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農業管理の官職の改革を実行
棗祇(そうし)が編み出した新屯田制のおかげで曹操軍は兵糧の心配をしないで
軍事を行う事が可能になりました。
曹操はこの政策を管理する為、典農校尉を設置します。
この官職は郡太守と同格の役職でしたが、人材を中央に推挙できませんでした。
裴潜は曹丕の時代にこの典農忠郎将(てんのうちゅうろうしょう)に任命されます。
裴潜は以前からこの役職の機能の改革を考えており、
曹丕に「郡国と同格であるこの役職にも中央に人材を推挙できる機能を付帯
するように」と上奏を行います。
曹丕はこの上奏を受け入れます。
その結果以前は典農部に配属された文官は落ち込んでやる気が起きませんでしたが、
裴潜の上奏が認められた事により、出世の道が開け、典農部に配属された文官は
以前にも増してやる気に満ち溢れ職務に励むことになります。
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三公就任も噂されるも…
裴潜は曹叡(そうえい)の時代になると、昇進を重ねて大司農へ就任します。
その後青陽亭侯の位を与えられ、領地をもらう事になります。
周りの人々は「すぐに三公の位を授けられるに違いない」と噂しますが、
病に倒れ、そのまま亡き人になってしまいます。
三国志ライター黒田廉の独り言
裴潜は文官として優れた能力を有した人材でした。
彼の長男である裴秀は司馬氏に近づき、司馬氏を積極的に支持していきます。
裴松之は裴潜の兄弟である裴幑(はいき)の子孫ですが、
彼がどのような人物であったかは資料があまり見当たりません。
裴幑よりも裴潜の能力を色濃く受け継いだのではないでしょうか。
「今回の三国志のお話はこれでおしまいにゃ。
次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう
それじゃまたにゃ~。」
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この記事を書いた人:黒田廉(くろだれん)
■自己紹介:
横山三国志を読んだことがきっかけで三国志が好きになりました。
その後の日本史・中国史を学びました。
またいろいろな歴史小説を読んでおります。現在はまっている歴史小説は宮城谷昌光氏の劉邦です。
■歴史人物:
■何か一言:
今年も頑張ってはじさん盛り上げていくにゃー!!