(そんし)』を始めとする、いわゆる『武経七書』と呼ばれる兵法書と比べ、その作りには粗雑な面があり、兵法とは呼べないような記述もあることから、その評価は決して高いとはいえません。しかし、その内容は古い時代のさまざまな故事や教訓があふれており、民間を中心に広く流通したとされています。
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兵法三十六計の戦術を紹介
『兵法三十六計』は戦に用いる戦術を
・勝戦計(自軍が戦いの主導権を握っている時の戦法)
・敵戦計(戦力的に余裕がある時の戦法)
・攻戦計(敵軍が強固な時に有効な戦法)
・混戦計(敵戦力が自軍を上回る時の戦法)
・併戦計(同盟国に対し自軍が優位に立つ方策)
・敗戦計(自軍が敗色濃厚な場合に用いる奇策)
の六種類に大別し、更にそれぞれの戦術に該当する策を6つずつ、その具体例を5世紀頃までの歴史上の出来事を上げて紹介。6計×6策で、『三十六計』というわけです。
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苦肉の策は「敗戦計」の一策
『苦肉の策』は「敗戦計」の一策、『三十六計』中の三十四計『苦肉計』として紹介されている策です。人間には、『人は自分で自分を害するようなことはしない』と考え、もし誰かが害を受けていれば、それは他人に害されたものだと思う傾向があります。
この心理を利用し、本来は自分の味方である人物や勢力が裏切ったように相手に見せかけ、罠にはめることを『苦肉計』と呼びます。
三国志演義でも苦肉計が使われていた
この『苦肉計』の事例として同書に紹介されているのが、『三国志演義』に描かれた赤壁の戦いにおける、呉の黄蓋(こうがい)と周瑜(しゅうゆ)が魏の曹操(そうそう)の艦隊を焼き討ちする際に用いた作戦です。
呉軍を圧倒する魏の艦隊に対し、有効な策を打てないでいる周瑜を黄蓋が批判、これを咎めた周瑜は兵士たちの面前で黄蓋を鞭打ちの計に処します。この事実はスパイによって曹操に伝えられ、その後、投降を申し出てきた黄蓋を曹操は受け入れてしまいます。
しかし、黄蓋の投降は偽装でした。彼は魏軍の艦隊に内側から火を放つことに成功し、魏軍は壊滅、曹操は撤退を余儀なくされました。
余談になりますが、『兵法三十六計』の名は「三十六計逃げるに如かず」という故事で知られていますが、これは三国志よりも後の時代、五世紀頃の宋に仕えた将軍、檀道済(だんどうせい)の「三十六策、走るが是れ上計なり」という言葉が元になっています。
しかし『兵法三十六計』が成立したのは、檀道済が生きた時代よりもずっと後の事で、『兵法三十六計』そのものとは無関係であるとされています。
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