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【意外な事実】天才将軍・韓信は数学にも強かった事が判明!

2016年7月2日


 

韓信

 

韓信(かんしん)と言えば、軍事に関しては天才だが、

それ以外はまるでダメ夫という中二病気質丸出しの面倒くさい性格の人ですが、

実は、そんな韓信、軍事ばかりではなく、数学にも強い事が今回判明しました。

それにより彼の兵法が独学というのも怪しくなってきたのです。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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仲間のヘマで殺されかけた時に、助命された韓信

韓信 項羽

 

そんな韓信の才能は、彼が項羽(こうう)に愛想を尽かして出てゆき、

漢中に左遷されていく劉邦(りゅうほう)軍に付き従っていた途中で発見されます。

項羽の下を出たものの、無名の二十代の韓信は、コネもなく、

仕方なく宴会のウェイターのような仕事に甘んじますが、

そこで不備があり、連帯責任で斬罪にされそうになります。

 

自分の落ち度でもないのに連帯責任で死罪にされ、

韓信は無念でたまりません、そこで悔し紛れに叫びました。

 

「上不欲就天下乎?何為斬壯士!」

 

訳「漢王は天下が欲しくないのか?どうして壮士を斬るのだ!!」

 

それを聞いた劉邦の御者をしていた夏侯嬰(かこうえい)

瞬時に韓信を面白いヤツと考え、韓信を助命します。

 

どうして?夏侯嬰は韓信を治粟都尉に命じる

張良㈭ 広武山決戦編02 劉邦

 

夏侯嬰は、そうして助命した韓信を何故か治粟都尉(ちぞく・とい)に命じます。

ここが凄く不思議なのです、大言壮語を吐く韓信を気に入って助命までは

分るとしても、それで与えた仕事が治粟都尉とは不思議です。

 

世間一般では、治粟都尉をただの食料倉庫の番人のようなヒマな仕事で

それゆえに、韓信は再び不満に思い、漢軍を逃亡したとされていますが、

とんでもない、治粟都尉は数学知識が必要な重職なのです。

 

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前漢の敏腕経済官僚だった桑弘洋も治粟都尉だった!

董卓紙幣

 

前漢の武帝の時代に、経済官僚として登用された

桑弘洋(そうこうよう)は洛陽の商人の息子でした。

十三歳で暗算の天才として武帝に仕えてから塩と鉄を国家の専売にしたり、

国家の金で物資を買い、必要としている土地に高値で売るなど、

利殖に励んで、匈奴との戦争で空になった国庫を一杯にしています。

 

そんな桑弘洋が命じられたポストこそが、治粟都尉だったのです。

治粟都尉は、漢軍の物資全体を管理する重要な仕事でした。

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kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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