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曹爽一族が倒される
曹爽は司馬懿が起こしたクーデターに敗れ、彼の一族や側近らは処断されます。夏侯玄は曹爽の側近でありましたが、処罰の対象になりませんでした。しかし彼は曹爽の側近であった過去をもっており、司馬家にいつ処断されるか分からない、不安な日々を過ごします。この不安は司馬懿が亡くなっても続きます。
連座によって捕まる
魏の名士として国内や呉にその名声を轟かせていた李豊(りほう)は夏侯玄にある計画を告げられます。李豊は「君を大将軍に張揖(ちょうゆう)を驃騎将軍(ひょうきしょうぐん)に任命して司馬家を打倒し、魏の政権を曹氏の元に戻したいのだが、どう思う」と告げられます。
すると彼は「綿密な計画を立てろよ」と賛成も反対もせず、ただアドバイスのみを行います。その後李豊の計画は司馬師にバレてしまい、李豊は処刑。夏侯玄もこの計画に加わったとされ、捕えられてしまいます。
堂々とした態度で処断される
夏侯玄は捕えられた後、取り調べを受けます。この時取り調べを行ったのは鍾会の兄・鍾毓(しょういく)です。彼は夏侯玄の供述書を作らねばならないため、取り調べますが、夏侯玄は「供述することなど何もない。君が供述書を書けばいい」と伝えます。鍾毓はその後も取り調べを行いますが、彼を屈服させる事は不可能であると悟り、自ら供述書を書き、夏侯玄に見せます。夏侯玄は供述書を見て、頷きます。その後彼は処刑場へ連れて行かれ、処断されます。彼は処断される前、一切顔色を変えず、挙措も普段通りであった為、刑を執行する役人がたじろいでしまう程でした。
三国志ライター黒田廉の独り言
夏侯玄は夏侯家の秀才で、曹爽が蜀征伐の軍を起こした時彼も従軍しますが、軍事の才能はあまりありませんでした。しかし土地を統治する才能は当時の魏国の人材の中でもトップクラスに入るほどの逸材で、魏の国を良くしようと考えていた人です。しかし司馬家を除くクーデター計画に巻き込まれ、処罰されてしまいます。このクーデター計画に反対し、彼が皇帝曹芳を支えていれば曹家の世をもう少し長く保つことができたかも知れません。
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