こちらは2ページ目になります。1ページ目から読む場合は、以下の緑ボタンからお願いします。
この記事の目次
両者の思惑が入り混じった剣舞(けんぶ)
劉邦は項羽の陣営を訪れると早速詫びを入れます。項羽は劉邦の詫びを聞き、彼を許し宴会を開きます。前夜、項羽の軍師である范増(はんぞう)は劉邦を殺すチャンスだと考え、彼を宴会で捕え殺すよう項羽に進言します。
しかし項羽は頷かなかったため、范増は項壮(こうそう)に「宴会が開かれた後、機を見て剣舞を舞って、劉邦を刺せ」と依頼します。
宴会の場が温まった頃、項壮が突然立ち上がり、剣舞を舞い始めます。この剣舞に危険を感じた項伯は剣を取って立ち上がり、項壮と共に舞を始めます。項壮は劉邦を刺す機会を見計らい、項伯は項壮が劉邦を刺せないよう、立ち位置を常に変えながら彼をかばいます。こうして両者の思惑が交差する剣舞が始まります。
樊噲の忠義と熱弁によって劉邦の命を救う
張良は宴会を抜け出し、樊噲の元へ向かい、樊噲と会うと「王が危険な状態だ」と知らせます。樊噲は張良の言葉を聞き終わる前に、盾を持ち宴会会場へ突撃。項羽は樊噲の迫力に驚き「何者だ」と怒気を発しながら質問します。彼は「劉邦の親衛隊長の樊噲だ」と大声で名乗ります。項羽は彼のしぐさを気に入り、酒と肉を与えます彼は盾を地に置き、そこで酒と肉を豪快に喰らいます。
この姿を見た項羽は大いに気に入り「まだいけるか」と問います。樊噲は頷くと再び酒と肉が目の前に現れます。
彼はこの肉と酒を食す前に「項羽殿。沛公は賊を入れないために函谷関を閉じたのです。それを何者かの讒言を信じて功績のある沛公を殺すなど、項羽殿の為になりませんぞ」と項羽に説明します。
この言葉に項羽は反論できず、ただ頷くのみでありました。その後樊噲は厠(かわや=トイレ)に立った劉邦と共に出ていき、彼を逃がします。こうして劉邦は何とか一命を取り留める事に成功します。
舞陽侯に任命される
樊噲は鴻門の会で劉邦を救った後、劉邦と共に各地を転戦します。彼はどの戦いでも確実に功績を挙げて、次第に劉邦軍で重用されていきます。樊噲はこうして実績を挙げ続け、劉邦が項羽を滅ぼし天下統一を果たすと舞陽侯に任命されます。
また呂雉の妹を嫁にもらっていた事と劉邦の独立当時からの家臣であった事が幸いして、王室からの信頼を寄せられます。
関連記事:【真田丸】真田信繁も背水の陣を敷いた?国士無双と謳われた天才武将・韓信との共通点
関連記事:楚の英雄・項羽と三国志一の強さを誇った呂布には共通点が盛りだくさん
関連記事:孫策も憧れた「西楚覇王」項羽が残した伝説の戦いベスト3
漢に反旗を翻した諸侯を討伐
樊噲は舞陽侯になった後、燕王臧茶(ぞうと)や韓信、劉邦の幼馴染で樊噲の友達でもあった盧綰(ろわん)などの反乱討伐で活躍し、劉邦から信頼を寄せられます。こうして漢王朝でも重鎮として重きをなしていく樊噲ですが、彼の運命を大きく分ける出来事が起こります。
劉邦の命令により、捕縛される
劉邦は自らの死が近づいてきている事を知り、自らが晩年側室に迎えた戚(せき)夫人とその子供劉如意(りゅうじょい)が皇后である呂雉に殺されるのではないかと疑います。そこで劉邦は呂雉の最大の支援者である樊噲を捕えるよう、陳平と周勃(しゅうぼつ)に命令を出します。
周勃は樊噲を殺せば、後に呂雉の勢力から仕返しを受ける事は分かり切っていました。しかし劉邦の命令に背くわけにはいかないので悩みます。陳平は時間を冷静に計算し、樊噲を捕えます。
その後劉邦が死ぬであろう事を想定して、彼を長安に送ります。この策は見事に成功し、樊噲は彼が亡くなった後、長安に到着します。樊噲は捕えらましたが、呂雉によって解放され、元の領地へ戻されます。元の領地に戻った彼は、漢王朝の政争に巻き込まれず、平穏な時間を過ごします。
こうして肉屋から劉邦の護衛隊長として楚漢戦争を戦い抜いた豪傑は二代目皇帝である恵帝の時代に亡くなります。
三国志ライター黒田廉の独り言
樊噲の息子達は樊噲の死後、悲惨な目に遭います。呂雉が亡くなると樊噲の息子は呂氏一派と共に滅ぼされてしまい、樊噲の血筋は絶縁します。劉邦の盾になって戦い続け、鴻門の会では劉邦を救うため熱弁をふるい項羽から「壮士」と褒められた樊噲。
呂雉の妹と結婚した事で、繁栄と絶望両方を見る事になった劉邦の親衛隊隊長は一族が皆殺しにされたあの光景をあの世でどのように思ったのでしょうか。
「今回の楚漢戦争時代のお話はこれでおしまいにゃ。
次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。それじゃまたにゃ~」
関連記事:意外と知らない楚漢戦争時代の戦い!命からがら逃げれた滎陽城篭城戦
関連記事:【楚漢戦争】劉邦をイジメ、苦しめた、いじめっ子雍歯(ようし)