裴潜(はいせん)とはどんな人?鳥丸の反乱を抑え、様々な政策を生み出した裴松之の先祖




 

宋の文帝劉義隆(りゅうぎりゅう)は裴松之(はいしょうし)

「陳寿が作った三国志をより詳細にせよ」と命じられます。

その後裴松之は「三国志・注」を完成させ、宋の文帝に上奏します。

今回はこの裴松之の先祖に当たる三国志時代の裴潜(はいせん)

紹介したいと思います。

 

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劉表から賓客として厚遇されるも…

photo credit: PhoTones Works #7237 via photopin (license)

 

裴潜(はいせん)は河東の人です。

彼は戦乱を避け荊州へ避難します。

荊州の刺史である劉表は彼を賓客して迎え厚遇。

しかし彼は親しくなった王粲(おうさん)や司馬芝(しばし)に

「劉表は王者でも覇者でもないのに、周の文王のようにふるまっている。

彼は近いうちに大失敗を犯すであろう」と予言。

周の文王とは多くの賢人を集め、仁政を敷いた古代の王です。

劉表は彼のようにふるまっているから、近いうちに失敗すると裴潜は予見し、

長沙へ向かいます。




予見が的中

曹操 真田丸

 

曹操は河北を統一した後、荊州へ侵攻を開始します。

劉表は曹操が南下を開始した時、病に倒れていました。

彼は自分の後継者を長男の劉奇(りゅうき)ではなく、

次男の劉琮(りゅうそう)を指名した後、亡くなります。

しかし後継者の指名が遅すぎた事が原因で荊州は混乱し、

後を継いだ劉琮は一戦もしないで、降伏。

こうして劉表が築いた荊州は歴史に何も残さず無くなり、

裴潜の予見は的中します。

 

曹操に仕える

曹操

 

裴潜は曹操(そうそう)が荊州を平定した後、仕えます。

曹操は裴潜を倉曹属(そうそうぞく=穀物などを貯蓄する倉を管理する職)に任命。

この時曹操は劉備の事が気にかかり、裴潜に「あなたは以前劉備と共に荊州に居たが、

彼をどう思う」と尋ねます。

すると裴潜は「彼は中華を乱すことはできますが、戦乱を平定する事は出来ないでしょう。

もし彼が要害の地を得れば、一国の主となる事が出来る器量があると見受けました。」と

答えます。

 

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鳥丸族の対処について

烏桓

 

赤壁の戦いが終わってから数年後、幽州が乱れます。

この乱れに乗じて幽州北部にいる異民族・鳥丸が暴れまわります。

曹操は幽州の乱れを元に戻し、鳥丸を抑え込むため裴潜を幽州太守に任命。

曹操は彼が任地に赴く前に「鳥丸がいう事を聞かないようなら、討伐せよ」と命じます。

しかし彼は「兵で討伐するよりも、謀略を用いて鳥丸を抑えます。」と

言い任地へ赴きます。

 

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見事鳥丸を抑え込む

 

裴潜は一台の車で幽州の代郡へ赴きます。

鳥丸達は討伐されると思い込んで恐れていたが、

新しい太守が兵を率いていない事に安心し、

今まで奪ってきた財宝や婦女子らをすべて返還します。

裴潜は在任三年間と短い期間でしたが、

彼が幽州太守となってからは一度も鳥丸は反乱を起こさず、

幽州は平穏に包まれておりました。

その後裴潜は中央に呼び戻され、丞相理曹属(じょうしょうりそうぞく)に

任命されます。

 

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優れた予見が冴えわたる

表情 曹操03

 

裴潜は中央に戻ると曹操に「次の幽州太守は私のやり方を真似て、必ず寛大な統治を

行いますが、この統治が長く続くと鳥丸は再度暴徒化し、幽州は乱れる事に

なると思います。」と忠告します。

そして彼が幽州から離れて数十日後鳥丸が再度暴徒化し、

幽州各地を暴れまわります。

曹操は裴潜を戻すのが早かったと悔やみます。

曹操は鳥丸を討伐する事を決意し、曹彰を鳥丸討伐の総大将に任命し、

鳥丸討伐に赴かせます。

こうして裴潜の予見が再度冴えわたる事になります。

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