始皇帝が死ぬと、元々、人夫を運ぶ仕事だった陳勝(ちんしょう)達が
蜂起して、100万を越える大反乱軍になります。
陳勝は、張楚の覇王と号して反秦を旗印にしました。
しかし、当時の秦で権力を握った宦官の趙高(ちょうこう)は、
反乱軍など眼中になく、夢中で自分に反逆する秦内部の人間を殺すだけでした。
ほどなく、かつて楚に使えていた将軍周文(しゅうぶん)が咸陽に迫ります。
秦もここまでかと思った時、立ちあがったのが名将 章邯(しょうかん)でした。
この記事の目次
秦を支えた章邯、大ピンチに趙高に直訴
章邯(しょうかん)は元々、武官でさえなく少府という九卿の末席にいる
官僚でしたが、周文が迫っている事で憂国の念を持ち
趙高に自分に反乱軍を討たせてほしいと直訴します。
内心、反乱軍を気にしていた趙高だが・・
趙高は、表面では何でもないようでしたが、
内心では反乱軍を恐れていました。
しかし、秦の有力な将軍は自分が殺しつくしていたので、
討伐に向かわせる将軍はいなかったのです。
章邯の申し出に趙高は応じて、章邯を将軍に任命しますが、
「軍勢は帝を守る為に一兵も裂けない」と言い放ちます。
ところが章邯には秘策がありました。
始皇帝の陵墓を造っていた囚人を反乱軍に当てる
「軍勢など、当てにしてはおりませぬ、、
ただ、先帝の陵墓を造り終え殺される運命の囚人を助命し
それがしにお与え下されば、それでよろしゅう御座る」
趙高は、どうせ殺すつもりの囚人なれば好きに使うがいいと
章邯に20万人の囚人を与えました。
章邯は、20万の囚人を前に演説します。
「聞けィ!!我が秦の都に反乱軍が迫っておる!
このままでは、秦は滅び、お前達の娘や妻は犯され、
男は殺され、家は焼かれ財産は奪われるだろう!!
お前達は、その罪により陵墓が完成した暁には処刑される運命だ。
だが!慈悲深い皇帝陛下のお許しにより、もし反乱軍を倒して、
秦の天下を盤石にしたら、お前達の罪は許される!
どうする?ワシと共に来るか?ここで死ぬか二つに一つだ!」
もう死ぬモノと諦めていた囚人20万は歓喜して、
章邯の軍勢に加わる事に同意します。
怒涛の囚人軍、周文を撃破し快進撃
反乱軍を倒せば自由の身になれると信じた囚人軍は、
周文の反乱軍に襲いかかり、これをあっと言う間に撃破します。
ここで章邯は、軍の組織を改編し、囚人の中でも統率力のある者を
抜擢して指揮官にして内部を統制しました。
これにより囚人軍は秦の正規軍に産まれ代わります。
ここから、秦軍は、反乱軍を討伐すべく各地を転戦します。
上司であった呉広(ごこう)を内紛で殺した、反乱軍の田臧(でんぞう)
李帰(りき)を討ち取り、鄧説(とうせつ)を破ります。
また、斉王を名乗って独立していた田儋(でんたん)と陳勝配下で
魏の武将である周市(しゅういつ)を臨済で戦死させ、さらに
魏王を名乗った魏咎(ぎきゅう)を焼身自害させます。
さらに許にいた伍徐(ごじょ)も撃破して勢いの衰えた反乱軍を
着々と片づけていきました。
秦より司馬欣・董翳が援軍に、章邯、陳勝を倒す
章邯の連戦連勝に、二世皇帝胡亥(こがい)は援軍として
司馬欣(しばきん)と董翳(とうえい)を派遣します。
章邯は、これらを纏めて、ついに反乱軍の本拠地である
陳を陥落させ陳勝は、本拠地を捨てて逃亡します。
陳勝は、これより間もなく、部下に愛想を尽かされて殺され、
ここに陳勝が起した反乱軍は壊滅しました。
章邯、反秦連合軍の項梁を戦死させる
しかし、陳勝の晩年には、すでに内部分裂が起きていました。
楚の項燕大将軍の子である項梁(こうりょう)は、甥の項羽(こうう)と共に、
兵を挙げ、楚の懐王の子孫を探して王位に就けて着々と勢力を拡大していました。
章邯は、項梁が度重なる戦勝で慢心していると見て取り、
わざと負けたフリをして、項梁を油断させます。
そして、一気に夜襲を掛けて項梁を討ち滅ぼしました。
章邯、張耳を鉅鹿城に包囲するも、項羽に撃破される
次に章邯は、張耳(ちょうじ)と趙王が立て籠る鉅鹿城を包囲させます。
包囲には、蘇角(そかく)渉間(しょうかん)そして、
キングダムに登場する王賁(おうほん)の子である王離(おうり)も参加しました。
秦軍は、勢い盛んで反秦連合軍も鉅鹿城まで援軍に来るのですが
あまりの勢いに怖じ気づき、一歩も進まない有様でした。
ですが、反秦連合軍の急先鋒、項羽が鉅鹿城を救援にやってくると
状況が一変します。
秦軍は、蘇角が項羽に討たれ、渉間が自決し、王離が捕えられると、
一気に勢いを失い敗走を始めます。
それを遠くで見ていた反秦連合軍も、ここぞとばかりに攻撃を加え、
鉅鹿城は包囲を解かれ、秦軍はうって代わり、連戦連敗を続けます。
章邯、司馬欣を咸陽に送るが・・
進退極まった章邯は援軍を求めて部下の司馬欣を咸陽に派遣しますが、
彼がそこで見たものは、身に覚えのない罪と、
一族が既に趙高に殺されているという事実でした。
司馬欣は、命懸けで咸陽を脱出して章邯に告げます。
「万事休止です、あなたは功績を挙げても殺され、
失敗しても殺されます」
章邯は、ここに至って降伏を決意し項羽の軍門に下ります。
項羽、投降した秦兵二十万を一夜にして殺す
章邯は、降伏に際して、秦兵二十万の助命を条件にします。
項羽はこれを飲んだふりをしますが、楚の軍勢よりも遥かに多い
秦軍をそのままにしておくつもりはありませんでした。
ある日の夜、項羽は、秦の兵を崖に近い場所に宿営させてから
真夜中、いきなり銅鑼を鳴らして楚兵を襲いかからせます。
不意を突かれた秦兵は、唯一残された崖に向かい殺到、、
二十万人が、崖下に転落します。
項羽は駄目押しに岩を幾つも投入してトドメを刺しました。
章邯、司馬欣、董翳、三秦の王にしかし・・
章邯の降伏により秦は武力で立ち向かう力を無くし、咸陽は陥落
項羽は、ここで略奪の限りを尽くし、深く秦人に恨まれます。
天下を統一した項羽は、秦の領地を三分割し章邯、司馬欣、董翳
の秦人に統治を任せます。
人々は、これを三秦の王と言いましたが味方である秦の兵を
見殺しにして項羽に仕える3名を恨まない人はありませんでした。
章邯は、この頃には自暴自棄になり、毎日、酒びたりの生活を
送っていたと言います。
章邯、劉邦の奇襲の前に戦死
この三秦の王には、秦滅亡のもう一人の功労者である沛の劉邦を
巴蜀の土地に閉じこめ死ぬまで出さないという役割もありました。
ところが、秦の人民は章邯を恨んでいて命令を聞かず、
むしろ、劉邦に味方して劉邦が巴蜀を脱出するのを援助します。
当時、劉邦に下っていた韓信(かんしん)は大将軍として
先鋒を務めて章邯と戦い、これに連戦連勝します。
気力を失っていた章邯は勝てず、廃丘(はいきゅう)に籠り自殺しました。
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三国志ライターkawausoの独り言
章邯は、始皇帝の死後、腐った大木と化した秦が倒れるのを
必死で支えた悲劇の名将です。
その軍略は文官にも関わらず卓越していて、反乱軍を次々に破り
一時的とは言え、秦の天下を回復しますが、
秦の権力を握る、趙高達のような奸臣はそのままだったので
僅かに秦の命脈を伸ばしたに過ぎませんでした。
特に、救うつもりだった秦の人民に項羽にへつらう
裏切り者と唾を吐かれた時の章邯の苦悩は思うに余りあります。
晩年は自暴自棄になり酒に溺れたという章邯の行動は、
果たして正しかったのか?それとも黙って秦が滅びるのを
待っていた方が良かったのでしょうか?
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