【三国時代】英雄の地位はどの位?

2015年3月12日


 

曹操丞相えらいねんで!

 

三国志演義には、丞相とか、司徒とか、とか大尉とか、

或いは、三公とか、耳慣れない官位が続々と出てきます。

 

きっと、偉い肩書きなんだろうなとは思っても、

どの地位が上で下か、或いは、どんな事をする仕事なのかと

モヤモヤしませんか?

 

そこで、全部ではありませんが、よく聞く後漢時代の

官位をピックアップしてみました。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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相国(しょうこく)

相国 董卓 ゆるキャラ

 

皇帝を除いては一番高い地位、

前漢の建国の功臣、䔥何が就任した職で

以後は皆遠慮して、この地位には就かなかった。

 

職としては丞相と変わらないけど待遇と格式が

全然違う最高権威。

 

後漢では菫卓が自らその地位に上って

ド顰蹙(ひんしゅく)を買った事で有名。

 

王・公・候

 

皇帝から領地を与えられた重臣や王族が名乗る地位

土地から上がる収入は全て自分のモノになるけど、

実際に統治するわけではないのが特徴、、

県を統治する重臣が侯と呼ばれて、

郡を統治する重臣が公と呼ばれていた。

王族が郡を統治すると王の呼称で呼ばれます。

 

丞相(じょうしょう)

㈱三国志

 

皇帝を補佐して、政治を行う総理大臣の立場

蜀漢では孔明が長年、この地位にあり劉禅を補佐

やっぱり孔明は偉かった。

 

 

 

太傅(たいふ)、太師(たいし)、太保(たいほう)

 

皇帝が幼い頃に、これを補佐して政治を行う立場で3つを纏めて三師という

ただ、臨時に置かれる名誉職で、実際の権力は三公以下、、

菫卓は、献帝の後見職として太師になっていた時期があります。

 

 

大司馬(だいしば)

 

軍事の最高職で三公の上にあるけど、こちらも臨時に置かれる名誉職で、

実際の権力は三公以下、、

孫策が曹操に懐柔されていた頃に要求して拒否されたいわくつきの官位

 

 

大将軍(だいしょうぐん)

 

反乱軍を討伐する為に置かれる職で三公の大尉の上にあるけど、

やっぱり臨時の仕事で実質権力は三公の下

外戚の何進が黄巾賊討伐に当たり、任命されたので有名かも、、

 

 

司徒(しと)、司空(しくう)、大尉(たいい)

袁紹&袁術

 

3つを合わせて三公と呼ばれる政治の実権を握る最高職、、

大尉は国防大臣、司徒は民政の最高責任者、司空は民事と人事を

担当する地位。

 

袁紹や袁術の袁家が4代に渡り、この三公に上ったとして、

名門中の名門と呼ばれていました。

しかし、後漢の末には、皇帝と密接に繋がった中常侍に権力を

奪われたので、袁紹は宦官を憎むようになります。

 

大常:たいじょう(九卿)

 

皇帝の祭祀や儀式をつかさどる地位

宮廷の朝会、宴会などの他に宮殿の衛兵を動かして取り仕切る

 

 

衛尉:えいい(九卿)

 

宮殿の衛士で宮殿の巡察と呉護衛を受け持つ仕事

 

太僕:たいぼく(九卿)

 

皇帝の車馬と牧畜を取り仕切り、皇帝の行幸の共をする仕事

 

廷尉:ていい(九卿)

 

刑罰を担当する地位、司法大臣

 

 

大鴻臚:だいこうろ(九卿)

 

外国や朝貢国の応接担当、外務大臣に相当する仕事

 

宗正:そうせい(九卿)

 

皇族の管理と監視を行う仕事

 

大司農:だいしのう(九卿)

董卓紙幣

穀物、貨幣、錦白などを司る官位で農政と財政を行う仕事で、

財務大臣と農水大臣を兼ねる仕事

 

 

少府:しょうふ(九卿)

 

皇室の財政を管理する仕事

秦末の武将、章邯(しょうかん)がこの地位にありました。

 

 

執金吾(しつきんご)

 

宮廷の警備を司る近衛長官で格式は九卿に匹敵する。

 

 

 

 

録尚書時(ろくしょうしょじ)

 

 

宮廷事務の総責任者、実際の権力は、宮廷から出ない筈が、

後漢時代に外戚が権力を握ると、この録尚時時の地位に就いて

三公を排除して皇帝を操り、一方では大将軍として軍事を掌握し

大きな権力を奮う事になります。

 

 

尚書令(しょうしょれい)

 

本来は、九卿の少府の属官だったものが、前漢の武帝の頃から、

勢力を拡大していく、公文書を発行する仕事ですが、

宦官が就く事が多く、気に入らない上奏は皇帝に取り継がないなど

権力を奮う事になりました。

 

 

尚書僕射(しょうしょぼくしゃ)

 

一般行政を担当する官僚、左右僕射があり、三国時代から、

晋にかけては、尚書僕射は宰相を意味していました。

 

軍師(ぐんし)

賈詡

 

軍事を統括する官名で、後に策士の代名詞になります。

丞相府、将軍府、三公府におかれたアドバイザー的な存在です。

 

 

侍中(じちゅう)

 

皇帝の秘書で、皇帝の落ち度を補う立場にあります。

やっぱりというか宦官が就く事が多く、皇帝の威を借りて

横暴に振る舞うものも出ました。

 

 

散騎常侍(さんきじょうじ)

 

皇帝の側近でその落ち度をカバーする仕事です。

 

 

中常侍(ちゅうじょうじ)

宦官VS外威 三国志

 

宮殿の雑事の一般を取り仕切り、顧問、応待、給仕を行う、

常に宮殿に宿直するので宦官が任命されるに都合が良い仕事で、

皇帝と親しくなり、権力を奮うようになります。

外戚の何進と対立したのは、この中常侍に就いた十常侍、

張譲、蹇碵、段珪等がいます。

 

太史令(たいしれい)

 

天文を担当して、暦を造り、吉凶を占う仕事をします。

 

博士(はくし)

 

首都の大学機関で総長を務めている仕事。

 

 

―――地方官―――――――――――――――――――――――

 

州牧(しゅうぼく)

 

州の長官で188年に設置されました。

後漢末から三国時代の地方行政は郡県制度と呼ばれて、

州、郡、県という行政単位が置かれています。

 

※日本では、郡は県より小さいですが、

中国では郡の方が県より大きく、州はその上です。

州牧は、その中で一番大きい州の長官という事になりますね。

州牧は行政権ばかりでなく兵権も持っています。

 

州刺史(しゅうしし)

 

州単位で、各地を回り、州牧の仕事ぶりを見てまわる仕事

行政官ではなく太守より地位も下とされています。

元々はただの役人で兵力も率いて無かったのですが、

三国志の時代には、それぞれの群雄が自分の息の掛かった

武将に兵を持たせて刺史として派遣し牧と競合したので

事実上は、牧と変わらない刺史も存在しました。

 

日本では、この刺史の和名として国守が当てられています。

 

太守(たいしゅ)

 

郡の長官、知事に相当する仕事、州牧よりは下

州牧や刺史と混乱しやすいですが、支配地域が郡なので

牧よりは下の地位と言う事になります。

皇族が支配する地域では太守ではなく相(しょう)という

名前になります。

 

 

河南尹(かなんいん)・京兆尹(けいちょういん)

 

洛陽や長安が属する郡の長官の呼び名

都知事や府知事に相当します。

 

 

県令(けんれい)・県長(けんちょう)

 

大きな県の令は県令で、小さな県だと県長になります。

市町村長位のレベルでしょう。

 

 

いかがですか?

後漢の官位の順序が少しはお分かり頂けたでしょうか?

あなたが好きな武将の地位がどういうものであるかの

参考にして頂けると幸いです。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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