
宋の文帝劉義隆(りゅうぎりゅう)は裴松之(はいしょうし)に
「陳寿が作った三国志をより詳細にせよ」と命じられます。
その後裴松之は「三国志・注」を完成させ、宋の文帝に上奏します。
今回はこの裴松之の先祖に当たる三国志時代の裴潜(はいせん)を
紹介したいと思います。
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この記事の目次
劉表から賓客として厚遇されるも…
裴潜(はいせん)は河東の人です。
彼は戦乱を避け荊州へ避難します。
荊州の刺史である劉表は彼を賓客して迎え厚遇。
しかし彼は親しくなった王粲(おうさん)や司馬芝(しばし)に
「劉表は王者でも覇者でもないのに、周の文王のようにふるまっている。
彼は近いうちに大失敗を犯すであろう」と予言。
周の文王とは多くの賢人を集め、仁政を敷いた古代の王です。
劉表は彼のようにふるまっているから、近いうちに失敗すると裴潜は予見し、
長沙へ向かいます。
予見が的中
曹操は河北を統一した後、荊州へ侵攻を開始します。
劉表は曹操が南下を開始した時、病に倒れていました。
彼は自分の後継者を長男の劉奇(りゅうき)ではなく、
次男の劉琮(りゅうそう)を指名した後、亡くなります。
しかし後継者の指名が遅すぎた事が原因で荊州は混乱し、
後を継いだ劉琮は一戦もしないで、降伏。
こうして劉表が築いた荊州は歴史に何も残さず無くなり、
裴潜の予見は的中します。
曹操に仕える
裴潜は曹操(そうそう)が荊州を平定した後、仕えます。
曹操は裴潜を倉曹属(そうそうぞく=穀物などを貯蓄する倉を管理する職)に任命。
この時曹操は劉備の事が気にかかり、裴潜に「あなたは以前劉備と共に荊州に居たが、
彼をどう思う」と尋ねます。
すると裴潜は「彼は中華を乱すことはできますが、戦乱を平定する事は出来ないでしょう。
もし彼が要害の地を得れば、一国の主となる事が出来る器量があると見受けました。」と
答えます。
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鳥丸族の対処について
赤壁の戦いが終わってから数年後、幽州が乱れます。
この乱れに乗じて幽州北部にいる異民族・鳥丸が暴れまわります。
曹操は幽州の乱れを元に戻し、鳥丸を抑え込むため裴潜を幽州太守に任命。
曹操は彼が任地に赴く前に「鳥丸がいう事を聞かないようなら、討伐せよ」と命じます。
しかし彼は「兵で討伐するよりも、謀略を用いて鳥丸を抑えます。」と
言い任地へ赴きます。
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見事鳥丸を抑え込む
裴潜は一台の車で幽州の代郡へ赴きます。
鳥丸達は討伐されると思い込んで恐れていたが、
新しい太守が兵を率いていない事に安心し、
今まで奪ってきた財宝や婦女子らをすべて返還します。
裴潜は在任三年間と短い期間でしたが、
彼が幽州太守となってからは一度も鳥丸は反乱を起こさず、
幽州は平穏に包まれておりました。
その後裴潜は中央に呼び戻され、丞相理曹属(じょうしょうりそうぞく)に
任命されます。
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優れた予見が冴えわたる
裴潜は中央に戻ると曹操に「次の幽州太守は私のやり方を真似て、必ず寛大な統治を
行いますが、この統治が長く続くと鳥丸は再度暴徒化し、幽州は乱れる事に
なると思います。」と忠告します。
そして彼が幽州から離れて数十日後鳥丸が再度暴徒化し、
幽州各地を暴れまわります。
曹操は裴潜を戻すのが早かったと悔やみます。
曹操は鳥丸を討伐する事を決意し、曹彰を鳥丸討伐の総大将に任命し、
鳥丸討伐に赴かせます。
こうして裴潜の予見が再度冴えわたる事になります。
農業管理の官職の改革を実行
棗祇(そうし)が編み出した新屯田制のおかげで曹操軍は兵糧の心配をしないで
軍事を行う事が可能になりました。
曹操はこの政策を管理する為、典農校尉を設置します。
この官職は郡太守と同格の役職でしたが、人材を中央に推挙できませんでした。
裴潜は曹丕の時代にこの典農忠郎将(てんのうちゅうろうしょう)に任命されます。
裴潜は以前からこの役職の機能の改革を考えており、
曹丕に「郡国と同格であるこの役職にも中央に人材を推挙できる機能を付帯
するように」と上奏を行います。
曹丕はこの上奏を受け入れます。
その結果以前は典農部に配属された文官は落ち込んでやる気が起きませんでしたが、
裴潜の上奏が認められた事により、出世の道が開け、典農部に配属された文官は
以前にも増してやる気に満ち溢れ職務に励むことになります。
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三公就任も噂されるも…
裴潜は曹叡(そうえい)の時代になると、昇進を重ねて大司農へ就任します。
その後青陽亭侯の位を与えられ、領地をもらう事になります。
周りの人々は「すぐに三公の位を授けられるに違いない」と噂しますが、
病に倒れ、そのまま亡き人になってしまいます。
三国志ライター黒田廉の独り言
裴潜は文官として優れた能力を有した人材でした。
彼の長男である裴秀は司馬氏に近づき、司馬氏を積極的に支持していきます。
裴松之は裴潜の兄弟である裴幑(はいき)の子孫ですが、
彼がどのような人物であったかは資料があまり見当たりません。
裴幑よりも裴潜の能力を色濃く受け継いだのではないでしょうか。
「今回の三国志のお話はこれでおしまいにゃ。
次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう
それじゃまたにゃ~。」
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この記事を書いた人:黒田廉(くろだれん)
■自己紹介:
横山三国志を読んだことがきっかけで三国志が好きになりました。
その後の日本史・中国史を学びました。
またいろいろな歴史小説を読んでおります。現在はまっている歴史小説は宮城谷昌光氏の劉邦です。
■歴史人物:
■何か一言:
今年も頑張ってはじさん盛り上げていくにゃー!!















