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領土を拡張し、王の地位を狙う
公孫度は遼東の地で自らに逆らう者を一掃すると、領土を拡大すべく軍事に励みます。東は朝鮮半島に割拠していた高句麗を討伐し、西は鳥桓族の領土を奪い取り、自らの基盤を着々と固めていきます。そんな中、中原は董卓によって乱れます。公孫度はこの情報を聞くと部下たちに「漢王朝の命脈も残りわずかになっている。私は君たちと共に王の位を目指そうと思う」と賛同を求めます。部下たちは大いに頷き彼の意見に賛成します。
王になるべき予兆が現れる?
公孫度は遠征を終え、本拠地である襄平に戻ると部下から「延里の社でとてつもなく大きな石が3つの小さな石によって支えられています」と報告を受けます。公孫康は「だからどうした!」と報告者に怒鳴りつけます。
しかし側近は彼に「これは祝福すべき出来事です。この現象を前漢の宣帝も見たそうです。さらに今回この現象が起こった場所は先代と同名である延里です。そしてこの現象の意味するところは、あなた様が土地を支配して皇帝になり、三公があなた様を支えている将来の姿を予兆しているのではありませんか」と側近が進言します。この意見を聞いた公孫度は大いに喜んだそうです。しかし大きな石を小さい3つの石が支えているだけでそんなに大げさになる必要があるのか、私には分かりません。
ついに漢王朝から自立し遼東侯を自称
公孫度はこの吉兆を信じてさらに領土を拡大。そして漢の高祖と後漢の光武帝を祀る廟を建立。また皇帝しか行えない行事である天地を祀る行事などを行い、ついに漢王朝から独立を果たし、遼東侯を自称します。公孫度は車や服装、馬などすべて皇帝仕様に入れ替え、さながら皇帝になったかのような振舞いをしていきます。公孫度はこうして遼東半島一帯を手に入れ息子の公孫康へ跡を任せ、亡くなります。
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三国志ライター黒田廉の独り言
公孫康は一代で遼東半島一帯を手中に収め、独立を果たします。彼の人生は幸運と言う武器が無ければここまでなれなかったでしょう。次回は遼東三代記第二回公孫康を紹介していきたいと思います。
次回記事:公孫康(こうそんこう)とはどんな人?虚を捨て、実を取り遼東に安寧をもたらした男【遼東三代記】