諸子百家(しょしひゃっか)の時代には数多の思想家が現れ、さまざまな思想を展開していますが、特に現代にも影響を与えていると言えるのは、『人徳と礼儀で国を治める』徳治主義を説いた儒教(儒家)、君主の人徳ではなく厳正な法律による法治主義を説いた法家。
そしてもうひとつ、哲学的・観念的な思想を説いた道家
(老荘思想:ろうそうしそう)ではないでしょうか?
果たして、道家の思想とはどのようなモノだったのでしょうか?
関連記事:諸子百家(しょしひゃっか)ってなに?|知るともっと三国志が理解できる?
関連記事:儒教(儒家)ってどんな思想?|知るともっとキングダムも理解できる?
老荘思想(ろうそうしそう)ってどんな思想?
道家の大家である老子と荘子の名を合わせ、老荘思想とも呼ばれます。『好きの反対は無関心』という言葉があります。
え、『好きの反対は嫌い』じゃないのか?
そう思われる方も多いでしょう。
『好き』も『嫌い』も、その対象に関心を向けているという点では、実は同じベクトルにあると言うことができます。
どっかのアニメソングにも『大嫌いはちょっと好きなこと』、なんて歌詞がありましたね。『無関心』とは、その対象に対して文字通り関心のないことです。『嫌い』が『好き』と同方向の意識であると言えるのに対し、『無関心』は『好き』と対極にある考え方だと言えるでしょう。
……いきなり、何の話をしてるんだ?と思われるかもしれませんが、つまり儒家や法家の思想に対する『無関心』、つまり対極にあるのが道家の思想なのです。
道家の思想が生まれたきっかけ
諸子百家が隆盛を誇った時代、春秋戦国時代は生き馬の目を抜くような駆け引き、騙し合いの横行した時代でした。儒家や法家の人たちは、国家の理想を説き、『国はこうでなければならない』と主張、彼らの言葉は常に『~するべきだ、~しなければならない』で締められ、人に理想の実現を強要してきます。
しかし、それは同時に人々に、社会や政治への『疲れ』を生じさせる原因にもなりますね。なんで『~せねばならない』のか? 別のそうでなくてもいいんじゃないのか?
理想に疲れた人の多くがそう考える(少なくともそう考える瞬間がある)でしょう。道家の思想は、まさにそんなニーズに応えるべく現れた思想だったのです。
道家の思想の基本は「あるがままに」
道家の思想の基本は『自然に、あるがままにある』ことを最も良しとすることです。この世界には『道』と呼ばれる真理があり、人の生き方は無理に立身出世を目指すのではなく、ただその『道』に身を委ねて自然に生きるのが良い……道家の思想はそう説いています。
それはまた、国家についても同じことが言えます。国のあり方は、その国を強くしたり、人民を厳しく統治することではなく、ごく自然に、まるで王朝も国家もないように感じられることそれこそが理想であるとされました。
三国時代に大ブーム!!の老荘思想
老荘思想の三大著書と言われる『老子』『荘子』そして占いを記した書『易経』。この三つを合わせて三玄と呼び、これを元にした学問を『玄学』と呼びます。この『玄学』を創始したのが、三国時代に魏に仕えた学者の王弼(おうひつ)と、同じく魏に仕えた何晏(かあん)でした。(何晏は曹操の養子でした)
三国時代もまた、春秋戦国時代と同じく、闘争と政争が飽くことなく繰り返されている時代でした。政治に携わり、立身出世しようと志しても、いつ誰がその足元を救うかわからい、そんなすさんだ時代です。
この時代、老荘思想に基いて世俗と関係のない哲学的な議論を行うことを『清談』と呼びました。清談は王弼や何晏によって代表される魏の時代の『正始の音』(せいしのおと)と呼ばれる学風に始まり、後に『竹林の七賢』と呼ばれる人々を生み出しました。
関連記事:白眼視の元になった竹林の七賢の阮籍、三国時代の故事成語
関連記事:三国志って何?はじめての人向け
現代に再評価される老荘思想
価値相対主義の時代と言われる現代、老荘の思想は再評価されつつあります。正しさに疲れた時代、あるいは正しさの見えない時代だからこそ、現代の価値相対主義にも通じる老荘の思想が人々の心を捕らえるのかもしれませんね。
関連記事:キングダムの時代に開花した法家の思想
関連記事:キングダム時代に活躍した法家 商鞅と韓非はどんな人?