火星が、過去10年で最も地球に接近しているそうです。
これをスーパーマーズと言い、熊本などでは、肉眼でもはっきり見える程に
大きく火星が確認できた模様です。
国立天文台によれば、火星は2年2カ月ごとに地球に接近するようです。
ただ、接近する距離は毎回違い、今回は地球から7500万キロメートルの
距離まで接近し2005年の11月以来の近さです。
肉眼で見える火星の見た目の直径は、これにより今年最小だった
1月の段階の3倍になり、明るさは一等星の16倍になっています。
このスーパーマーズ、これから一週間は見られるとの事ですので、
時には夜空に顔を向けてみてはいかがでしょうか?
三国志の時代には不吉の星だった火星
現在の天文学者に劣らぬ程、三国志の時代の中国でも天体観測は盛んでした。
ただ、それは宇宙の神秘を解き明かしたいという科学的な面だけでなく、
天体の動きから、まだ分らない未来が予測できるという考えに基づきます。
三国志演義でも諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)が、
夜空に星を見上げて、味方武将の死を察知したりしていますよね?
さて、この火星、古代中国では、見た目の血を連想させる赤い色や、
不規則に地球に近寄る様子から不気味な星とされ、災いの前兆と見なされました。
興味深い事に、同じ時代の別の国、例えば古代ローマでも火星はマルス、
戦争の星として不吉な事が起きる前触れと考えられていたようです。
捜神記に登場する火星の精の予言
古代中国における妖怪や怪奇現象の話を載せた、捜神記(そうしんき)には、
この火星の精として、出現した不気味な少年の話があります。
西暦260年、呉は3代皇帝、孫休(そんきゅう)の時代、身の丈4尺あまり、
年の頃は6~7歳の青い着物を着た童子が、子供達が遊んでいる場所に
やってきて、一緒に遊び始めた。
子供達は見た事がない少年なので、「どこから来たの?」と聞くと
「皆が遊んでいるのが楽しそうなので降りてきた」と返事をする。
よく見ると、この少年の目はらんらんと光を放っていて、
どう見ても人間ではないようだ。
子供達は怯えていると、少年はにっこり笑って
「みんな僕が怖い?実は僕は火星の精なんだ、、
今日はね、みんなに知らせたい事があって来たんだよ
三公、司馬に帰さん、これが僕の伝えたい事さ」
少年達は恐ろしくなり、蜘蛛の子を散らすように逃げ出し、
それぞれ大人を連れて戻ってきた。
その時も、火星の精は、同じ場所に立っていたが、
「もう時間だから僕は帰るね・・」というや、天に飛びあがり
そのまま、絹の衣のように細くなって空に吸い込まれた。
それから、三年後、劉禅(りゅうぜん)の蜀は滅び、六年後には、
魏は晋に滅ぼされ、二十一年後には呉も晋の司馬炎(しばえん)に滅ぼされた。
火星の精の予言は現実のものとなったのである。
火星に託された、三国志の時代の知識人の不満
この怪奇な話は、元々は呉で謳われていたわらべ歌だったようです。
そして、火星と子供の取り合わせは、実は偶然ではありません。
木・火・土・金・水の五大元素が世界を造ると考える五行思想では、
火は二番目、五時では言が二番目、そして陰陽二元論では、
火も子供も同様に陽に属します。
火星と子供と言葉は、陰陽思想や五行思想では当然結びつくモノで、
それが当時の人々にある種の神秘性と説得力を与えたのです。
当然、わらべ歌は子供が考えたのではなく、当時の知識人層が政治の腐敗を
嘆いて、歌詞を子供が歌いやすいようにして意図的に流した
一種の政治批判のようなものでした。
董卓(とうたく)の時代の末期にも、
「千里の草、なんぞ青からん、日が十個落ちれば、生き得まじ」
という董卓の無残な最期を予言したわらべ歌が流行しました。
こちらも当時の知識人階層が董卓の暴力政治を批判した歌なのです。
つまり、呉の孫休の自分勝手な政治に対して、当時の呉の知識人層が
憤慨し、直接ではなく、わらべ歌に託して、
「このままだと司馬氏に三公(当時の政治の最高職)は、
帰して呉は滅ぼされるよ」と警告したのです。
ただ、孫休の天下は長く続かず、その後、暴君の孫晧(そんこう)が登場。
孫休に10倍輪を掛けた、独裁恐怖政治を行い呉にトドメを刺します。
政治批判だった、わらべ歌は呉が滅ぶ予言になり後世に残ったのです。
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