正史における曹操孟徳(そうそうもうとく)は軍人として、
また政治家として、更には詩人としても歴史に大きな功績を残した人物として評価され、
一方で小説『三国志演義』では野心家の悪党として描かれています。
いずれにせよ、良しにせよ悪しきにせよ、
歴史上の巨人というイメージの強い曹操ですが、実際はどのような人物だったのでしょうか?
曹操は身長の小さいおっちゃんだった
実在した曹操が小男であったのは、良く知られているところです。
身長は七尺……現代の単位に置き換えると約161cmとされています。
その時代の中国の平均身長は今よりも低かったと推測されますが、確かに小柄であったことは間違いなさそうです。
正史『三国志』以外の史書にも「姿貌短小」等と書かれています。
陳寿(ちんじゅ)が編さんした正史『三国志』に注釈をつけた裴松之(はいしょうし)は、『曹瞞伝』という書の曹操に関する記述を紹介しています。
この『曹瞞伝』は呉で書かれたもので、曹操に対して悪意のある記述がされていることで知られていますが、その文章を現代的な視点から見ると、曹操の意外な一面が見えてきます。
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曹瞞伝から分かる曹操の一面
曹操の幼名は『阿瞞(あまん)』と言います。
今の日本語に(無理に)翻訳するなら「嘘つき坊主」と言う意味に取ることができます。
当時は子どもに魔物のようなものが取り憑くことを避けるために、
わざと良くない意味の名前を付ける風習もあったとも言われていますので、
そう名付けられた真意はわかりませんが、『曹瞞伝』にはいかにもその幼名を裏付けるようなエピソードが紹介されています。
若いころの曹操はどんな人物だったの?
若いころの曹操は鷹や犬を伴い狩りをすることに夢中になっていました。
そんな彼を見咎めた叔父が、曹操の父である曹嵩に度々報告しましたが、そのことを煩わしく思った曹操は、一計を案じました。
ある時、叔父と出会った曹操は表情を崩し、口の端を歪めて見せました。
驚いた叔父に理由を尋ねられた曹操は『病気のせいです』と答えます。
叔父づてにその話を知った曹嵩が驚いて駆けつけますが、曹操は普通の顔をしています。
叔父から聞かされた話を曹嵩が話すと、曹操は『叔父さんは私を嫌っているからそんなデタラメを言ったのでしょう』と答えました。
それ以降、曹嵩は叔父の言葉に耳を貸さなくなり、曹操は気兼ねなく狩りに没頭できるようになったということです。
後に、数多の英雄たちと権謀術数を戦わせた曹操とはまたちょっと違う、子供っぽく小狡いイメージを感じる話ではないでしょうか?
『曹瞞伝』には、宮中における曹操の日常の立ちふるまいに触れた部分もあります。
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実は気さくなおっちゃんだった
曹操は軽薄で騒がしい人柄で威厳がありませんでした。
音楽が好きで、いつも自分の傍らに音楽を演奏するものを置いて一日中楽しんでいました。
軽い絹の服を好み、腰にぶら下げた革袋に身の回りのものを入れて持ち歩いていました。
宴会の席で上機嫌になると、大笑いして頭を料理の器や盃に突っ込んでしまい、被り物を汚してしまうこともあったということです。
『曹瞞伝』はこのように記述することで、曹操の人物を卑小に描こうとしたと考えられますが、これも現代の視点から見るとずいぶん違った印象に捉えることができます。
華美で窮屈な服装より、動きやすく実用的なものを好み、身の回りのものを携え、身軽に動きまわっていた。
たいそう陽気で音楽好き、人との談笑を好み機嫌のいい時は大笑いすることもあった……
歴史に語られる英雄とはまた違う、気さくで人間的な曹操の姿が、そこに見えてくるようには思えないでしょうか?
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